心の傷は脳の傷だそうです

昨日のおやすみは、遅ればせながら大渡海岸で初泳ぎしてきました。夏休みだし、観光の方が増えているので混みあっているかなと思ったのですが、相変わらずのんびりして地元のつり少年のほかにちらほらと泳いでいる人がいる程度でした。近年の水温の上昇でサンゴが随分死んでしまったと聞いていてとても悲しいのですが、大渡は相変わらず美しかったです。

うみんちゅさんのお話を伺うと、たとえば水中に橋を一本立てるだけで海中の環境は激変するそうです。急に魚がいなくなったり、赤土が流入して汚染されてしまったり、私たちが想像する以上に地上って微妙なバランスの上に立っているんですよね。

さて、昨日ネットで拾った情報なのですが、「子どもの脳を傷つける親たち」という著書が話題のようです。

著者の「友田氏は脳科学の専門家で、親による不適切なかかわりで子どもの脳がどう変形するか長い間調べてきた」とのこと。

結果「言葉による虐待はどんな痕跡が残るのだろう。『心が傷つく』というが、身体のどの部位が傷つくのだろう。友田氏たちが見つけたのは、脳に痕跡が残るということである。」

読んでいなくて恐縮なのですが、脳の仕組みの部分について私は非常に納得です。対処については、対象が子供であるなら、書評にあるようにおとなや社会が手助けをすべきだと思います。でも(例えば私のように)その時期に救われずにおとなになった人にも、もっと本質的な救済があることがもっと広まるといいと思います。簡単な書評がありますのでよろしければそちらを。

潜在意識やヒプノセラピー、また瞑想についてもレイキヒーリングも、それがなぜ功を奏するかを研究すれば当然、脳の仕組みを考えざるを得ません。トラウマと言われるものを始め、「過去の記憶全般」が私たちにどのように影響を与えるのか、それを理解することは脳との関係を理解することとも言えます。

私は傷、というよりも「溝」というイメージを持っています。傷はそれだけで痛々しいのですが、意識や脳に刻まれているものに痛々しいというイメージはいらないのです。ただそれをあるがままに知って、理解すること。それができれば、神という無限の生命力の源を受け入れる準備ができます。

みなさんが「これが私の性格」だとか、「そのように育ってしまったから仕方ない」(でも本当はなんとかしたい)と思っている自分の特定の、心の反応やそこから来る態度が、脳に刻まれた溝のためなのだとしたら、或いは圧迫をうけ変形してしまった脳の領域のためだとしたなら、それはあなたの宿命ではなくて一つの傾向であり習慣でもあります。私たちはそれに取り組むことが可能だということです。

書評のなかに「脳は再生しないと考えられてきたが、近年、再生回復の可能性が見出されてきた。」とありますが、脳のことなんて人間はまだほとんど知らないのだと私は思います。それよりも、脳が実際になした人間の数多くの奇跡にも見える変化や進化こそが事実でしょう。実際に使われていない部分が多くを占めると言われている脳ですから。

私たちは、古い溝を使うことをやめて、新しい溝を掘りたいのです。たとえば信頼という溝を。たとえば平安という溝を。たとえば勇気という溝を。つながれていなかった神経細胞同士に手をつないでもらいたいのです。その新しい道を電気が流れ、信号を送り、そこで発した火花が世界というスクリーンに陰影を映し出します。その映画が、私たちの新しい世界です。これは脳の話です。そして、意識の、そしてそれが創る現実のお話です。

過去にショックを受けた溝を電気信号が走るとき、心は葛藤し、緊張と対立は私たちを疲弊させます。瞑想やヒーリングはこの電気信号の周波数に変化を与えます。変動した電気はその古い溝をなぞらずに別のルートを通るか、またはその溝への影響自体を変えていくのではないかと私は考察しています。おそらく未来のいつかには、そういったことが明確に語られるようになっていくことでしょう。

しかし本当に意味があるのは、語られることよりも体験することです。

生まれつき不幸でずっと不幸でいるために生まれてきた人はいません。人は言わば幸せになることを通して進化しています。意識は今すぐ変化できます。脳がすぐに再生されなくても、不思議ですが私たちの意識の領域にはそれ以上の意志が働くことがあります。肉体はゆっくりとついて来てくれればいいのです。

