HSP~論文なみに長いです。ご注意ください(笑)

「敏感な人には、ものよりこころです」
昨日のセッション中、私の口を突いて出た言葉です。

これは私が長い自分とのつきあいの中で見いだした、体験に基づく教訓です。もちろん当初それは、自分の個人的な尺度でしかありませんでした。

実は、クライアントさんからある日、HSPについて教えていただき、ある時からその概念を視野に入れて自身や家族、クライアントさんと向き合ってみると、驚異的に普遍化と理解と統合が進むようになりました。

実は前回の勉強会でも、この概念を含めた意識の仕組みのお話をしました。

HSPは highly sensitive person つまり、とっても敏感な人々。
まんまじゃーん、という感じがしますね(笑)。
人間全体の15~20%を占める人がこれにあたるそうです。

このことについては、これまでの探求を紐づけしたいという思いと、紐づけするときりがないほど膨大な考察になる・・・との思いで、なかなかブログデビューさせてあげられませんでした。

そもそも、生きにくいというのはどういうことなのでしょう。
私は自分のことを「生きにくさの権化」のように認識しつきあってきました。

生きにくさは苦痛を伴います。私が自分が生きることへの苦痛を認知したの中学生の時です。それは単に年頃、のことではありません。当時すでに、家庭内は私にとって火宅そのもので、そこで生きていくことに限界を感じていました。義務教育が終わったら、私は自分の人生を築くんだ、そうしなければと意気込んでいました。なんの術も持たないまま。

そして高1でファミレスのバイトを始めましたが、その時の苦しさにノックアウトされてしまいます。自分の神経が異常に緊張していて、ミスをしないことに精いっぱい、しかも回避が不可能でした。家に帰ってからも、頭の中でぐるぐると、張り詰めた記憶が廻り、目を閉じると仕事場のバタバタがよみがえり、あれ?もしかして失敗したかも、と飛び上がるほどびっくりして眠っても目が覚めてしまいます。

疲れて仕方ありませんでした。実際はその時、中学からの仲良しの友人と一緒に働いていて、私たちは多分いつも笑顔でかわいくて、しっかりしていて、優秀でした。実際に店長からはとても気に入られていて、厳しくはあっても怒られても嫌われてもいませんでした。

友人はとても健全で、リラックスして楽しんでいるように見えました。自分はピリピリして必死で張り詰めて、ぐったりの繰り返しでした。

自分はもしかしたら、不適合者なのではないか、とその時初めて思いました。普通のお仕事を普通にこなせなない、普通に時間を過ごせない、と感じた、初めての体験でした。

この時の感覚は消えることはなく、悪化していきました。鬱を通り越して絶望の淵に行くのはあっという間でした。高校生でからだもボロボロになりました。動悸、息切れは絶えず、電車に乗るのも道を歩いても視線が刺さるように怖いと感じ、眠れず、起きられず、不快さは絶えず消えず、体重は増加し、食べては吐き、ニキビだらけで、自分が自分ではないようで、誰とも触れ合いたくなく、消えてしまいたい思いでしたし、もちろん誰も助けてくれませんでした。

結局私は大学へ行かせてもらいました。受かったのは奇跡だと今も思います。あれは救いでした。しかしそれでも、自立への焦りと不安は大変なものでした。

その後も私の抑うつや過敏や恐れはどんどん増していきました。
その頃には弟が統合失調症を発症し、やがて問題を起こして一般社会からドロップアウトしました。自分もそうなるのでは、という呪いに恐れおののいていました。

とにかく自立の道から落っこちたら人生がおしまいになる、と、戦っていました。
よく周囲から「生き急いでるよね」とか「戦っているよね」と言われましたが、何言ってるの?辞めたら終わりでしょ、としか思えませんでした。そして、どうしてみんなそうでなく息をしていられるか不思議でした。

社会には、心の問題を扱う概念がほとんどありませんでした。心の不具合は精神病であり、薬物と電気ショックと隔離が対処法。救いを求めるのは病院か宗教か自己啓発、というような行き先でした。唯一、芸術、というのが私にとっては希望の光でした。いびつさを魅力に変え、敏感さを才能として開花させれば生き残れるのでは、というような感じです。父がそうだったように。

私も、多分社会も、硬直しきっていました。

芸術方面で知り合った友人から、スピリチュアル、という概念が届きました。女優のシャーリー・マックレーンの本が世界でベストセラーになった頃です。でも私にとってそれは現実的ではありませんでした。見えないふわふわしたものに頼るなんて論外で、それは文学や芸術作品の一部のように感じられていたと思います。しかし、自分を再認識し、育てなおす必要性は充分に感じていました。なにしろまず、健康にならなくてはなにもできません。

