終戦祈念~沖縄慰霊の日によせて

「ソフィーの選択」って映画、映画だと思っても吐きそうに辛い。
もし自分に起こったら、どうなるのかまったく想像がつかない。
そんな未来が来ることは絶対に防ぎたいと思う。
人権と尊厳のない世界。
それはつい、最近まで存在していた。

戦争またやろう、やればいい、やったほうがいい、
なんて思っている人は一握りだろうし
ほとんどの人は、んなわけなんじゃん、って言いながら
騙されて巻き込まれていくんだろう。

どっちにしても、それは憑き物にやられているんだと思う。
みんなが瞑想すればそんな愚かさは消滅する。

憑き物は、人間の想念だ。

利己心、虚栄心、傲慢は誰もが心に持っていて
憑き物はそういう波動が好きだ。

私たちは自分のそういった波動と闘わなくてはならない。
そういう意味で、生きることは楽ではない。

自分の中の邪気を見て見ぬふりする楽は、本当は地獄だ。
楽ではなく、それは本当はずるだ。

ずるは自分の周りに地獄を創る。
でも逃げていると、地獄に追われ、それを自分が創っているとは気づかない。
誰かが創った、外側にある、と、本当にそう思えてしまう。

そして周囲を攻撃する。
攻撃している人こそが、自衛を必要とする。

中国が北朝鮮がイスラム国が攻めてくるぞ、抑止力だ、自衛だ、
自分を護って何が悪い、やられる前にやれ、それが生き物の本性だ、
というふうに。

でも本当はそういう人はちゃんと闘っていない。
闘っていない不甲斐なさやうっぷんを晴らしたいのだ。

平和を本気で目指す人は少なくとも、自己の欺瞞と闘っている。
私たちが平和を獲得するには
自己と向き合わなければ始まらない。

瞑想している人、霊性に目覚めている人は
そろって、戦争は間違っているという。
そして平和こそが人間が目指す波動だという。

平和を志す人にはそれが当たり前すぎて、
それ以外の目的の意味がわからない。
だからかえって自信を無くしてしまう。

戦争を支持する人のほうがあたかもおとなであるかのように、
社会の真実を知っているかのように、思わされてしまう。

しかし、知れば知るほど戦争の仕組みは愚かだ。
誰もが持つ人間の利己心、虚栄心、傲慢を
権力者が利用して利権を得ているだけのことだ。

あわれにも巻き込まれた一般人は
そこに儚い意義を見いだそうとして
戦争に価値をみつけようとするか、
もしくは自分の愚かさを黙殺しようとする。
しかし傷は、学びなしに消えはしない。

私の祖父も沖縄戦で亡くなり、
母は心の傷を無意識にパートナーと私たち子供に引き渡した。

そうやって潜在的な怒りと虚無はカルマとして引き継がれる。
私たちの子孫の誰かがそのカルマの支払いをする。
そしてまた新たなカルマが作られる。

踏みとどまり断ち切る勇気のある者だけが
世界を変える。

その種を、蒔こうと思う。

______以下引用______
沖縄慰霊の日:「泣く子だめ」…戦場で別れた弟、妹よ
毎日新聞 2014年06月23日 13時25分(最終更新 06月23日 14時22分)

 ◇浦添市の喜屋武さん、かすかな望み消えない69年間

 沖縄戦で命を奪われた家族や友人らに鎮魂の祈りをささげる「慰霊の日」。戦没者の名前が刻まれた沖縄県糸満市摩文仁(まぶに)の「平和の礎(いしじ)」には、23日早朝から遺族たちが訪れ、犠牲者の冥福を祈った。凄惨(せいさん)を極めた地上戦による傷は、戦後69年たった今も癒えない。【佐藤敬一】

 沖縄県浦添市の喜屋武(きゃん)幸清(こうせい)さん(75)は、「鉄の暴風」下で生き別れたきょうだいを捜そうとしている。家族の間でさえタブーにしてきたあの時のこと。「ひょっとしたら弟と妹は誰かに拾われて助かったかもしれない」。69年間、かすかな望みが消えることはなかった。

