私を苦しめた思考

過去に非常に苦しい鬱状態を経験したとき、最も自分を苦しめた要因の一つが
『私はほとんど、この世についてわかっている』
という思考だったと思われます。

鬱であるかどうかにかかわらず、その思考は視野を狭くし、自分と世界を小さな枠にはめ、未来、希望というものを過小評価し、今、あるがままなどを見えなくしてしまいます。

多くを考える人ほど、この思考にはまることが多くなります。
そしてまじめに考えすぎる人はやはり、鬱になりやすいと考えられています。

『私はほどんど、この世についてわかっている』という思考は
『私は生きて行っても、これ以上よくなることはない』という思考と似ています。

私はほとんど、理解していて、その中で精いっぱい努力している。
それでも心の苦しさ、居心地の悪さ、自分への無価値観、世の中の理不尽さ、欺瞞などは解決する兆しもない。
だから・・・

こういった声は心のどこから聞こえてくるのでしょうか。

潜在意識は理論ではなく感覚、感情、本能的な記憶を、感覚的に、無差別に記録しています。
私たちは外界から五感によって刺激を受けるたびに、体内や気分にその感覚を蘇らせ感じています。

そこに不快な感覚、落ち着かない、安心できないなどの感覚があったとき、考える人はそれを感覚によって感じるよりも、頭で整理しようと試みます。
なぜかというと、感覚の世界こそが不確実で不安定な世界だということを体験によって認知しているからです。

子供のころに家族間で感情のぶつかり合いなどによって、恐怖や不快さ不安定さを体験した人などは、なおその傾向にあるでしょう。

そこで、思考によって理由を探しあてがうことで、内面的に安定しようという進歩的な試みをします。

これは最初のうちはとても画期的なやり方だと思われます。
内面的な不快を感じることなく、感覚を処理できるからです。

しかし実際は、思考によって処理できる感覚というのは本当に今目先にある表層の部分だけです。
ですから水面下では、その感覚は処理されることなく、水面の波が静まったあとの大海の海水そのもののように、そこに存在し続けることになります。

『私はほどんどわかっている』という思考は、その水面の波を見て海を知っていると言うのと似ています。
その表層はあまりに平らすぎて退屈だと思ったり、またはその逆に荒波に恐れをなして、またはゴールだけにしか興味が持てずに、その航海に出ることから退いてしまうのです。

つまりこの声は思考の声ですが、その声は潜在意識の中の見えざる不安定さが思考に言わせていている、と言えるかもしれません。

ではどうすればその無間地獄から抜け出せるのか。

大海の水面ではなく、海中へと潜ることです。海中を味わうことを楽しむことです。
意識の世界で言うなら、それが瞑想です。
そして、まずは楽しむための準備をする、それがヒプノセラピーなどの潜在意識下、変性意識下で行うワークであると私は考えます。
楽しむにはまず慣れて馴染むことが大切だからです。

海中に潜ってみると、『私はほどんど、なにもわかっていなかった!』という、最高にハッピーな気づきが訪れます。
それは真実であり、自由であり、解放なのです。

自分はほとんどなにもわかっていなかった、と気づいていかれる多くの方をこれまで拝見してきました。
その時の安堵や、解放感というのは、何度ご一緒に体験しても本当に幸せなものです。
それ以上の感動というものはありません。

その解放こそが、魂とともに生きる、人間の再スタートラインだと私は思います。
多くの方がその人生で体験なさることを願っています。


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