飼い犬にすら神を見ます(笑)

みなさんご無沙汰しました。
季節の変わり目に物理次元のお世話が多くなり、ここまでなかなか来られませんでした。
暑さ寒さも彼岸までと言いますが、沖縄でも体感は違えど季節感を楽しんでいます。
この時期になると俄然おそうじが進みます。いろいろとひっくり返してきれいにしたくなる。
エネルギーシフトです。

今月3日は結婚記念日で結婚して丸9年となりました。
改めて結婚てすばらしいと感じますし、その意味も価値も、日に日に深く実感する日々です。
うすうすは知っていたけれど、こんなにも自分の人生にとって大事なものだったのか、と気づく機会も増えています。

自分のようなアダルトチャイルドがここまで来られたことの意義の深さも感じます。
最近になり、また改めてインナーチャイルドの探求の意義の深さを日増しに実感しています。
やはりこれは自分の人生の縁であり、結果的に使命的だとさえ感じます。

それを使命だなどとかかげたことは一度もありませんでしたが、
自分の人生を通していくつものベクトルがそこを指し示していることが今になり改めてわかります。

それから我が家に来て今日で丸9か月になる保護犬のおかあさんとの生活も、いろいろとありました。
うちに来る前、藪に住んでいたころおかあさんはよく吠えていました。
恐怖に支配され全力で戦っているのがわかりました。
うちにくると今度はほどんど吠えない静かな犬になりましたが、
だんだんと生活に慣れてくると今度は家族以外の人に以前よりむしろ警戒が強くなり
無駄吠えも出てきました。

我が家で彼女を迎える際、一番懸念していたのが無駄吠えでした。
おきゃくさまが出入りする家ですし、なにより私たちの生活と仕事には静けさが重要です。
当初彼女が本当に静かにしてくれていたのは奇跡的でした。
しかし、その他の様々な問題への対処法を私たちが学んで落ち着いてきたあたりで
より本質的な問題が浮上してきたあたりに、また神のはからいを感じてしまいます。

いろいろと勉強していくうちに、彼女の問題は私の問題であり、
寸分の狂いなく、私たちは家族として同じ課題を共有しているのだとわかりました。

彼女が普段あまりに賢くていい子だからといって、
私たち夫婦が気を緩めて放っておいてしまうと彼女は問題を起こし始めます。

そしてまた私たちが意識を集中し彼女に向きあうと彼女は安定します。
つまり彼女は愛情を受け取ることを必要としているのです。
彼女は潜在意識に傷を持つトラウマ犬です。
(ただし犬の潜在意識はほとんどが本能ですが。)

育つ過程で安心や安全を、おそらく著しく阻害される環境から影響を受けて、
彼女の敏感さ、賢さ、優しさ、強さなどの美徳は
少しバランスを崩せば過敏さ、神経質さ、攻撃的、或いは過剰に保守的となり
平穏を失わせてしまうのです。

もちろん私たちが見逃してしまうなら、彼女の問題はさほどひどくはありません。
おそらくほとんどの犬より物分かりがよく従順でお行儀よくいい子です。

しかし、問題というのは、彼女に本来あるべき平安が欠けてしまうことです。

求めるうちに私はシーザー・ミランというドッグトレーナーの動画と本に出会いました。
彼の哲学は、私の探求と洞察に重なる部分が大変多く、非常に共感します。
人間と犬とは違う、という風に彼は説明しますが、私に言わせるなら
人間が本来の犬を知らないのと同じくらいに、人間は本来の人間をも知りません。
多くの人が本質と本能を混同しています。
潜在意識とスピリットを混同しています。

私なりにまとめれば、犬も人間も、潜在意識をいかにてなずけるか、と言う点が
本人(犬)のしあわせに大きく影響します。

犬の内面のバランスには、行動認知療法のように、
行動によってより良い結果を再刷り込みすることが重要です。

人間の潜在意識には本能はもちろんですが、
そこに感覚的記憶、思考、情感、評価などが複雑に刷り込まれていますから
行動による再刷り込みだけではうまく作用しません。
イメージや理解、納得、表現などによる変容が必要になります。

シーザー・ミランが明かす犬への理解は、
人間が人間を理解するよりも早くに世間に受け入れられる機会を得ているようです。
私にとってこの事実との出会いは新たな驚きであり、また新鮮な喜びでもあります。

世界はどんどん変化している。
私たちが心を開こうが閉じようが、意識は前進する。

しかしそこに私たちが開き、自ら変わることを厭わない時、世界は愛に向かって前進します。

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原点

家族内の不和、将来・未来への不安、からだの極度な不調、自己不信、恋愛の失敗、パートナーシップの失敗、お金の不足、仕事につけない、できない、選べない、慢性的な憂鬱、疲労、無気力、悲嘆にくれる、孤独感、尽きない悲しみ、あらゆる恐怖、不眠、生きていたくない、死にたいと願う。

私が体験してきた、このままでは生きていけないと決意させた要因はてんこ盛りだ。これらのすべてが指さす方向は絶望しかなかった。これらの状況は高校生くらいから始まり、人生が進むにつれて順繰りにそれぞれ深刻さを増しながら私に迫ってきた。

逃げ回って生きるにしては長すぎると感じる人生をなんとかするには結局のところ、自分が変わるしかなかった。自分が変わるとはどういうことなのだろう。言葉では何とでもいえる。変わるのではない、進むのだ、という言い方もある。ありのままのあなたでいい、とか、いろいろと言われている。けれどそのさなかではとてもそんな言葉では納得できなかった。そのままでいい、というのは「地獄にいなさい」と言われるのと同じに感じられたし、進めと言われても、地獄からは地獄しか見えない。一つの地獄から這い出して別の地獄を体験するなんてこの世は狂っているとしか思えなかった。

今ではこの地球に同士はいるということがわかる。多くの人が苦しみの中で、自分の何かが間違っていてそれが悪いに違いないと感じている。当然、私もそう感じていた。「変わらなくてはならない」という考えはそのまま、自分がいけないか間違っているか、と理解するように人間は仕込まれているのだ。

しかし本当はそうではなかった。私たちは、自己を罰することや間違いを正すことではなく、もっと愛することによって変わる必要がある。

正しさ、というのは高次の意味では、より愛であることである。しかし人間の思考はそうは理解していない。だから私たちはもっとそれについて学び、そして変わっていく必要があるのだ。

自分を愛する、とはどういうことだろう。自分と向き合うというのは欠点と間違いを探す旅ではなく、愛の浸透していないところに愛を満たしていく行為だ。

原点は、自分をよく知ること。しかし欠点と間違い探しに終始せずに、愛とともに学ぶには、絶対に神への信頼が必要だ。私たちは神の視線によってしか、自分を赦すことはできない。利己的にではなく自己を愛し赦し受け入れるためには神という高次の愛という中心が必要であり、究極的にはそこに向かうこと以外に私たちを前に進ませるものはないのだ。これはやってみようとした人にはきっとわかる。

ワークはそのためにある。鍛錬は、訓練は、そのためにある。

そのレッスンなしにあるがままである人はいない。あるがままとは受け入れることだから。

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