 沖縄戦の当時、6歳。父は移民先のマリアナ諸島テニアンに残り、祖父母とおなかに妹を宿していた母、弟2人と引き揚げ、那覇で暮らしていた。

 戦火に追われ南へと逃げた。途中、祖父母は死亡。母良子さんが水や食料を探す間、壕(ごう)で0歳の妹洋子(ようこ)さんを負い、4歳の幸紀(こうき)さん、2〜3歳だった幸雄(ゆきお)さんの弟2人をあやして母の帰りを待った。

 6月、たどりついた摩文仁の海岸で4人を連れた良子さんがガマ(壕)に入ろうとした時、避難民と一緒に潜んでいた日本兵が銃を突きつけて言った。「泣く子は入れない」

 良子さんは「究極の決断」を迫られた。「上の2人は泣きませんので助けてください」。喜屋武さんと幸紀さんを壕に入れ、幸雄さんと洋子さんを連れて出て行った。

 良子さんはしばらくして一人で戻り、再び出て行ってはまた一人で戻ってきた。置き去りにされて泣きながら追いかけてきた幸雄さんを、良子さんが言い聞かせるために出たのだった。

 終戦後、父幸一さんとともに親子の暮らしが戻ったが、弟と妹のことを誰も口にはしなかった。良子さんは敗戦から9年後、心臓病で亡くなった。38歳だった。「母は長男の自分だけでも何としても生かそうと考えたのだと思うが、ずっと自分を責めていたのでしょう。病気も戦争の苦しみが原因と思う」

 弟、妹の顔を今では思い出せないが、思いは巡る。「母は泣きながら追いかけてきた弟に、何と言い聞かせたのでしょう。考えただけで胸が張り裂けそうになる」

 今年、遺骨収集ボランティア団体「ガマフヤー」代表の具志堅隆松さん(60)に「万が一だが、弟と妹をDNA型鑑定で捜せるかもしれない」と教えられた。「戦場で肉親と生き別れた人は多い。その人たちのためにも声を上げよう」。具志堅さんとともに、希望する家族と戦争孤児のDNA型照合を国に求めることにした。

 喜屋武さんは言う。「当時の話を母に聞いておけば良かったという後悔と、聞けば更に母を苦しめたという思いが今も交錯します。こんな複雑な思いを抱いている人が沖縄にはたくさんいるのです」

 安倍晋三首相は、他国を守るための戦争を可能にする集団的自衛権の行使容認に動く。「沖縄戦であれだけの犠牲を被ったのに、政府は『これからも日本のために我慢しろ』と言っているように聞こえる。戦争に加担して真っ先に狙われるのは基地のある沖縄です。一体何なのでしょう」

弟と妹と生き別れた摩文仁の海岸を見つめ、「ここに来ると当時を思い出して辛い」と語る喜屋武さん=沖縄県糸満市の平和祈念公園で2014年6月21日午前11時9分、佐藤敬一撮影
____引用ここまで____

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号外 

今日は戦争法案のこと。
戦後70年、とうとう日本はここまで来ました。

原発事故の2011年3月11日からこっち、どしろうとなりに情報をあれこれ読み、自分なりに考察を重ねた結果、今日ここまでの流れはおおむね当初から推測したとおりです。

脱原発には、卒戦争が絶対に不可欠であり、脱原発しない、できない理由は、日本はまだ戦争を卒業できていなかったためだと思います。それは、沖縄での生活が私に突き付けてくれた真実でもあります。

ですから、特に今回の決定にがっかりしたりショックだったりと言うことはありませんでした。ああ本当にそう来るんだね、という残念さはありますが。

ですが、私は昨日今日と、新たに意外な発見と希望を感じています。

フェイスブック、ツイッターにはあげておりますが、主に国会中継の動画を見て感じたことです。

私は常々、自分を社会的マイノリティーであると感じてきました。自分の実際の生活上ではそんなことはありませんが、自分の視点、発言が、こんなにも多数派とずれているものかと思い知る機会は多々ありました。また、おおむね方向性が同じ意見の仲間の中でも厳密には食い違うこともたくさんありました。

