すべてが贈り物

先日のことですが、無事に結婚10周年を迎えました。特に派手なことはなにもせずささやかに過ごしましたが、しみじみ幸せだと感じました。

たまたま当日が休日と重なりましたので、主人に誘われあしびなーに必要な服を買いにいきまた。お目当てのものはみつからず、代わりにお互いにちょっとした普段着を買い、なぜか普段なら食べないエンダーでサンドイッチやバーガーのランチをしてあとは犬の散歩と家でのささやかなごはん。

今の生活は感謝ばかりです。ほとんどすべて、夫あっての生活です。

歩きながらふと「なにが贅沢って、○○(夫の呼び名)との時間をすごくたくさん与えられてるってことかなー」
と言うと、
「そんなふうに言ってもらえるなんてありがたいねぇ」と言われました。

え~、そんなふうに言ってもらえることこそありがたいよ。正直、もうちょっと返して、って言われたらどうしようと思ってたところだけど。と、思いました。

今の住まいは自力では外出不可能な環境で、坂に囲まれているので、犬の散歩すら徒歩だと厳しいくらいですが、おかげでなんでも夫婦一緒。私はそれが最高の贅沢と思っています。こっそり神さまに感謝していましたが、10年の記念にちょっと打ち明けてみました。

恋愛についての一考察。


1日1クリックの応援ありがとうございます。
応援身にしみて感じます!

沖縄で暮らして6年目に入り、いろいろな次元で刷新される感覚を味わっているこの頃です。結婚からもまもなく8年目に突入します。結構な中堅の領域に入ってきました。これはいつも思っていることではありますが、風間真吾という人と結婚できたことは、私の人生のもっとも大きな収穫であり神からの最大の贈り物です。振り返って思うのは、その思いは日毎に深く大きく、確信になっている、という発見です。

夫婦というのは面白いものです。ひとりのひとが異性を愛して結婚すると家族になる。我が家には子供はいませんが、カップルが家族になるということにはやはり大きな違いがあります。

先日お電話カウンセリングでいただいた印象深い言葉がありました。「恋愛って私が想像していた何千倍も奥が深いです!」

私もまったくもってそう思います。すべての人間は愛を体験するために肉体を持ってこの世に来ています。これは恋愛という意味ではありません。あらゆる存在とその関係性における愛です。そしてその愛というのはどこまでも無限に成長しうるものです。私たちは無限の愛をどこまでも体験し続けたいのです。表面的にどう思っていようとも。

無限の愛というのは言い換えれば神の愛です。ニューエイジふうに言えば高次元の愛、無条件の愛とも言えます。神の愛は実在するすべてで、すべてを含み存在し内在し育みまたそれらを超えて包括しています。宇宙のあまねきすべての背後にある存在させる力でもあり無でも無限でもあります。そんなものを人間が実感できるのでしょうか。しかし人間は神の似姿に創られたとも言われています。ですからきっとできるはずです。

そんなたいそうなものと巷の俗世間にありふれている恋愛というものは、似ても似つかないもののように見えます。でも、人間が体験できるとてもシンプルな、愛を育み体験できるチームはカップルであり、親子であり、家族でもあります。そのチームを足がかりに私たち人間は神の実験劇場で小さき神の子として奮闘しています。実験の目的は、愛を体験し探求することです。

私はこの実験に最もふさわしいパートナーと出会い一緒に実験に取り組むと約束することができました。どうして約束が必要かというと、この実験はなかなか難しいものだからです。心から、神に誓って約束しなければ途中で挫けそうになったり、疑いが出てきたりして、逃げ出してしまいたくなるような仕掛けがあります。確認テストもたくさんあります。そして毎日繰り返しドリルという課題が出ます。思いやりや根気や忍耐や精神力や赦しや、また技術や工夫も必要です。そうしないとこの実験に取り組み続け、すばらしい結果を受け取るのはどうやら難しいのです。そしてその受け取る結果というのはいつ、どのようなかたちなのかあまり公表されていません。いったいどうなれば最高金賞なのか、みんなこれという確証のないまま始めなくてはなりません。

でも私はどうやらその受け取り方が見えてきました。ギフトは毎旬やってきます。それは一見とても普通の日常のように見えますから、見過ごさない目が必要です。そうです。ギフトは普通の中に完全を見ることのできる目なのかもしれません。『それ』は、最高金賞!というより、『完全』に感じられる喜びです。『完全』というのは、なにひとつ狂いのない、どこまで細部に至っても見事に繊細に描かれた幾何学で成り立つ絵のようです。全体では平凡な図柄ですが、一本の線がよく見ると幾何学模様になっていて、どこにも破綻がない、そんな感じです。伝わるでしょうか。

私たちがこの世に持ってくる人生の地図は実はこんなふうに描かれているのではないでしょうか。全体を漠然と眺めるだけではその図柄の良さはよくわかりません。でもその細部に自ら赴きその幾何学の道をその足で歩むと初めて、その素晴らしさが実感としてわかります。その道を概ね歩き終えた時、初めて全体の図柄の意味がわかります。またはある一定のところを歩き終えたと思うと更にその一本に見えた線が幾何学でできており、その細部に更に入り込んでいく。その図柄は実は幾重にもだまし絵のように構図が見て取れるかもしれません。

そして平凡な家族や、一見欠陥だらけの構図の意味がだんだんわかってくる。意味というのは理屈ではなく、大いなるはからいのことです。そして自分の足で歩き尽くしたときに、その図柄全体を心から愛せるようになっていて、そしてその意味、はからいに魂からの感謝が生まれます。神の愛は、与えられたすべてを進んで体験してみないことには理解できないものではないでしょうか。

この世に今存在しているすべての人にはお父さんとお母さんがいます。どんなかたちであれどれほどの時間であれ、ふたりはカップルでした。恋愛というのは本当に小さな愛への扉です。でも人は恋という一瞬の盲目に陥った時に、普段では出ない力が出て普段なら恐れをなすような壁をも突破できることがあります。それは愛というより本能です。でも、そんな突破口を与え共に突破してくれた相手と、今度は恒久的に愛を育んでいくと約束をするのは理にかなっていると思いませんか。あんなパワーが引き出せ合える相手となら、今後の難しい実験も一緒にきっと乗り越えられるかもと、その可能性を信頼できると思いませんか。恋はその最初の信頼のために神が与えた本能ではないでしょうか。

思いやり、根気、忍耐、精神力、赦し、技術、工夫、それらは愛を地に降ろすための大切な資質です。でもすべては完全なる贈り物を受け取るためのもの。惜しみなく注いでもあまりあるほどの愛がそこに待ち受けています。

もちろんいつも言うように、結婚がすべてではありません。でも、求めてください。この世に生まれてきて、存分に愛させてくれる存在と出会えますように、と。それは自分自身でもいいのです。もう出会っている人は、もちろん存分に愛してください。そして限界にぶつかったら見直ししてください。私が無限の愛に設けている制限はなんだろう、と。ブロック、というのはこの制限のことです。

神の実験の目的が愛だということは明らかです。私たち人間はそのために与えられた知性におぼれて時にそのことを忘れています。使命を思い出すのであればそれ以外の答えはありません。使命を思い出すと多くの人は困惑するでしょう。どこから始めていいかわからないからです。知性は目に見える成果に慣れすぎています。最高金賞獲得のため以外の努力は評価されにくいものです。けれど、本当の使命に目覚めてください。汝の隣人を愛せよ、という聖書の言葉は本当です。聖なる書物には本当の使命についていつも書かれています。