人間ってほんとにすごいのよ

「RUACH AZUによるヒプノセラピストのための講座」を開催中です。

ベーシック講座なれど、これまでの経験からの発見、学び、気づきをなるべくお伝えしたいがゆえに、膨大な情報量となっています。全身全霊を傾けて受け取ってくださる受講者さんに、またこのような導きを成就させてくださった大いなるものに感謝ばかりです。

究極、煮詰めれば煮詰めるほど言いたくなるのは「人間ってほんとにすごいのよ」ということです。
私がどうしても伝えたいと思う動機はそこに在るのかもしれないなと思います。

まだまだみんなきっと、自分の中の壮大なエネルギーにびっくりできますよ。
人生の中で、生きてるうちに体験してほしい、みつけてほしい。
みつける旅を始めてほしい。内面の世界の旅を。
潜在意識の探索はもちろん自己を知るための宝庫だけど、それは神をみつけるための作業に他ならない。
その奥の本質、(超意識、宇宙意識)ってところまで、みんなが目を向けるようになったら、世界はあっという間に変わるだろう。

それでなくても、私が出会う人はすばらしい人ばかり。
だから、世界はよくなるに決まってる、としか思えない。
いろいろと良くないニュースが目に付くけれど、本当に世界を動かしているのは、意識のエネルギーのほうだから。

今日も自分を磨きます。
壮大なすべてを内包するエネルギーの一部として、「それ」とひとつであるものとして。

感謝とともに
AZU拝

前世小ばなし。

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みなさんおはようございます。

私、スマホは持っていないのですが、パソコンはとてもよく使います。
お客さまともお話したことがありますが、飽くなき探求心で(笑)
PCは無限の百科事典のようです。

なんでもすぐに調べます。
なにか他のことを楽しむよりも
PCで調べているほうが楽しいのです。

それから、キーボードを打つのが好きです。

子供のころ、まだワープロというものも無かった
(無かったのか一般的でなかったのか)頃、
タイプライターにものすごく引き付けられ
そしてそれを引き寄せました。(笑)

親戚の叔父がもう使わないからとくれたのです。
ものすごく嬉しかったのですが
使い道がありませんでした。

しばらく持っていてぱたぱたと文字を打ったりしていたのですが、
結構場所も取るし、現実的でないので
手放してしまいました。

後に前世療法を初めてしっかり受けたとき
私の魂はヨーロッパあたりの町(地域)の新聞社で働く
女性ライターの人生を体験していました。

毎日タイプを打っていました。

仕事以外、家庭とか生い立ちは孤独で不幸でしたが
お仕事には恵まれて、タイプを打つことが
救いの時間だったようでした。

今世で惹きつけられることはだいたい前世での体験の記憶が影響している、
という典型的な例です。

タイプはのちに、ヒプノセラピストになったとき、
タイピングの勉強が必須でした。

早打ちソフト、というのを配布されて練習しました。
それで、セラピーの内容を全部記録するという
神業的な(笑)仕事をマスターしました。

今は手書きで全部記録をとってお渡ししています。

その過去世の女性の想念は解放し浄化しましたが
タイプが好き、というような部分は自然に私の身に残っています。

前世について、まだまだ誤解が多いののですが、
しっかり伝えていきたいと思います。

セッションにいらしてくださった方が
「わかりやすいです」「すごくすっきりしました」とおっしゃってくださると
私もすごく、すっきりします^^

今日はこの辺で。

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脅威の!世界。


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妹のご主人のけんちゃんの真似をして百均の老眼鏡の一番弱いやつを使って書いてます。いい感じです。

今更ながらですが、ヒプノセラピーというのは脅威の世界だと思い知らされます。どなたかが、驚愕のなんとかという本を出されていたような気がしますが、私の日常なので当時は、驚愕のねぇ、ふーんというくらいにしか思いませんでした。でもその気持が最近になってわかります。やればやるほど微細な部分がわかってきて、その仕組み細部までの凄さに圧倒されます。