心の問題を探るとき、まず手がかりになったのは「アダルトチルドレン」でした。
少なくても間違いなく自分はそこに当てはまることができ、世界で独りぼっちではないということは理解きました。

しかし、アダルトチルドレンの回復のプロセスはまた、非常にそそらないイメージでした。当時は権威の匂いがするところと関わりたくありませんでしたし、グループで体験をシェアするみたいなイメージも苦手でした。また先が見えている感じがして、希望もわきませんでした。

私は父の精神的な病気のため、子供の頃精神病院へつき添ったりしていて、父の状態や家族をほとんど理解できない病院に対して非常に不信感を持っていました。また私の体調や心の不具合を誰も見抜けませんでしたし、誤解も受けました。それ以上誤解されたり実験の対象にされたりするのはまっぴらでした。それ以前に、のほほんと自分の治癒に時間を費やすなんて論外でした。なにより、大学を中退し家出同然に家を出た私は貧困でした。自立を確保すること、また、家族の問題の嵐に圧倒され巻き込まれないこと、生きていること自体をいやにならないこと、それだけで、いっぱいいっぱいという感じです。

ただ、アダルトチルドレンの原因と、不幸のスパイラルを繰り返すという特性を持つという事実と、そのからくりは非常に納得でき、自分がまさにそこにどっぷりはまっていることは重々理解できました。当時は原因を探ってはさらに絶望、というところに居ました。

こののちに、アダルトチルドレンのトラウマ、認識の歪み、知覚の過敏、愛情の欠如による心の不安定などに有効な改善法に出会い、それがヒプノセラピーの退行療法、インナーチャイルドワークであったわけです。出会うまでには更に長い月日が経っていました。それまではひたすら意識の法則を学び、こつこつと意識的に自分と向き合うという実生活での実践が続きました。もちろん祈りもしましたが、神さまは遠いどこかにいて、多分そちらからこっちは見えていないだろう。見えたらこんなひどい状態で放っておくわけがないと感じていました。

長くなって恐縮ですが、話を戻します。最近になりHSPの概念を組み入れたところで、この敏感さというのが、ことさらにトラウマのひずみを非常に強く根深く自身の心(潜在意識)に刻み込んでしまうということに気づきました。つまりさほど強烈な体験でなくても、些細なことから大きな傷にしてしまうのと、さらに影響が薄れないで長く引くという傾向です。

この発見は納得でした。自分にはまさに当てはまりますし、長いインナーチャイルドワークの臨床から、クライアントさんの多くが「それほど過酷でない環境で育ったにもかかわらず、深い傷を受けている」という実例を数多く見てきました。というよりほとんど、幸せな家庭で育ったにもかかわらず、です。

彼らは「自分より不幸に、厳しい中で育った人はたくさんいるというのに、生きづらさを感じてしまうなんて、これは自分が怠けているからか能力が足りないか、もしくは性格に問題があるのだ」と認識しているのです。これは実は私にも充分に覚えがあります。

幼少の時から私の母はなにかにつけて、「もっと不幸な人はいくらでもいる。文句を言うな」という論調でした。私の弟は生まれつき顔と全身を濃いあざで覆われていて、見た目にぎょっとするくらい目立つのですが、母はよく、「知恵遅れよりうんとまし」というようなことを言いました。そうやって自分を鼓舞していたのだとはとても理解はできますが、子供の私はそういう対比そのものを残酷で差別的だと感じました。

また弟以外の私や妹に対しては、弟以上の問題を持つことは決して許されませんでした。妹はこれも生まれつきひどいアトピーであったり、おできやトビヒや喘息、ひどい車酔いで大変でしたが、私の知る限り弟以上の扱いは決して受けませんでした。ですから私など論外です。ちゃんと立派に産んだのに問題を持つなんて、という婉曲の圧力をよく受けました。

母の名誉のため申し上げておけば、母は戦争で父親を亡くし、戦後満州から引き揚げるまでに1年以上も、母親と幼いきょうだい3人で逃げ歩きながら暮らしていたという体験を持ちます。追われて高い塀を乗り越えて逃げまわったり、ソ連兵が来て母親は屋根裏に隠れて子供たちだけホールドアップしたり、日本へ戻ると家屋敷を取り上げられたらいまわしにされ、弟のために進学をあきらめ就職し、就職では父親がいないと差別されたりと、さんざんな成長期を送っています。

