愛さずにはいられない

昨日23日、勉強会を終えて帰宅いたしました。家族なみの旧友も参加してくれたり、東京で最後のサンクのライブに来てくださった長いお付き合いのクライアントさんとも再会できたり(8年ぶり!)1回目の勉強会のメンバーもまたいらしてくださったり、唯一の20代からは嬉しい報告をいただけたり(感涙)、東京、沖縄、そしてお電話と継続してセッションを受けていただけているまさに魂の仲間が集ったような幸せな一瞬の2時間でした。

みなさん改めまして本当に本当にありがとうございました。

今年はこれが最後となります。今年後半3回にわたって行うことができて本当によかったです。何より私の魂の栄養になり、自分の魂が望んでいることを、肉体を通して実現させていただいた思いです。分かち合ってくださるみなさんあっての私です。胸いっぱいしあわせです。

内容につきましては、本当に言葉足りないところだらけで、道々つけたしや補足を、内なる神に伝えております。きっとみなさんの内なる神とこびとさんが、みなさんにそれ以上をもたらしてくださることと信じております。

それにしても、2時間の間に本気で泣いたり笑ったり生きてることを確かめあったり、それを共有できる場って、ちょっと素敵じゃないですか?初めて会った人同士だったりするなかで。私昔1本だけつたない芝居の台本書かせていただいた中でのセリフと今かぶりました(笑)。

できましたら年内に、沖縄での勉強会をしたいなと考えております。

今回のテーマはずばり「結婚とパートナーシップ」でした。本当にこれについてしゃべるととめどありません。これほど研究したテーマもないほどです。究極の実践付きで。

すべての人間は、パートナーから誕生し、まずパートナーによって育成されるのですからこんなに探求のしがいがあるテーマもありません。

また愛とはなんなのかというテーマにおいて、可視化できる材料満載です。

さて、初公開のお話を今日は書きます。

先日、多分1か月前くらいかそこいらのことだと思うのですが、私がふと夫に
「ねえねえ、私たちって、運命だったと思う?」と尋ねました。すると夫は
「え、何言ってんの?そんなの当たり前じゃない。わかってないね~スピリチュアルのなんたるかをあなたは」と思い切り説教されました。

そうだとするとですね。私の数々の恋愛における失敗は必然だったのです。夫は10歳年下。しかもわりとのんびりペースで社会参加し、その後もう一回仕切り直して鍼灸師になっているので、結婚と同時にロケットスタートを切った感じです。ぎりぎりのタイミングで彼の(準備?)OKと私の(忍耐の?)限界が重なった感じの結婚でした。つまり彼が私の運命なら、私はどっちにしたって待たなくてはならなかったわけで、それまでの失敗にみえた出来事は学びと準備だったというわけです。

失敗している、という気持ちだけが余分であっただけで、それ以外にはすべてOKだったということになります。

ね、パートナーと出会えるかどうか不安な気持ちで待っているみなさん、それはただ、お互いの機が熟して最良のスタートを切れるための準備期間なだけかもしれません。いえ、きっと、望む人にとって、出会いは必ずあります。私たちは愛さずには生きられない生き物ですから。

恋愛についての一考察。


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沖縄で暮らして6年目に入り、いろいろな次元で刷新される感覚を味わっているこの頃です。結婚からもまもなく8年目に突入します。結構な中堅の領域に入ってきました。これはいつも思っていることではありますが、風間真吾という人と結婚できたことは、私の人生のもっとも大きな収穫であり神からの最大の贈り物です。振り返って思うのは、その思いは日毎に深く大きく、確信になっている、という発見です。

夫婦というのは面白いものです。ひとりのひとが異性を愛して結婚すると家族になる。我が家には子供はいませんが、カップルが家族になるということにはやはり大きな違いがあります。

先日お電話カウンセリングでいただいた印象深い言葉がありました。「恋愛って私が想像していた何千倍も奥が深いです!」

私もまったくもってそう思います。すべての人間は愛を体験するために肉体を持ってこの世に来ています。これは恋愛という意味ではありません。あらゆる存在とその関係性における愛です。そしてその愛というのはどこまでも無限に成長しうるものです。私たちは無限の愛をどこまでも体験し続けたいのです。表面的にどう思っていようとも。

無限の愛というのは言い換えれば神の愛です。ニューエイジふうに言えば高次元の愛、無条件の愛とも言えます。神の愛は実在するすべてで、すべてを含み存在し内在し育みまたそれらを超えて包括しています。宇宙のあまねきすべての背後にある存在させる力でもあり無でも無限でもあります。そんなものを人間が実感できるのでしょうか。しかし人間は神の似姿に創られたとも言われています。ですからきっとできるはずです。