そもそも私のしている仕事からいって、通常社会に認知されている常識からは逸脱するものです。先日、脳科学者が提唱する、意識の量子論の動画を見て、ああ、科学ってまだそこなんだな、と再認識したところです。私はそういった科学的仮説を飛び越えて、意識と心のセラピーという、脳科学の量子論的臨床をしていますが、それは昨今の科学の歴史があまりに浅いだけこのことであり、人間と宇宙と意識の探求というのは少なくとも数千年の人間の歴史に刻まれているものです。

社会の常識、認知というのは往々にして、こういった、そもそも、という観点が抜け落ちた上に風潮として流布されたものであることが多いと痛感しています。

私が感じた希望というのは、その国会中継の動画のなかで、福山哲郎氏と枝野幸男氏のスピーチを見て、なんだ、自分が疑問に思っていたこと、おかしいと感じていた思いなどがちゃんと語られてるじゃない、というところでした。

本当のことであろうけれど大手マスコミの報道に載らないために、黙殺され、デマ扱いされ、ごく一部のたわごととして扱われているとされているようなマイノリティーの意見を、少なくとも堂々と代弁しているように見えました。

つまり、政治という領域において、自分の頭にあることは自分で思うほどマイノリティーではなかったんだ、それどころか、政治と民衆の声がこんなに直通だったことってあったっけ、これはもしかしたら、ものすごく大きな事件だ、と思えたのです。(私の言うマイノリティーは、政治における野党レベルのものではもちろんありませんでしたので。)

『民主主義というのは多数派によって物事を決めていく制度だが、決してそれが正義ではない。多数の暴力によってこそ、少数派の人権侵害ということが起こるものである。少数派、少数の立場にある人間が、安心して生きていける、少数の権利を守るものが立憲主義であり、民主主義と立憲主義は絶対にセットでなくてはならない。

安倍総理大臣は歴史に残る仕事をした。立憲主義というものがいかに大切なものかということを、私たち日本人が、あまりに当たり前すぎて忘れていたとことを知らしめた。』枝野氏。

私は特に両氏を支持どころか興味すら持ったことがない人間でしたが、彼らのスピーチには胸を打たれました。彼らの態度には、そもそもの自らの使命というものを体現するものの迫力がありました。

約50分と、1時間45分という、とても長い演説です。へたしたら映画や芝居1本分の独演、私は退屈しませんでした。へたな映画よりずっと良かったです。

付録です。
http://saigaijyouhou.com/blog-entry-8066.html

こんな感じでいつも考察と創造をします


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季節外れな話ですが、沖縄で、沖縄の台風を体験したらこれまでの台風観はまったく変わってしまいました。生まれも育ちも東京都。一度だけ、一度きりしか行ったことのない屋久島で、滞在期間の半分以上台風に見舞われたことありました。主人と一緒に初めての旅行だったのかな、主人のお友達夫婦が移住した先に泊めていただき、そこでの体験が人生で最も激しい台風でした。

築100年の古民家に住まわれていて、雨戸閉めきって、電気が止まり、3日目に水道が止まって床下浸水が始まって、もうどうしたらいいのかわからない・・・というところで過ぎ去ってくれました。確か風速が35メートルだったかな。主人と友人だんなさんはその中歩いて海まで行ったんです。なにも知らずに。そういうことして命を落とすってよくある話しですからとても怖かった。唯一その帰りを待つのが一番怖かった記憶です。

戻った二人は顔色が若干変わっていました。本当に身の危険を実感した。もうしない、と言っていました。それで済んで、そしてそういう学習ができて本当に良かったと思いました。