人間が頭(左脳)で考えた「理由」というのが通用しないのが潜在意識の世界です。潜在意識にインプットされている記憶が、私たちの感覚を作り出します。私たちの思考とは別のところで、これらの記憶が反射・反応して感じ方を決めているのです。

最近よくある、この症状の理由はこういう気持ちから来ている式のハウツーというのはほとんどなんの根拠にも解決にもならないんだろうなーと、ヒプノのセッションを経る度に思います。だって、そう感じる理由というのは本当に微細な、その時のその状況のそのタイミングでの、体験によるものだからです。

私がヒプノの説明をするときに使う例えというのも、実際にやってみるとほとんどはハズレになります。例えというのは聞いて納得、ごもっともという感じがする事例を持ちだして理解してもらうために使うので、実際と重なる必要はないのですが、ハウツーというのは聞いて納得ごもっとも、という事例の羅列に過ぎない気がします。

オリジナルの体験からその人がその時に受け取る感想というのはその人の人生のその時にしか起こらないものです。そして、それはその時を過ぎれば忘れ去られてしまうか、もしくはただの形骸としての記憶となっているというのに、その感想から得た観念だけは生き続けるのです。

このことを見続けていると「自分を愛しましょう」だとか「自分を受け入れましょう」なんて言葉が虚しくなるほど、実際にそうであることは難しいということがわかります。ほんの小さな出来事から私たちは愛を受け取り損ね、自分を愛することはできない(したくない)と思い込んでしまうからです。時を経てそんなことはたいしたことではなかった、と納得したとしても、その時強く感じた「思い」はエネルギーとなってパワーを持ち続けながらアストラル体に記憶されているわけです。これは前世でも今世の幼少期(インナーチャイルドの形成期、概ね13歳以下)の体験でも同じことです。

アストラル体というのは感情のエネルギーという質を持つからだです。ここに愛から自分を分離させてしまう亀裂(傷)を持っていると、私たちは繰り返しこの傷をなぞるような体験をします。何度もチャレンジしてこの分離を作っている傷がまったくもって幻想であって、同じような体験にびくともせず愛からぶれなくなるまで、真の再生が起こるまでそれが続きます。過去世からの課題が繰り返すというのはこのことです。

こうして私たちは少しずつ、愛へと、真の自己へと回帰して行きます。しかし時として、この再生へのチャレンジは過酷過ぎて回帰への足を遠のかせてしまうことがあります。これがブロックと呼ばれるものです。傷の痛みから自分を守るために仮に貼っておいた絆創膏のような物ですが、ずっと貼っていたためにこわくて剥がせなくなっています。はがすのもこわいくらいなので、もはや近づくのも見るのもいや、まして触るなんてとんでもない、という状態になっているのがブロックの正体です。

ブロックを剥がすにはどうすればいいでしょうか。

ひとつには、絆創膏の中がどうなっているか解ることです。中が癒やされていて、きれいになっていることが解かれば絆創膏なんてこわくもなんともありません。

それからもし、まだ中身がじゅくじゅくしているなら、その手当をしてあげればいいのです。

前者はヒプノ、後者がエネルギー・ヒーリングと言えると思います。だから、様子をみながら両方してあげるのがいいのです。そしてそのどちらをするにしても、まず、この絆創膏、もういらないかも、と気づくことが大事です。それから、この亀裂、なんとかしたいなー、と思うことも。向き合うというのはこういうふうに思うことだけです。

前世とのかかわり。


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今日も書きました。

前世というものについて、いろいろなことが言われているし、いろいろな捉え方がされている。興味のある人も多いと思う。私はどうだっただろうと思いだしてみると、出会う前はあまり興味がなかったな、と思う。

私は自分の人生に精一杯だったし、一生懸命生きて、自分で考えて、自分で選んで、人生を生きていると思っていた。なかなかうまく行かないのは、まだわかっていないかまだ努力が足りないか、そういった理由だと思っていたと思う。

