わるいものなんてひとつもない

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朝目が覚めると、「わるいーものなんてない。わるいーものなんてない♪」と
「清く正しく美しく」が頭なかで鳴っていました。

「この世にあるものはいいものばかりに決まってるー♪」

この歌詞の意味は本当に深すぎて
多分、一元論を学ばないとなかなか理解できないのではないか、などと
勝手に考えたりしております。

私がこのことを実感として受け入れることができるのは、
確かに一元論というのものを理解し受け入れたこともありますが
実際には、この歌詞のとおりで

「きみがいてくれたら」
なのです。

私は30代なかばまでは、
地球人であることにまったく希望を持てませんでした。
自分という存在にも、自分がこれから出会う未来にも。
そして今の自分というものにも、自分の置かれている状況というものにも
まったく納得がいっていませんでした。

もちろんとても努力をしていましたし
諦めてもいませんでした。
それこそ、今日よりも明日、というふうに
1日たりともムダにしないよう
精一杯に生きていたと言えます。

それなのに、それでも、いえ、だからこそ、
心のなかを正直に感じてみると
希望よりは絶望が強く
満足より不満が大きく
平安はかけらもなく
不安でいっぱいでした。

そして、できるだけこの地上でこれ以上
そんな体験をしたくなかったので
なるだけ早くお暇したい
できるだけ衝撃少なくさり気なく立ち去りたい
というような心持ちでいました。

努力や態度とはまったく裏腹に。

夫と出会って、お付き合いのようなものが始まって
しばらくしても私は変わっていませんでした。
彼の前向きなパワーもきっと
私としばらく一緒にいたら
萎えて逃げ出すことだろうと
薄々思っていました。

ある時高円寺の商店街を一緒に歩いていた時
私が本当に思わずため息をついて
「これから先、私の居場所って地球にあるのかなー」と
ごく自然な本音を漏らした時
彼はピカピカの26歳のすんごい笑顔で
「なにいってんのーおこるよー。おれがいるじゃなーい」
と、若干ばかっぽい感じで言いました。

40歳を間近に感じる疲れた私が(当時37歳でした)
なぜそんな言葉を本気にすることができたのかわからないし
応えもなにも期待もしていなかったし
ただ不意だったのでびっくりしたのか
つい信じてしまいました。

言った本人はすっかり忘れていたみたいですが。
あげくに「テクニックだよ」と偉そうに言い放っていますが。
(この「テクニックだよ」は私の父のモノマネですが)。

結果的には私がつい信じてしまったこれは
真実でした。
私はようやく
自分を愛することと愛を受け取ることに許可をできたのです。

そして
私は本当に辛い思いをたくさんして生きてきましたが
どの一つでも欠けてしまうと
彼に出会ってこうして幸せに生きることもなかったかもと思うと
過去のすべてを愛さないわけにはいきません。

彼の目に映る、彼が見ている私が
彼の愛する私であることが
すべての答えです。

私は子供の頃からずっと
みんなに幸せになってほしい、という
強い思いを持っていましたが
幸せになろう、なれるよ、と
強い気持ちで言うことができるのは

彼がいてくれるから。
わるいものなんて、過去にひとつもなかったのです。

毎日がバレンタインデー


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今日は窓全開の沖縄南部です。ベランダでおひさまに当たるとやや暑いくらい。いいです。ありがたいです。

ここのところのセッションでは、パートナーシップについての課題が続いています。バレンタインデーでもありましたし、少し書きます。

インナーチャイルド、アダルトチルドレンの問題というのは尽きることのない人間創造の基盤です。自分には関係ないと思っていてもある時、恋愛で壁に当たり、人間関係という課題にぶつかり、結婚しても夫婦や家族の問題となって現れます。探求すると必ず行き着く先にそれはあるはずです。