そして沖縄。風速70メートル、ということが起こります。最初の恐怖体験は豊崎のマンションでした。埋立地で背の高い建物だったので、普段から風が強かった。台風が近づいてまず停電は当たり前。まったくぬかっていたのだけど、水道も同時に止まりました。そうだった。もちろん電話も。そして、船のように家がずっと揺れます。通気口から風が音を立てて出入りします。竹の笛がずっと鳴っているみたいな音です。夏に締め切るので、蒸し風呂です。窓のサッシから水が浸水しますから、塞いだタオルを絞ったり取り替えたり、重病人の看病のようです。車での買い出しも出遅れました。車は風でひっくり返されるものです。➖知り合いの奥さんは本当にひっくり返されて浸水して出られず、電話も止まり、直感で探しに出たご主人に救出されたそうです。➖ 我が家の駐車場では追突事故が起こっていました。無人の車でです。うちのはサンバイザーの部分が剥がれただけでしたが、整列していた車が一方に寄ってグチャグチャになっているのはぞっとします。窓ガラスが割れるのでは、というのが一番ヒヤヒヤしました。同じ建物ではなかったですが、後から「うちの建物では割れました」という実話も伺いました。

台風が去ると、今度は家周りに水を撒かなくてなりません。塩害でサビやら酷い劣化につながるのです。とにかく風が当たるところはみんな。それから、外にあるものは家に入れたり(鉢植えなどもみんな)縛ったり、今は家の窓の外にネットを張ったりしますので、準備も復旧作業も1日仕事になります。沖縄の人はここがものすごく手早いのです。私もものすごくがんばらなくてはなりません。

車も洗車渋滞が起こります。植物も枯れます。これがとてもショッキングでした。風で街路樹が倒され折れてしまう様も悲しかったですが、海岸では風に吹かれた砂が樹の皮をずるっと剥いてしまうのです。それから台風が去った後、徐々に木々が枯れていきます。山がどんどん赤茶けていきます。これが塩害でした。新しい東屋の柱や壁もものすごい劣化です。こういうのは目の当たりにしないと想像がつきません。それから、沖縄南部は農業が盛んで、その恩恵にいつも感謝していますが、その農産物の被害がものすごいのです。数十億円という単位での損害が出ます。これはとてもショッキングです。この、こういうことがショッキングであるという感覚も、東京で暮らしている時には体験したことがありませんでした。

東京は日本の中心、情報の中心でありながらあらゆることはとても遠いところで起こっているという感覚に取り巻かれる気がします。食べているものを作っている人の顔が見えない。すべては【どっかで誰かがうまくやってんだろ】➖昔そういうCMありました➖というふうになるのです。

沖縄にいると、すべてのつながりが身近に見えてきます。1つ何かが起こるとその連鎖は観察していれば身近に実感できます。例えば選挙とか、基地とか、野菜とか、農薬とか、景気とか、魚とか、海とか、空とか、PM2,5とか、戦闘機とか、見回して目についたことを観察しているとあらゆるつながりが感じられます。

さて、今日の話しは、これがテーマではありません。私は台風について考えています。この台風を、私はどう捉えればいいのだろう、と。今しばらくお付き合いの程を。

ずっと以前に、村上春樹のエッセイで読んだフレーズを私はよく思い出すのです。ギリシャの島では、毎年台風で石垣が破壊されるが、それをまた同じように手作業で復旧する。何度でも、何度でも。日本では、壊されない何かを開発していく。でもギリシャのこういうやり方が日本には失われているのではないか、という論旨だったと思う。この意味はとてもよくわかる。沖縄の美しさの部分は圧倒的にこのようにしてしか残されないだろうと思う。

しかしそもそも台風はなぜ存在するのだろう。私はこの破壊力は人間界の戦争に似ていると感じる。この一瞬で奪われる命とエネルギーの多さに私は呆然としてしまう。台風のあとはしばらく生命力が奪われ若干虚脱してしまう。多くの敏感な人は気圧のせいだと思っているかもしれないあのなにか脅かされる感じは、エネルギーの次元ではやはり、暴力的な破壊力に細胞や意識レベルでダメージを感じているのではないか、と私は仮説してみる。というよりそう感知している。

