琥珀に封じ込められた夢。


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今年は少し咲いています。デイゴです。
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前回のブログに美輪さんや江上さんこのことを書いたら、先週我が家に遊びに来てくれたアンチエイジングの鬼こと勝田小百合ちゃんが、ちょうど同時期美輪さんの舞台に出ていたということを教えてくれた。江上さんはじめ、共演していた数人の役者さんが出ていたので観に行った『葵の上・卒塔婆小町』の初演に出ていたそうでびっくりした。その時まだ私たちは出会う前だったが、どの女優さんだったかもちゃんと思い出すことができた。まさに縁の糸はここにも張り巡らされていたというわけだ。20年近く前のことになる。

私が出ていた江上さんプロデュースの舞台では、私はなんといっても高橋広樹と仲良しでいつもべったりとくっついていた。なぜなのかよくわからないし、本当に公演の期間だけのことだ。彼も確か江上さんのクラスの出身で駆け出しのまだ所属も決まらない純な男の子だった。テレビを見ないので、彼が声優として活躍しているのをネットで知ったのは割と最近のことだ。mixiで『アズさん高橋広樹さんと知り合いなんですか?すご~い!』なんて言われて驚いた。

演出なさったのはドラマの名監督の故・土屋統吾郎氏でとても可愛がってくださった。監督は私と広樹くんを「あの2人は愛し合ってるな」と言ってみたり、私の相手役だった方と私を「昔のショーケンと桃井みたい」とおっしゃったりして面白がってくださったように思う。広樹くんは当時ミュージカルが好きで、私にミス・サイゴンの全曲と彼の選曲したミュージカルナンバーがB面に入った90分テープ2本組をプレセントしてくれたりした。おかげで私は今も『ひとりミス・サイゴン』ができる。

ちなみにこの舞台を観に来てくださった美輪さんは後に江上さんに対して『あの晶子を演った子(私のこと)、ジャンジャンで私に「よくわかりました」って言った子ね。私なら晶子をこう演るわ』って結構真剣にお話になったそうだ。「美輪さんがあんなふうに言うこと滅多にないよ。」と、興奮気味に江上さんが教えてくれたのも感慨深い思い出だ。(そうなんだ。私はジャンジャンの美輪さんのライブのあと、楽屋で握手してもらいながら「よく、わかりました」と言ったのだった。)

この頃のこういう昔話を思い出すのは当時の未熟な自分の記憶とセットだから冷や汗ものだ。本当は面白い話が山のようにあるのだがなかなか書く気になれない。20年なんて本当にあっという間で、傷とは言わずとも当時の生々しい記憶の肌触りというのはなかなか風化しないものだと思う。みんな見えない未来に向かって手探りだし役者というのは向こうから吹いてくる風を棘のように身体に刻むのが仕事のようなものだ。刺さる棘を紡いで物語を語るのだ。そんな人達が何十人集まってむき出すものを持ち寄って芝居を作るのだから、何十年もうなされる夢のようなものの澱がからだのどこかに残るのは当たり前だ。それをも私たちは笑って話せるようになるけれど、笑って話せるのとその澱が風化するかはまた別の話だ。奇しくもこの芝居のタイトルは『琥珀の夢』という。当時決して成功とは言えなかった舞台だと思うが、私の中ではなんとなくあの記憶こそが琥珀の夢だ。ある次元でなにかしらの真実を紡いだのかもしれない。

今のように潜在意識というものを探求する以前、演劇ばかりをやっていた時代から、私は芝居を『潜在意識の紡ぐ夢』だと定義していた。芝居を観に行って、面白いと思うかどうかというボーダーラインは、潜在意識に届くか届かないかの違いだと思う。芝居はストーリーではなく、その場のエネルギーを紡ぎ、そして客席を波立たせ、そして同調させる。舞台はある波動を作り出し、高いエネルギーで客席を引き上げるのが仕事だと思っていた。それはとても僭越で烏滸がましい行為なのだ。だからこそ役者は謙虚に稽古を繰り返し、自己のエゴを神に献上して役に降りてきてもらう。古来演劇は神に捧げるものであり劇場には神の座席を作った。芸術が観客のニーズに応えるためにあるのではない理由もそこにある。神の遊びの中で潜在意識の記憶を発動し浄化し気づきと奇跡をもたらすのがその役目である。