ちょっと傷ついたくらい、それがなんなの?という価値観を持つ理由は山のようにあります。彼女こそが非常に感受性の強い、無意識のトラウマを持つアダルトチャイルドでしたが信じられないほど強い信念の持ち主です。

それに引き替え私は、過酷な環境であるとは認識しながらも、ちゃんと食べられ、ものも与えられ、教育も受けさせてもらえ、父親は精神不安定ではあっても仕事である程度成功し有名人のはしくれでもありました。なのに私は根性なしで忍耐力、持続性に欠け、傷つきやすく虚弱でした。

父への恨みを母からさんざん聞かされた上に、私の苦しみはいつもいとも簡単に抹殺されました。お聞き苦しいと思いますのでこれ以上は控えます、というくらいそれはひどいことがたくさんありました。そして私は苦しみながらも、「自分には苦しむ資格さえない」というその考えを受け入れてもいました。自分より苦しい人はたくさんいるのに、と。

それがどれほど自分への愛と信頼を失うことになるのか。自己評価を失い、尊厳を侵され、生きる意欲すら削いでしまうことになるのか。あたりまえのことですが、問題なのは出来事や条件ではなく、「それをどう感じ、認識し、受け止め、そして何を学ぶか」です。

HSPへの認識によって、個々の自由がさらに尊重されると同時に本当の自分を取り戻し生きることが社会の中で重要視され普遍化されるようになることを願います。

またこの敏感さと別に、共感力、というのも非常に重要な概念です。これについてはたびたびブログでも触れましたが、共感力だけでその普遍性を説明できないことも多々ありました。

共感力は、たとえば、他人の感情や痛みを自分のもののように察知し、時にはそれを実際に自己に起こったように感知してしまうという能力ですが、知覚が敏感な人でも共感力は比較的、或いは極度に鈍感という人もいます。

共感力の強い人から見ると、自分の心情を説明なしにわかってくれない人は鈍感なのですが、そういう人も例えば音や光には非常に敏感で、絶えずそれに反応していて疲れている人もいます。そういう人は無意識であることが多くトラウマ自体を発見しにくいものです。ですが、実際は得体の知れない無力感を抱えています。自分の知らない自分が勝手に反応しているわけですから、自分を愛しにくいとも言えるでしょう。

どちらにしてもそれは他者との相互理解の溝となり、不快さや傷つくことを避けて、コミュニケーション不全へとつながっていく可能性が大です。

例えば今では発達障害など、様々な症例がありそれには名前がついています。器質的な損傷があるものもありますが、はっきりしないものも多数でしょう。それらを無理に個性なのよ、と思おうとしても、実際の不具合の不快さには勝てません。それは自己不信、他者への不信、誤解、愛と信頼の欠如、おそれ、無気力、生への放棄をはらみます。

実際には、全体的な理解と、具体的な自分取り扱いをマスターすることで、本来の自尊心と信頼の気持ちが回復します。人が健全に、尊厳を持って生きるのに絶対的に必要なのはそれです。それこそが、愛を持って生きる生き方なのだと私は理解しています。

私たち人間は、愛によって満たされるまでは常に欠如を抱え、また愛の欠乏によって傷と心の限界の壁、すなわち分離を作ります。傷と分離は、注意を向けられ手当されるまでは外側、他者から愛を補います。傷が深いと愛はダダ漏れになって、周囲から知らずに奪い続けるカルマを作ります。善意であれ悪意であれ関係なくそれは起こります。

私たちが自分の中の傷や分離に向き合い、他者から愛を奪うのをやめるとき、その源へつながることが必然になります。それが、私の言う、内なる神です。人には愛が必要というのは、誰にもうっすらと理解できると思いますが、神が必要と言うととたんに怪しまれます(笑)。

しかし神という無限の源泉とつながらない限り、その愛は制限付きの愛でもあります。癒しは神によってしかもたらされないというのが、この世の真実だと、やはり私は思います。

冒頭の命題とちゃんとつながったでしょうか。長文とおつきあい、まことにありがとうございました。

AZU拝

共感力。


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自分が自分の人生で精一杯だった頃は、ろくに世の中を見渡したりはしなかった。自分の宿題があらかためどが付いて、家族の問題にも向き合えるようになって、ふと、世の中を眺めると、呆然とすることがある。