意識界では地震について、極端なエネルギーの溜め込みや偏りをこまめに浄化、バランスすることで小さく頻発させ大地震を回避できると考えられている。台風も同じ原理ではないか。人間の感情についてはまったくこの通りだ。

台風が自然界に絶対必然のものであれば、私たちは起こるべくして起こることに対処することを学習するしかない。しかし、台風がそもそも過剰なエネルギーの沈滞や抑圧に対するバランス現象であるなら、エネルギーの次元で意識的に働きかけることで結果を変えることは、自然に付加をかけるようなエゴ的行為にならないはずだ。

同じ原理で、私は人間には戦争は不要となっていくと確信できる。多くの人が過去から推察して、また現在の自己意識の結果として、戦争は人間にとって避けられないものだと認識しているだろう。だから現時点で戦争は存在している。その存在が消えたことは有史以来ない。しかし本来の仕組みはそうはなっていない。

私たちはエネルギーによって存在し、そして変化を遂げる。私たちは進化する。創造する。意識によって。その意識の源を神と呼ぶなら神のみこころに沿って、私たちは出現し続ける存在である。

もし、ひとりひとりのすべてが武器を置くという選択を今する意識状態に至れば、武器は消滅してしまう。それは難しい、と思う人がいるならその人が意識を変える手助けをすればいい。私は、私自身の自己意識を浄化しバランスし続ける。そして内なる神を求め続ける。そして願わくばそれに出会い続ける。難しいと感じている自分が訓練によって、体験を重ねることで難しいことも難しくなくできるようになった時、初めて難しくなくそれを伝播することができる。自分に難しいことを人に強要することはできない。私にとって、愛であること、愛をもって伝えることが難しくない、易しく優しいことであるとき、それは難なく実現する。それは毎瞬の意識的選択と、愛のためにのみ存在する神の愛を求める意志によってなされる。

台風がまずは沖縄から消滅することを私は神に願ってみようかと考えている。そのために神から求められることはなんだろう。それを受け取ってみよう。人間が本当の平安と愛を自己のうちに実現する道の創造のひとつのしるしとして。

慰霊とともに新たな指針を。


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先日6月23日は慰霊の日でした。沖縄戦の終戦記念日で、学校も休日となります。沖縄に住むまでは私もこの日がこんなに大切な日だということは知りませんでした。

毎年この日は用事と重なったり仕事をしていたりでしたが、今年は定休日と重なったため、平和祈念公園へ行き瞑想することができました。

Twitterのハッシュタグで慰霊の日を検索すると、たくさんのうちなーんちゅ(沖縄人)のつぶやきを見ることができます。若い世代、男女問わず、多くの人がこの日に平和について思いをはせ、平和を損ねるものに対してノーの意志を表わしていることがわかります。

私が生まれたのは戦後21年年目の夏です。子供の頃は、戦争は遠い昔のことだと漠然と思っていました。日々の暮らしの中で戦争の傷跡に触れることができたのは、父母と祖母から聞くものがたりの中でのことでした。

母と祖母は、終戦直後の混乱の中を満州から帰国してきました。30歳になったばかりの祖母は幼い子供3人をたった一人で満州から連れ帰り、またその戦争で夫を失いました。その祖父は沖縄戦で戦死し、この島に骨を埋めています。

日本はまた戦争の犠牲者を作りたいのでしょうか。

私は戦争を恐れます。戦争という暴力は恐れるに値するものです。戦争に恐れを感じないのは、それ以上の暴力的思考に感覚が麻痺し、想像力という人間と神をとつなぐアンテナを折っているからに違いありません。暴力に麻痺している人に必要なのは愛と癒しですから、私は日本を戦争へと導こうとするリーダーが癒やされることを願います。世界で戦争という手段によって利己的な欲求を満たそうとする人が癒やされることを祈ります。またその暴力に無意識に力を貸し、賛同している多くの人が眠りから覚め、暴力の魔力から解放されることを祈ります。