そんなたいそうなものと巷の俗世間にありふれている恋愛というものは、似ても似つかないもののように見えます。でも、人間が体験できるとてもシンプルな、愛を育み体験できるチームはカップルであり、親子であり、家族でもあります。そのチームを足がかりに私たち人間は神の実験劇場で小さき神の子として奮闘しています。実験の目的は、愛を体験し探求することです。

私はこの実験に最もふさわしいパートナーと出会い一緒に実験に取り組むと約束することができました。どうして約束が必要かというと、この実験はなかなか難しいものだからです。心から、神に誓って約束しなければ途中で挫けそうになったり、疑いが出てきたりして、逃げ出してしまいたくなるような仕掛けがあります。確認テストもたくさんあります。そして毎日繰り返しドリルという課題が出ます。思いやりや根気や忍耐や精神力や赦しや、また技術や工夫も必要です。そうしないとこの実験に取り組み続け、すばらしい結果を受け取るのはどうやら難しいのです。そしてその受け取る結果というのはいつ、どのようなかたちなのかあまり公表されていません。いったいどうなれば最高金賞なのか、みんなこれという確証のないまま始めなくてはなりません。

でも私はどうやらその受け取り方が見えてきました。ギフトは毎旬やってきます。それは一見とても普通の日常のように見えますから、見過ごさない目が必要です。そうです。ギフトは普通の中に完全を見ることのできる目なのかもしれません。『それ』は、最高金賞!というより、『完全』に感じられる喜びです。『完全』というのは、なにひとつ狂いのない、どこまで細部に至っても見事に繊細に描かれた幾何学で成り立つ絵のようです。全体では平凡な図柄ですが、一本の線がよく見ると幾何学模様になっていて、どこにも破綻がない、そんな感じです。伝わるでしょうか。

私たちがこの世に持ってくる人生の地図は実はこんなふうに描かれているのではないでしょうか。全体を漠然と眺めるだけではその図柄の良さはよくわかりません。でもその細部に自ら赴きその幾何学の道をその足で歩むと初めて、その素晴らしさが実感としてわかります。その道を概ね歩き終えた時、初めて全体の図柄の意味がわかります。またはある一定のところを歩き終えたと思うと更にその一本に見えた線が幾何学でできており、その細部に更に入り込んでいく。その図柄は実は幾重にもだまし絵のように構図が見て取れるかもしれません。

そして平凡な家族や、一見欠陥だらけの構図の意味がだんだんわかってくる。意味というのは理屈ではなく、大いなるはからいのことです。そして自分の足で歩き尽くしたときに、その図柄全体を心から愛せるようになっていて、そしてその意味、はからいに魂からの感謝が生まれます。神の愛は、与えられたすべてを進んで体験してみないことには理解できないものではないでしょうか。

この世に今存在しているすべての人にはお父さんとお母さんがいます。どんなかたちであれどれほどの時間であれ、ふたりはカップルでした。恋愛というのは本当に小さな愛への扉です。でも人は恋という一瞬の盲目に陥った時に、普段では出ない力が出て普段なら恐れをなすような壁をも突破できることがあります。それは愛というより本能です。でも、そんな突破口を与え共に突破してくれた相手と、今度は恒久的に愛を育んでいくと約束をするのは理にかなっていると思いませんか。あんなパワーが引き出せ合える相手となら、今後の難しい実験も一緒にきっと乗り越えられるかもと、その可能性を信頼できると思いませんか。恋はその最初の信頼のために神が与えた本能ではないでしょうか。

思いやり、根気、忍耐、精神力、赦し、技術、工夫、それらは愛を地に降ろすための大切な資質です。でもすべては完全なる贈り物を受け取るためのもの。惜しみなく注いでもあまりあるほどの愛がそこに待ち受けています。

もちろんいつも言うように、結婚がすべてではありません。でも、求めてください。この世に生まれてきて、存分に愛させてくれる存在と出会えますように、と。それは自分自身でもいいのです。もう出会っている人は、もちろん存分に愛してください。そして限界にぶつかったら見直ししてください。私が無限の愛に設けている制限はなんだろう、と。ブロック、というのはこの制限のことです。

神の実験の目的が愛だということは明らかです。私たち人間はそのために与えられた知性におぼれて時にそのことを忘れています。使命を思い出すのであればそれ以外の答えはありません。使命を思い出すと多くの人は困惑するでしょう。どこから始めていいかわからないからです。知性は目に見える成果に慣れすぎています。最高金賞獲得のため以外の努力は評価されにくいものです。けれど、本当の使命に目覚めてください。汝の隣人を愛せよ、という聖書の言葉は本当です。聖なる書物には本当の使命についていつも書かれています。