だからブライアン・ワイス博士の『前世療法』なんて、読みはしたけど特に感慨を抱かなかった。20代最後の頃、江上真吾さんという役者さんのプロデュース公演に出た時、共演した女優さんが『前世療法』を読んで魂が震えるほど感動した、と言っていたのだけど、どこがなのかよくわからなかった。彼女は確か、お母さんが今で言うヒーラーのような存在だったと思う。しかし精神を病んだクライアントさんに殺されてしまったと伺った。尋常でない何かを感じた。きっと彼女には何か導きがあったのだろうなと思う。江上さんは美輪明宏さんの舞台の常連俳優で、私は今はなき渋谷のジャンジャン(芝居小屋)の楽屋で美輪さんにご紹介いただき、この舞台を美輪さんが見に来てくださったりもした。本番直前に美輪さんが洗面所に行かれたため10分押しで開演になったのを覚えている。暗い舞台袖でスタンバって、舞台監督から開演押しの理由を聞いて無性に興奮した。当時はもちろんスピリチュアルブームの前である。

(余談だが、先日父と話していたら、父は以前美輪さんからごはんをごちそうになったことがあったそうだ。誰かの芝居か何かの後、共通の知人がいてそういう流れになったと言っていた。そして母は母で結婚前、母の姉と一緒に芸能界にいて、美輪さんグループとよく一緒に遊んでいた、などと言っていた。あと丹波哲郎さんとか。あれ?死後の世界はある、的な・・・。縁というのはやはりあると思う。)

私は夢物語があまり好きではなくて、とても現実主義なところがある。なんでも現実が変わらないなら意味がないと思う。それは昔も今も変わっていない。いくら天使がいても、現実と関わらないのならそれがわかっても仕方がない。私の現実と天使との関わりを体験し実感して初めて天使は存在すると言えると思う。同じように前世を知ったとしても、それが自分の人生にどう関わるのか、そして関わることでどう変化するのかがわからなければつまらないと思う。

しかし、今と昔で変わったのは、現実というものに対する捉え方である。

以前現実だと思っていたものは今では幻想だとわかった。そして現実というのは事実と真実からなるものだと思う。現実が変わらないと意味がない、というのは本当だけど、その現実を創っているのは自己の意識だということもわかった。だから、変わらなくてはならないのは常に自分なのだ。

前世というのはあるとかないとか信じるとか信じないとかいろいろと言われる。でも私が現実として付き合っている前世というのは、意識に確実に影響を与えている何かだ。しかも通常そこは無意識だ。だから自分の理論的な理解や努力ではなかなか改善できない。しかしそれを意識化し、さらに言語化して理解することで通常では考えられないほどの変化をもたらす可能性を持つ。多くの人がそれを体験している。当たり前だと思っていた自分の癖に気づいて一気に返上する、というようなことが起こり得る。癖というとちっぽけに感じるが、観念とか、価値観、世界観なども同じだ。

信じようと信じまいと、現実としてそれが起こるから、私はそこに原理という法則を見つけることができる。

原理を知ることは楽しい。一見無秩序のカオスに法則を見つけることができたら、私たちはそれを扱うことが可能になる。これは科学のテクノロジーと同じだ。

ただ、意識の世界は顕微鏡で見ることができない。それを見るめがねのレンズは心で、正しくそれを見るにはそのレンズを磨き続けるしかない。

心はその奥深くではみんなと繋がり、神と繋がっている。この世の不条理と言うが、不条理なのは人間の狭い視野からくる思考や欲望であり、すべては精密に緻密に秩序がかたちづくっている。私たちがまだ世界を知らないだけだ。

世の中が便利になって本当にありがたい。体力のない私がこうして探求を続けられるのも洗濯機や掃除機などの助手が優秀だからだと思う。便利な世の中だからこそ本当は人間はもっとどんどん世界を知るといいと思う。便利だけで満足したり、自分が機会や部品のようになって生きるのではなくて、世界を創る意識の一部であり、時にはすべてであるという自覚を持って生きられたらすてきだと思う。好きなことを見つけるために旅なんかしなくていい。適職を探すために旅なんかしなくていい。自分を探すというのは旅なんかしていてもできない。今ここで、自分と、自分の内面を深く知ることを始めるかどうかだ。