早くから自己の内側になんらかの未解決の課題があることに気づく人の多くは、幼少期に「家族の問題」を感じている人が多いのではないでしょうか。家族の問題、というのはもっとはっきり言えば、お父さんとお母さんの間のパートナーシップの問題であり、その原因を辿ると、それはもう、「男女の恋愛問題のもつれ」につきるのです。

このもつれは解決のために互いが向き合い「ゆるし」を与え合わない限り「毒」を排出し続け、その毒は着実に蓄積していきます。二人の間に、そして、二人の間に子どもがいた場合、その子どものインナーチャイルド(潜在意識)の中にその毒は封じ込められます。

これが俗に言う親の因果が子に報い、というものであり、その子が乗り越えるべき課題になっていきます。

いつも言うことですが、お母さんはそれを恐れるべきではありません。ですが、気づくことはとても重要です。気づかないうちにお母さんは自身の恋愛問題を「家族の問題」にしてしまい、無意識に子どもにもその責任を負わせることになってしまいます。

これは例えばお姑さんとの関係、という問題であろうと同じです。それも本当はパートナーとの問題なのです。本来夫婦で向き合って乗り越えるべき課題(なぜならそれは夫の母子関係にある課題であり、それは誰かに丸投げしていいものではありません。夫も、妻の理解と愛に支えられ少しつづ成長して乗り越えるべき課題だからです)を単に嫁姑の間に溜め込んでしまうことになり、子どもはおばあちゃんとおかあさんの愛情の板挟みになります。子どもはお母さんの味方であるために、家族の誰か、或いは自分を、或いはみんなを憎まなくてはならなくなり、さらにお母さんはその重荷に少なからず怒りを感じ、それは蓄積されます。

そして、この問題を解決できるのは、夫婦間でしかありません。それ以外の人には不可能なのです。ですからこれは家族問題ではなく、男女の愛情問題なのです。

そんなことを言っても夫は仕事で忙しいし、ちゃんと聞いてくれないし、とおっしゃる方が多いのは当たり前です。それは必ず夫にとって「不満の訴え」に聞こえるからです。実際そうなのかもしれません。

男女が結婚するというのは、愛が成就した歓喜に満ちた祝福ですが、同時に恋愛を成就させる努力を怠るスタート地点にもなります。結婚は恋という思い込みをだんだんと薄れさせながら互いの真実の愛を育てる温床になるべき場です。しかし実際、男女は家族になったとたん、役割分担をし、それに則って規則と責任を互いに負わせます。しかし多くの夫婦はその約束を明確にはしないし、最初から適した約束は作ることができません。なぜなら結婚生活は予測したものとおおかた違っているからです。

「マインドトレーニング」という本の恋愛と結婚の項目に述べられている内容はパートナーシップについて圧巻です。私たちは安定した形を求め続けますが、それが手に入った途端に、そこにエネルギーを流すのを止めてしまいます。相手がきっちりと役割を果たし約束を守ってくれることを無言のうちに要求し、代わりに自分もそのルールを守るから、という取引をします。しかしそう決めた途端、毎旬に感じる自由で愛に満ちたエネルギーは消えるのです。

では、どうしたらそうならずに済むのでしょうか。そうならないとき、結婚とはどのような様相を示すのでしょうか。毎日恋愛のときめきやドキドキがなくてはならないのでしょうか。ときめきとドキドキこそが男女の愛だと思っていると、多くの人はある年月が過ぎると新しい相手を必要とするでしょう。

幼少期に両親の、男女の恋愛問題のもつれに巻き込まれて育った人の多くは、お手本になるような結婚を見たことがない、と言います。どうひいきめに見ても結婚は惰性と忍耐と不条理の温床ではないか、と。私自身がまったくもってそうでした。ですから自分が自分の人生で一番困難を感じたのはズバリ恋愛です。今でこそ、家族にも信頼があり結婚してもますます幸せに生かしていただいていますが、ここまで来るのは本当に困難な道のりでした。