情報を遮断することは、この南の島のはずれの、私の環境ではある程度可能だ。確かにここは静かだ。けれどだから地球が平和だというわけではない。今ここというのはもちろんそういうことではない。ひとたび情報の扉を開けば暴力や破壊的な想念が飛び込んでくる。自分が癒されるほどに、暴力や破壊的な想念はとても微細にリアルに感じられる。

意識を拡大するということは、見通しが効くということであり過去も未来もここにあることを知っているということだ。多くの共感力を持った人が、起こっていないことに苦しむのはこういう理由であると思う。訓練の段階で、起こっていることといないことを認識するのは大事だ。例えば「私はあの人にこう思われているのでこうなってしまう」というのは推測に基づく仮定に反応し、自分の対応を決めてしまっている。「こう思われているというのは、本当ですか?」というところから問い直さなければならない。カウンセリングというのはこういう問い直しの連続だ。

共感力を、周辺を察知するために使ってしまうとこのように外界に反応しつづけることでへとへとに疲れてしまう。不特定多数の人と一緒にいるだけで、人数分の神経を使って、自分の軸がなくなってしまう。

共感力というのは、進化のために欠かせない重要な能力だ。お猿さんが集団生活を円滑にするために「笑顔」というものを使う。その笑顔の意味は「敵じゃないよ」である。その意図は「だから攻撃しないで」である。その機能は防衛であり本能からくるものだ。しかし人間はそれ以上のなにかをそこでつかもうとする。防衛を超えた共感、それは思いやりや優しさや理解、受容とった連帯だ。愛の表現の一部だ。

人間は常に、防衛か、愛か、というせめぎあいの狭間に立たされているように思う。エゴか高次元か、と、スピリチュアル信奉者は言うかもしれない。しかし何を信じていようが起こっていることはひとつだ。防衛か、愛か。

「右の頬を打たれたら左を差し出しなさい」「銀の食器を盗まれたら、銀の燭台まで差し上げなさい」というのが神の教える秘法だ。人間は、愛によってしか動物以上のものにはなれない。もし動物でいようとするなら人間という動物はとんでもない秩序の破壊者だろう。動物は生存のために本能を使うが人間は欲望のためにも巧妙な知恵を使うからだ。人間は本能に生きる動物には真似のできない、神のやり方を学び使うために存在している。愛を体現することによって。

もしこのやり方を実践したことのある人なら、その威力の大きさを実感済みだろうと思う。そこには奇跡がある。自分と、自分の最も身近な人との間で起こった奇跡は家族全体にひろがり、友人と友人の家族にひろがり、社会にひろがり、国家間という大きな単位の家族にひろがる。それが平和の確立だ。

日本という家族の動向を率いる首相のやり方、発言を見ていると、今のところ幻滅する。「右のほほを打たれるのを待って、闇討ちしたい」とか「番長がやってるから闇うちにのっかる」という精神が見え見えだ。要は戦争がやりたいのだ。そして、そういうのをやれやれとのっかる国民がいったいどれくらい存在するのかと想像する。

先月、「母べえ」という映画を見た。第二次世界大戦前と最中の世相が描かれていた。多くの日本人は「戦争に勝てる」と思ってそれを楽しんでいたんだというあたりが伺えた。戦後日本は思い切り戦争を恥じて反省したのだとばかり思っていたが、本当は敗戦を恥じてリベンジを狙う思いが集合的に(あるいは一部に)潜むということもあるかとふと思う。母べえでは近所のおばさんが「どんどん勝って気持ちいわね」と浮足立ちながら戦利品の配給を貰いに行く場面がある。また隣組の組長さん(商店街のおじさん)は米英との開戦に「そうこなくちゃ」と胸を張って言う。とてもリアルに感じた。戦争が破壊するものをなにも理解していない人の感じが。彼はとても親切で善人なのだ。普通のおじさんなのだ。

相手の気持ちになって、身になって、相手の痛みや喜びを想像する、というのは、愛の第一歩だ。現代のスピリチュアルのワークでは、そういうことが自然に出来ていてなお、そこから来る弊害に苦しむ人を救済するのが大きな仕事である。私たちはその先へ行かなくてはならない。しかし、戦争などの破壊行為はまず相手の身になって痛みを知る機能をぶっ壊し、マシーンか、アニマルになることで目的を達する。切磋琢磨には摩擦は必要だ。けれど、立ち上がれないほど破壊するとか、殺す、という選択肢はいい加減卒業したいものだと思う。未来の人間たちに恥じない今でありたい。戦争にまっしぐらの日本。魂のリーダーが政治を率いる時代はまだ少し遠いのかなと待ち遠しい。