人生という旅を通して知るもの。


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P1000029東京の母のところからアロエベラを連れてきました。

少し前に、2012年作品の映画、レ・ミゼラブルを見ました。久々に、これぞという感動をしまして、それからちょっと感動づいています。私は玉川大学の芸術学科、演劇専攻で学びまして、授業でたくさんのミュージカルナンバーを歌いました。野宮勲先生というなんというか、スペシャルな先生が指導なさっていて、校舎ではあちこちからレッスンする歌姫の歌声が聞こえておりました。

同級生には天才がいて、いつもその子の表現にはドキドキさせられました。歌っても無言で動いてもセリフを言っても、それがシェークスピアの叙事詩であろうと、完璧な話し言葉に聞こえてしまうような、才能でした。高校生ですでに地元の社会人劇団で演出をしていたと聞きました。まだ脚本というものをどう読んだらいいのかさえわからない、日常の話し言葉しか知らないような私たちの中にあって、彼女の「舞台表現を読む力」はいつも圧倒的でした。彼女の発言を聞いて勉強になったことははかり知れません。

彼女もいつも私の表現を事細かく見ていてくれました。そしてずいぶん後になってから「あの時の美緒のあれにはまいった」などと話してくれました。私にすれば、そんなふうに見ていてくれる、見守り理解し、認めてくれる存在というのは何よりの支えでした。

玉川の演劇専攻にはそういった存在がたくさんいました。自分のことで精一杯のはずのあの時期にあって、そういうふうに心の目を注いでくれる同輩、先輩がたくさんいました。卒業して10年以上経ってお話する機会のあった先輩が私のことを語ってくださったりしました。最近では昨年夏に我が家に来てくださった先輩がそうでした。私にとってはそういうかけがえのない心の眼差しが愛として自分の生命を支えてくれたと今でははっきりとわかります。20年目のクラス会の時にも、あの時の美緒について、今もそこにそうして佇んでいる女の子を語るように話してくれた同級生がいました。たった一度、アルバイトで一緒になった私の弟のことまでずっと気にかけていてくれた同級生もいました。この人たちの心はどうしてそんなに広いのだろうと思いました。私が思う何倍も、ただ思っていてくれたのだと思うと、私はただの一期一会では片付かない、魂の仲間という世界を思わずにはいられません。

私は以前から周りの人を好きになりすぎて、自分ばかりがそうなってしまうのが恥ずかしいと思っていたことがありました。記憶力が良すぎる点もそうです。多くの人がさらっとその時期を過ごして前に進むのに、自分は愛着がありすぎるように思っていたのです。ですが、年月が経ち、時間を経て仲間に再会する機会が出てきたこの頃、あの頃の愛はずっと生きていたんだ、と思える体験が重なり、自分の感じていたことは思い過ごしでも一時的な気の迷いでもなく、実在したのだと教えてもらうことができた気がしています。そのことは私の人生に大きな価値を与えてくれています。愛は不変であり普遍なのだという証をもらったのです。

私がずっと生命を注いでいた表現の世界はそうした純粋性と、そして大局的なエゴの欲望の両極を内包する修羅場でもありました。そしてそこでは王道のセオリーとか、成功の秘訣などは効力を持ちません。私たちはそこで多分、ただ巻き込まれるしかないのです。私が見つけたただひとつの平安への道は、そこから目覚めることだけでした。

人生というのは不思議なからくりでなされています。目に見える目的と魂の目的はだいたいにおいて違います。多くの人が気にしている運命と実際の運命は違います。学んでいると思っていることと、実際の大切な学びは違っています。得たと思っていることと、実際に得ているものは違います。

ですが、それでも、すべてが無駄であるわけではありません。すべてに意味があるというよりは、あらゆる出来事は、すべてには生命が宿り、神が宿ることを知る機会となるということです。やがてはすべてが解かる時が来る。私たちが何をしているのか、ということを、というようなチェーホフのセリフがあります。キリストが磔にされた時「神よ、お許しください。彼らは何をしているのかわからないのです」と言いました。そしてキリストにはわかったのです。それがわかったら、それがわかったらね!。

(チェーホフ、三人姉妹より。)