夫婦が毎日新しい幸せな1日を迎えるには絶対に努力が必要です。その努力とは相手の欲求に応えるということではありません。多くの善き人はそんな努力をしています。ですからそれ以上の努力と聞いただけで拒絶反応が出てしまいます。またどちらかと言えば、子どもの欲求に応えて、夫からの愛に飢えている状態の人は多いかもしれません。子どもにこれだけ与えているのに、夫からの見返りは少ない、と。しかしその場合夫から見れば自分は子どもと妻のためにすべてを捧げているのだから、少しくらいのご褒美があってもいいのではないか、と感じているものです。

答えは簡単です。

➖自分の気持ちをよく知ること。なにを感じて、なにが欲しいのか。

➖なにが欲しいのかと聞かれると考えこんでしまう人も多いのですが、本当に欲しいものは愛しかありません。

➖ですから、もしなにかが足りない感じを感じたら「私は愛が足りてないのね」と気づいてください。

➖そして、それを自分で自分に与える許可をしてください。

➖自分で自分を抱きしめ、自分で自分の気持ちに思い切り共感してあげてください。

➖そしてそのことをどうか、パートナーに知らせてあげてください。

➖そして、パートナーから存分に愛を受け取る許可を自分に与えるのです。

➖私はこういう気持ちでした、私はこう感じました、という話しをたくさんしてください。

➖それから、パートナーにも同じように尋ねてください。

➖今日はどんな気持ちで過ごしましたか?辛いことはないですか?もっとしてもらいたいことはありますか?私の愛はちゃんと届いていますか?

もしこれだけのことができたら、互いの心のキャパシティーは圧倒的に広がります。そしてこの積み重ねが互いを世界でもっとも私をよく知る理解者へと育てます。結果的に、今以上の努力は必要無くなり、今までどおりのことがずっと容易にできるようになります。なぜならすべてを為すためのエネルギー、原動力が愛によって流れ始めるからです。

今日なにをしましたか、ではなくて、今日、どんな気持ちを感じましたか?どんな心持ちで過ごしましたか?です。

互いに別々の場所で別の時間を過ごした二人が、互いの時間を1つに共有するのです。今日の気づきを共有します。そうすることで、二人は時空を超えてひとつでいることができます。愛ですよね。

インナーチャイルドから学ぶ子育て、人間育て。


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このところ、ご家族からご家族についてのご相談が立て続けにありました。

心は家庭で培われます。学校が、友人が、社会環境が、色々な影響があるから、一概にそうではない、と理性的な人は考えるかもしれません。しかし、本当はそうはなっていないのです。

家庭の中でももっとも影響力を持つのはお母さん。どうしてお父さんではないんですか、同じではないんですか、私はほとんどおばあちゃんに育てられました、よくよそへ預けられていたので、育ての母の影響が強いと思います、など、色々な声をうかがってきました。そして実際に退行催眠で見た世界では、やっぱり産みの母はその人の世界観の最初の起点を作ることが確かめられます。

潜在意識の基盤は3才くらいまでにほぼ作られてしまうと言われます。それは、普通に肉体の成長のことを考えても理解ができることです。3歳までの脳の発達はすごいスピードです。その3年間に覚えること身に付けることの量といったら、驚異的ですらあるでしょう。

たとえば耳は、胎児の6ヶ月くらいから聴くものを記憶し始めるそうですが、まず身近な音は心臓の音とお母さんの声、お母さんの体内音かと思います。絶え間なく鳴っているお母さんの心臓の音。人間には心地よく落ち着くテンポと、逸る(はやる)テンポがあります。これも本能的な感覚、つまり潜在意識の記憶から来ているとも考えられますね。それで、赤ちゃんによってはお母さんの心臓の音のテンポがストレスとなることもあるかもしれません。逆に、いつまでもここにいたーい、どこにもいきたくなーい、と思ってしまうほど、居心地よく響くこともあるかもしれません。

