どんな自分を生きたいか

ヒプノセラピー(催眠療法)をやっていると、いろいろな方のお腹の中の記憶に触れることができます。こんな体験が日常だなんて貴重すぎる、という気持ちです。物言わぬ胎児の心の声ですからね。

私が見てきた多くの胎児は、お母さんとの関係、お父さんとの関係、という意識をすでに持っています。もちろん言葉では認識していませんが、「喜んでほしい」「がんばらなきゃ」「楽しみ」「もっと気持ちを向けて」などの感覚を、お母さんの声や心音、またお父さんとのやり取りの中で、テレパシー的に捉えています。

また、過去世の感覚的記憶が残っている場合も多く、「なんとなく(生きるのは)しんどいな」「出たくないな」「また(あんな思いをするの)か」などと感じている赤ちゃんもいます。

私が総じて重要だと感じるのは、その最初の関係性、つまり両親との関係の中で、すでに心の中に求めているものがあるということです。

生まれてきてからは呼吸を始め、おっぱいを飲み、苦しいとか暑い寒いおなかすいた、気持ちいい、もっと、など、からだの欲求を学ばなければなりませんが、それよりも前に、お母さんという存在に対して「愛してほしい」さらに「愛したい」という思いの片鱗を多くの人が持っているのです。

人間は最初のアイデアとして、そういう青写真を持っています。言ってみれば、人間は愛するために生まれてきている、ということの証なのだと思います。

さて、この世に生まれてからというもの、先程述べたように赤ちゃんは、肉体を生きることを懸命に学びます。そして最初のアイデアの優先順位は次第に下がっていきます。数年するかしないかで、集団という社会に飛び込み、外界から世界を学ぶことが日常になっていきます。

おとなになるにつれ、今度は自立という課題がやってきます。就職、経済、そして結婚、などと、愛で結ばれる関係すら対外的なリストに並んできます。それから人によっては子育てという重責がかかります。その頃には人は、社会からの評価というものと自分がすっかりひとつになっています。社会から、集団から見た自分が自分の価値だというふうに身に染みています。

そうなるとその自分がうまくいっている限りは、本当の自分に触れるチャンスはなかなかみつかりません。チャンスがきたところでそれはなるだけ迅速に「処理すべき問題」としか目に映らないでしょう。たいていのことは排除するか、スルーするか、何かしらの機関に依頼するかして対処します。

すると今度はいよいよ、既存のやり方ではどうしようもないようなかたちで、チャンスがやってきます。パートナーシップか子育てか、という愛のやり取りに面と向かって初めて我に返る方も多いかもしれません。それが、あなたを本当の目的、最初のアイデアに注目させてくれるはずです。

本当の自分とはなんだったのか。そもそも、なにがしたかったのか。なんのために生まれてきたのか。

内なる真の自己はいつもあなたにそう問いかけます。「あなたはだれ?」と。そして、その人生において、何を、誰を、真に愛しますか?と。

本当の自分を取り戻すことは恐らく、どんな人にも、誰にも必要なことです。私たちは自分が愛という意識だということをいったん忘れ、肉体としての自分を乗りこなすことに集中せざるを得ません。そしてそれが軌道に乗った頃にはすっかり最初の目的を忘れています。乗りこなせる自分に夢中なのです。

愛するものを今生で与えられながらも、それに深くは気づかずに人生を送っている人も大勢いると思います。人は愛についてこそ体験しなければ(実感しなければ)ならないのに、他の多くにあまりに気をとられます。

どのような人もすべて、最初は同じところからやってきました。種が違う?魂の故郷が違う?いいえ、そのもっともっとおおもとは、ただ一つの神だったのです。ただ一つの愛という意識です。

私たちが思い出すべき最も重要なことはその点にあると私は思っています。

目的地

フローレンス・スコーヴェル・シンという人の言葉で
「タクシーに乗って、行き先を告げずに『走ってください』と言っているようなもの」
という表現があります。

世の中を見回すと、これを思い出す機会が多い。

神なきスピリチュアルもこれ。

最初は走っただけで変化を感じて楽しいもの。
進んだ感じがするもの。
でも目的がわからない。
そのうちまた、ただグルグル回っていただけだった、と気づく。

一方意識はらせん状に進化する。
だから、いったん上昇した、と思ってもまた必ず下降線を描くようになる。
(厳密には、そう感じさせるだけだが)
多くの人がこれを恐れる。(もちろん私もそうでした)

ただグルグル回っているのと、らせん状に進化していることの違いは
その向こうに目的地があるかどうか。
(本当は、どの次元を見ているかだけど)

スピリチュアルの教えやワークを実践しても
目的地が自分ではっきりわかるまでは
それがたとえ、らせん状の進化だとしても
人は恐れ続ける。
目的地がはっきりしないときの自己判断基準は
体感や感情や気分か、物理的達成のどちらかだからだ。

それらはどれも
終わりのない戦いだ。

目的地は
私たちがどういう存在かを思い出すことだ。
過去世がなにだとか、別の惑星から来た魂だとか
そういうことではない。

大事なのは私たちの目的地はどこかということをみつけ
それに向かうことだ。

なにが私たちに与え、なにが赦し、癒すのか
なにが導き、なにが気づかせ、なにが教えるのかということだ。

それはこの宇宙でも自然界でも
地球上に神とあがめられている存在でもない。

心を感じ、みつめ、そして
その奥深くへと進んだものにしかみつからない。

それが目覚め。

目的は、目覚め、それとひとつになること。
それ以外にはない。


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