「・・・やがて時がたつと、わたしたちも永久にこの世にわかれて、忘れられてしまう。私たちの顔も、声も、なんにん姉妹だったかということも、みんな忘れられてしまう。でも、私たちの苦しみは、あとの生きる人たちのよろこびに変わって、幸福と平和が、この地上におとずれるだろう。そして、現在こうして生きている人たちを、なつかしく思い出して、祝福してくれることだろう。ああ、かわいい妹たち、わたしたちの生活は、まだおしまいじゃないわ。生きていきましょうよ!楽隊は、あんなに楽しそうに、あんなにうれしそうに鳴っている。あれを聞いていると、もう少ししたら、何のためにわたしたちが生きているのか、なんのために苦しんでいるのか、わかるような気がするわ。・・・・それがわかったら、それがわかったら、それがわかったらね!」

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RUACHルーア 心のセラピー

Favorite Things

みなさんこんにちは。
人生できる限り正直にあるがままに生きたいので、できるだけ遠慮なくぶっちゃけて書いていきたいと日々思う私です。わりと控えめで臆病なので色々なことに気を回してしまってわりと見えない制限を自分で加えていることによく気づきます。たかが私の個人のブログなのですが。

うちはテレビを見ないのですが、プロジェクターがあってそれで家の壁に映画を上映して鑑賞しています。私は元々映画好きです。私の母は結婚前、あの時代に週に6本見ていたと言っていました。父は職業柄家ではいつも真剣に映画やドラマを見て、そして文句を言ったり本気で怒ったり、感心したり、子どもの頃から家の中で批評を聞かされて育ちました。

よく思い出すのが山田洋次監督の「幸福の黄色いハンカチ」をテレビで見ていた時に父が「しかし桃井かおりって女優はうまいな」と言ってどこがどんなふうにすごいかという話を私にしてくれたことです。その時父は桃井さんの「ねえそれじゃ、夕張まで行かない?!」というセリフを例にとって解説していました。こういうことを詳細に覚えているところなど(妹もそうだと思うけど)本当におかしなことだと思いますが、こんな感じで私の役者の血は大人になるまでにどんどん熟していたわけです。

私はすでに桃井ファンだったので、自分の価値観が認められたように嬉しくて内心うわぁという気持ちでした。父は新劇出身の、スタニスラフスキー・システムの申し子のようなくそ真面目な役者さんだった(と私は思っていた)ので、そんな父が桃井さんの変則技に心底感心しているのを見て目からウロコのような嬉しい気持ちでした。

しかしいつもこんなだったわけではなく、父がテレビを見ている時は私たち子どもは音を立てたり喋ったりしてはいけないルールがあり、子供らしく騒いだりすることは許されず、もし父の気に障った時は力石徹のあの声で凄まれたりして本当に怖かったものです。力石徹のあの声、リアルに怖いですよ。父は常に本気ですから(笑)

少し前に私の演劇専攻時代の先輩であり同級生である(留年して同級生になったわけですが)Sさんがうちに来てくれて、ナカムラミオ(当時の私)とはどんなやつだったかということを真剣に論じてくださいました。すごく真剣で鋭かったのでもう私の半生を統括してもらったような面白さがありました。その中で、なぜ大学生の当時からあんなにも自分の世界が確立されていたのか、という点を論じられた時に振り返ったのは、やはり父のあの芸に対する真剣さ、芸(表現)は自分そのもの、というあの感じが自分にも当たり前のように身についていたのだということを思い出します。

仕事のことを一切家に持ち込まないお父さんも世の中には多いと思いますが、我が家は全部持ち込む派で、お陰で、声優界の大御所の皆さんのお名前はすべて知っていましたし、どんなことをどんなふうに発言なさったかまでかぎかっこ付きのセリフのようにうちで再現されていました。母はいつも「聞きたくない」と言っていましたが、とにかく父は全部しゃべらないと気が済まない人でした。

よく、芸事は習うのではなく盗むものだといいますが、それは本当だと思います。師匠の背中を見ると良くも悪くも色々なことがわかります。私は子どもの頃から何らかの芸事をする人を目指していたので、その盗む芸はその頃から始まっていたと思います。Sさんにそういうことも話ましたが、それを自覚している事自体が異常だと言われました。例えば小学生の頃から泣いている時に鏡を見て確認したり、マンガや本、テレビのあらゆるセリフを自分だったらどう言うかというのは常に練習していました。すべてのそういうものは練習台だと思っていました。そして自分の方が絶対いい感じに言える、といつも思っていました。

