思春期を考える


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「私」という存在にさしあたり強い影響をもたらすパワーである潜在意識(≒インナーチャイルド)。その形成期は14歳未満と言われます。しかし多くの人にとって印象的なのはちょうどその頃から始まる思春期ではないでしょうか。

先日のセッションでの気づきから、あらためて思春期のもたらす影響について思いました。肉体的に男女の違いがあからさまになり、恋愛感情に目覚め、実際に恋愛をしたり、恋愛へのあこがれを誰もが多かれ少なかれ抱いている時期。その頃に培われ、その後も影響を持ち続ける観念とはどういったものなのか。

もっとも顕著なのが「まわりとおんなじでありたい」であり、「みにくいアヒルの子現象」ではないか、と私は思います。

様々な個性を持ち、ユニークである意味ありのままであった幼少期から次第に私たちは、モテるかどうか、とか、嫌われたくない、というような思いがとても強くなり、流行にのっかり、周りの目に敏感になり、浮きたくない、という恐れが強くなります。それはまさに、自らのオスとメスとしての価値に重きを置くことへの結果のように思います。

この時期に多くの人が集団からの洗礼を受けているのではないでしょうか。そして、その洗礼を個々がどのように受け止め、そして自分をどのように扱いまたあるときは取り戻していくか、ということは、後の人生のテーマに大きく影響していくように感じます。

先日、母から30年ぶりのダンボール箱が届きました。私は22歳で家を出て戻っていないので、小中高大学時代の産物のあれやこれやが箱詰めされていました。父が亡くなったのを期に、母が少しずつ過去を整理し手放している余波として、こんなことになりました。

その箱詰めの中身の多くは、言葉でした。可愛らしい封筒と便箋に書かれた手紙はもちろん、レポート用紙やノートの切れ端に書かれ、丁寧に折りたたまれた友人からの手紙の数々。また驚くほど多くの、私が友達に宛てて書かれて投函されていない手紙の数々。私が書いた手紙の返信にあたる内容の手紙。それからなぜかとても書く機会の多かった各年代の作文の数々。

子どもの頃の流行りへの敏感さ、ミーハーさに驚かされ、思春期の人生に対する驚くほどおとなびた態度と、恋の悩みの幼さのアンバランスさに驚きます。

総じてその関心は、「他者からの評価」に終始しています。そんな意識のなか、私たちはおとなになっていき、社会からの評価というものに対象を変えそういったことに夢中になって時を過ごします。

内面の問題が顔を出すのは、そんななかで結局のところ日々の自分に関わってくるのは身近に取り巻く人間との関係であると気づくころです。

自己の人生を振り返って、その原因を探したり、打開する方法をみつけようとします。本から学び、セミナーへ行き、ネットでググって自分が「なにに当てはまるか」と考えます。

それらの行為の目的とはなんでしょうか。

「問題を解決して、まわりとおんなじでいられる」ようになることでしょうか。問題がない自分というのは、周囲と差異がないこと、という思春期的刷り込みの価値基準に自分を当てはめることへ回帰することでしょうか。・・・

退行催眠をすると、自己のなかの、本当の気持ち、本当の望み、本来の在り方に気づくことができます。催眠という名の、これが瞑想であるからです。私たちが、与えられた存在として存分に生きることを選ぶとき、持ち物に気をつけ、使い方をしっかり学び、目的地と方向性を次第にはっきりと定めて行く必要があります。何度も何度も修正を重ねながら。

他者から受けた影響、無意識に刷り込まれて習慣化したり観念化している想念のエネルギーは、それに気づき返上する必要があります。

私たちの精神活動とともに心は磨かれます。しかし磨くと必ず副産物として削りカスが出るものです。その削りカスは垢のように私たちの魂の輝きを曇らせ、自分自身にもそれを見せなくしてしまうことがあります。それを感謝とともに手放す行為が瞑想です。

しかしながら思春期に得た多くのものがあります。それは、後先なく自分をさらけ出すことができた時に起こる化学変化です。本気で、結果を恐れず、表現したり伝えたりなりきったりしたとき、それは地球というキャンバスに刻まれる美しい陰影となります。そのころ体で覚えたものは一生の宝になり得ます。