また私自身がこの恐れに絡め取られることなく、自分の意志で平和に向かって歩みを進めることができるように、祈ります。

私は今では戦争というものをとても身近に感じることができます。沖縄には戦争という人類の病をじょうずに包み隠し、目をくらまし、自分たちがどこへ向かっているのかをわからなくする隠れ蓑が少ないのです。そんな隠れ蓑が通用しないほど、戦争の傷は心と身体にしっかりと刻まれているのです。その傷の痛みを家族が引き継いてくれています。私たちはその痛みを、今のうちに自分のものとして、贈り物として、受け取らなくてはなりません。私は、そして夫は、そうしたくて沖縄に来たのだということが今ではよくわかります。

少し前まで、日本では戦争は過去の(負の)遺産だと思われてきたはずです。でもその時にも今も、地球では戦争が消滅した瞬間というのはありません。日本の平和は、休火山のようなものなのではないか、と私は考えていました。そしてその脅威を多くの人が忘れた時、再び噴火するのではないか、というふうに。

戦争を終わらせること、というのは、今地球に乗り合わせている人類にとって最重要で最も直近の目的なのではないか、と最近では思います。多くの人が気づかなくてはならないのは、戦争を終わらせることに本気を出さなくてはならない、という命題なのではないでしょうか。私は瞑想を通じてはっきりとそう受け取っています。

暴力の魔力から人間が目覚めるには、多くの人が自分を癒やさなくてはならないでしょう。癒し、満たし、そして力をたくわえなくてはなりません。愛という最高で最強のパワーを。

多くの人が自分の課題に取り組んでいます。自己への取り組みは尊く永遠です。しかし、自分の欠点を探しまわって虱潰しに問題にしてく必要なんて全くありません。私たちは今にいて、今を感じ、内なる理想の霊である神を自分に投影し、自分を全てに投影し、一つになることが個の目的だと気づき、そしてそれに対して自己を開いて足元からできることをしていけばいいだけです。人生はシンプルなのです。

そのシンプルさを受け入れることさえできたら、私たちは自分の存在の目的や使命もはっきりと感じることができます。多くの人がものごとを複雑に煩雑にし、多くを追い求める方向へ自分を駆り立てています。完璧を目指したりないものを手に入れようと努力することにちからを注いでいるように見えます。でも、本当の目的はシンプルですし、人生で為し得るもの為すべきことは本当に限られています。

きらびやかなタイトルに惑わされないでください。目の前にあるもの、いる人、与えられた関係に目を向け、現状に耳を澄まし、余分なものを手放し振り落とすことに集中することです。他者と比べないでください。隣の芝生はいつも青く見え、比べた瞬間にあなたは負けます。青く見える隣の芝生は、他者に見抜かれることを恐れて青くなっているだけです。いつでも人の恐れの中身は同じです。

進んで他者に弱みを見せることができたらあなたは勝者です。それは愛への一歩に繋がります。

その勝利はひとつなるものを隔てる迷妄の壁を突破し、恐れが駆り立てる攻防の争いからあなたを目覚めさせ、あなたを平和の柱として光り輝かせます。

私たちが恐れの闇を光でひとつひとつ照らしていく時、私たちは戦争を終わらせ、地上に愛を構築するというもっとも重大な任務を果たしていると言えます。

私は、全てのひとりひとりがその内に光を灯し、そのおおもとの光の源と繋がるビジョンを慰霊の日の瞑想の中で観ました。それを実現するのはまず自分、そして一番身近な人たちと分かち合うことからです。そうしながらも、最上の、魂が喜びで膨れ上がるような最上の目的をいつも胸に灯しておくこと。慰霊の日にしるすことができることに感謝します。