そういう中で、衝撃的に現れたお手本は大竹しのぶさんや桃井かおりさんでした。他にも当時はすてきな女優さんがたくさん活躍していましたし、テレビドラマも本気で良い物がたくさんありました。最近では満島ひかりさんという沖縄出身の女優さんが「刺すような役者でいたいと思います」と発言なさっていましたがあの頃は刺すような女優さんがたくさんいました。そういうのに刺されることは喜びでした。他にもショーケンさんや松田優作さんや原田芳雄さんや石橋蓮二さんや刺す役者さんはたくさんいて、もっと、もっと、もっと本当のことはないか、もっとリアルな表現はないか、もっと刺さる表現はないかと探すことに必死な人とその人達を活かせる飢えた監督さん演出家さんもたくさんいたと思います。

今はいないわけではないのでしょうが、もうなんというか、そんなものを求めてないのが世の中なのだろうと思います。

近年はショーケンさんもかっこ悪くなった、ヤキが回ったと思われているかもしれないですが、「ショーケン」という本を読むとショーケンさんがどれだけすごい人だったかということがよくわかります。桃井さんが[ショーケンさんに育てられた役者は多い」とおっしゃっていますが、その彼の「見ている」目は本当にすごいなと思います。あれは、愛です。近くにいたら、愛されていると感じてしまうだろうなと思います。彼らのような役者さんが出ている作品て、役者のパワーがすごすぎて、だいたいストーリーとかあまり頭に入ってきません。一挙一動が面白すぎて、頭でストーリーを追いかけることを忘れてしまいます。そしてその感触がじかに潜在意識に刷り込まれてしまうので、シーンや言葉やトーンがそのままある感覚として記憶されていくのです。そういう作品は私たちの意識を変える力を持ちます。演劇も映画も、そういうものがすごいものだと私は思っています。

以前にも書きましたが、高校生の時に、演劇を目指すと決めた私を父が仲間の芝居に連れて行ってくれました。津嘉山正種さんがいた青年座やいろいろ。その時に劇場の客席の重い扉を開きながら「美緒、こうやって劇場に入る前と出てきたあとでは、その人の人生は少しだけ違っているんだよ。それが演劇なんだ。」と言いました。私は今でも芸術とはそういうものなのだと思っています。だから、潜在意識にまで入り込んで、リアルな夢のように私たちの記憶を塗り替えたり、想像力をかきたてたり、人生観に色彩を加えたり、そういう作品が、本物だというふうに信じています。

そしてその作品の多くは娯楽です。その娯楽の中で私たちが培えるものといったら「想像力」だと思うのです。想像力は思いやりとも言えます。思いやりはある種の愛の表現です。

演劇の目的は「浄化」にあると、私は大学の(ダサマの演劇史の)授業で教わりました。神の視線からみた人間界のエゴのドラマに自己意識を同化させて心を開いてそれを観ることで、私たちは自己の内側にあるなんらかの「思い」に気づくことができます。それを実際に実生活の中で行わなくてもその登場人物に寄り添うことで、その思いを感じきり、そして乗り越えたり卒業したりすることができるわけです。実体験に叶うものはないという人がいますが、私は想像力に叶うものはないのではないかと思っています。人間の脳は、リアルに想像したことと実際に体験したことの区別がつかないという特性があります。それを利用したのがヒプノセラピーなわけですが、身体はロボットのように感じたことに反応します。ですから私たちはなにを感じるか、なにを信じるかということが実際どうであるかと同じように重要なわけです。

私たちは想像する生き物です。その想像力を破壊にも創造にも、友愛にも保身にも使うことができます。

苦しい時代になってきたので、真のいい作品が世に必要とされる時代が来るかもしれません。残念ですが、往々にして世の中はそういうものです。そうならないうちに私たちは自らの叡智を養いさらなる発展にエネルギーを使いたいのですが、なかなかそうはなりません。生きることが楽な時代には私たちは心を甘やかし堕落するもののようです。それでも、内側に愛と叡智を蓄えながら養いながら、私たちは少しずつ、後退もしながら前身することでしょう。今日も生きていきます。