ここでひとつ確認しておきたいのですが、色々と勉強なさるお母さまに限って、ものごとを良し悪しで考えがちです。たとえば心臓の音が早いことが胎児期のトラウマ的な影響を持つ可能性はあるかもしれませんが、それはその赤ちゃんの課題です。またお母さんの心臓の音がゆっくりで心地いい早さだったために、その赤ちゃんはのんびりしすぎて、動くことに消極的だというような反応を持つかもしれませんが、それもその赤ちゃんが持つテーマになります。どちらにしても、それはお母さんへの評価ではありません。

多くのお母さんが、悪影響を与えることを恐れているように見えます。確かにこういった知識が広まる前に、もっとたくましく世の中を生きてきたお母さんからやや雑に扱われたことで傷ついた経験のあるお母さんは今、多いかもしれません。ですが、それは、自身が取り組むべきテーマです。お母さんがこうだったために、今の私がこうなってしまった、と思っている人は、自分の子供への悪影響を消したがっています。私はああはなりたくない、したくない、という気持ちです。私が癒やされる前にもし母になっていたら、間違いなくそう思って子育てをしていたと思います。ですが今度は、そういう恐れ自体が、否定や萎縮や消極性というような抑圧となって子供に何らかの影響を与えます。

実際のところ、どうしてみてもお母さんの影響の多大さというのは消すことはできません。たとえば、生まれてまもなく産みのお母さんを離れ、別の女性に育てられたという人でも、インナーチャイルドの声を確かめてみるとそれは、産みのお母さんと離れてしまったことの方が、育てのお母さんとうまく行かずにいじめられたり愛されなかったことよりも重大であることを示します。

これがどういうことかと、かつて検証しました。それはひとつは胎児期の記憶によって生まれる前からすでにお母さんとの絆はできているため、その母の喪失の傷が大きい。もうひとつは、魂は母に宿るときにすでに父母を選んで(父母の波長に引き寄せられて)生まれてくる。つまりその父母から愛情の基盤を与えてもらおうと決めている。それが叶えられないことへの喪失の痛みは大きい。

つまり、たとえ産んですぐにいなくなったとしても母の影響力を避けて生きることはできない、というふうに私は理解しています。ですからお母さんはお子さんに、惜しみなくご自身の持てるものすべてを与えてあげてください。それを踏み台にして、時には反面教師として、心置きなくお父さんとお母さんを超えて行くことができるように。

もし家庭内でお母さんがしないほうがいいことがあるとすれば、パートナーの愚痴や悪口を子供さんに聞き役にさせることでしょうか。子供さんは二人の愛の結晶としてこの世に誕生していますので、その片割れを否定されるのは自己存在を根底から否定されていることになってしまいます。子供さんの前で喧嘩して仲直りすることのほうがうんと罪がないと思います。お父さんはただでさえ子供さんと触れ合う時間は少ないもの。子供さんがお母さんを愛したいようにお父さんを存分に愛することを妨げることはしないであげてください。両親の関係は子供の世界観の天と地そのものです。天と地がそり合わない世界は不安です。見せかけの穏やかさよりも、お母さんの幸せ度を子供は感じ取って吸収しています。お母さんが子供をいかに愛しているか、というより、お母さんが自分を愛しているか、またパートナーを愛し、幸せか、ということは、子供にとって一番重要な、愛情における満足度と、根底的な自己肯定感に直結してきます。

ですから、お母さんは、というか、すべての人は全力で幸せになる努力をしていいのだと私は思います。当然ながら幸せというのは、真実の自己を生きるということなのですが。そうやって自分と向き合い自己の人生を存分に探求し満喫し、人生を愛しているお母さんがいれば、たとえば離婚など家庭の崩壊があったとしても子供はなお、そこから満たされることが容易になります。家庭というのは格好や構えのことではなくて、もっと言えばパートナーシップであり、そこに生きる人の価値観、人生観の交わりでもあります。

祖母のちぎり絵
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