HSP~論文なみに長いです。ご注意ください(笑)

「敏感な人には、ものよりこころです」
昨日のセッション中、私の口を突いて出た言葉です。

これは私が長い自分とのつきあいの中で見いだした、体験に基づく教訓です。もちろん当初それは、自分の個人的な尺度でしかありませんでした。

実は、クライアントさんからある日、HSPについて教えていただき、ある時からその概念を視野に入れて自身や家族、クライアントさんと向き合ってみると、驚異的に普遍化と理解と統合が進むようになりました。

実は前回の勉強会でも、この概念を含めた意識の仕組みのお話をしました。

HSPは highly sensitive person つまり、とっても敏感な人々。
まんまじゃーん、という感じがしますね(笑)。
人間全体の15~20%を占める人がこれにあたるそうです。

このことについては、これまでの探求を紐づけしたいという思いと、紐づけするときりがないほど膨大な考察になる・・・との思いで、なかなかブログデビューさせてあげられませんでした。

そもそも、生きにくいというのはどういうことなのでしょう。
私は自分のことを「生きにくさの権化」のように認識しつきあってきました。

生きにくさは苦痛を伴います。私が自分が生きることへの苦痛を認知したの中学生の時です。それは単に年頃、のことではありません。当時すでに、家庭内は私にとって火宅そのもので、そこで生きていくことに限界を感じていました。義務教育が終わったら、私は自分の人生を築くんだ、そうしなければと意気込んでいました。なんの術も持たないまま。

そして高1でファミレスのバイトを始めましたが、その時の苦しさにノックアウトされてしまいます。自分の神経が異常に緊張していて、ミスをしないことに精いっぱい、しかも回避が不可能でした。家に帰ってからも、頭の中でぐるぐると、張り詰めた記憶が廻り、目を閉じると仕事場のバタバタがよみがえり、あれ?もしかして失敗したかも、と飛び上がるほどびっくりして眠っても目が覚めてしまいます。

疲れて仕方ありませんでした。実際はその時、中学からの仲良しの友人と一緒に働いていて、私たちは多分いつも笑顔でかわいくて、しっかりしていて、優秀でした。実際に店長からはとても気に入られていて、厳しくはあっても怒られても嫌われてもいませんでした。

友人はとても健全で、リラックスして楽しんでいるように見えました。自分はピリピリして必死で張り詰めて、ぐったりの繰り返しでした。

自分はもしかしたら、不適合者なのではないか、とその時初めて思いました。普通のお仕事を普通にこなせなない、普通に時間を過ごせない、と感じた、初めての体験でした。

この時の感覚は消えることはなく、悪化していきました。鬱を通り越して絶望の淵に行くのはあっという間でした。高校生でからだもボロボロになりました。動悸、息切れは絶えず、電車に乗るのも道を歩いても視線が刺さるように怖いと感じ、眠れず、起きられず、不快さは絶えず消えず、体重は増加し、食べては吐き、ニキビだらけで、自分が自分ではないようで、誰とも触れ合いたくなく、消えてしまいたい思いでしたし、もちろん誰も助けてくれませんでした。

結局私は大学へ行かせてもらいました。受かったのは奇跡だと今も思います。あれは救いでした。しかしそれでも、自立への焦りと不安は大変なものでした。

その後も私の抑うつや過敏や恐れはどんどん増していきました。
その頃には弟が統合失調症を発症し、やがて問題を起こして一般社会からドロップアウトしました。自分もそうなるのでは、という呪いに恐れおののいていました。

とにかく自立の道から落っこちたら人生がおしまいになる、と、戦っていました。
よく周囲から「生き急いでるよね」とか「戦っているよね」と言われましたが、何言ってるの?辞めたら終わりでしょ、としか思えませんでした。そして、どうしてみんなそうでなく息をしていられるか不思議でした。

社会には、心の問題を扱う概念がほとんどありませんでした。心の不具合は精神病であり、薬物と電気ショックと隔離が対処法。救いを求めるのは病院か宗教か自己啓発、というような行き先でした。唯一、芸術、というのが私にとっては希望の光でした。いびつさを魅力に変え、敏感さを才能として開花させれば生き残れるのでは、というような感じです。父がそうだったように。

私も、多分社会も、硬直しきっていました。

芸術方面で知り合った友人から、スピリチュアル、という概念が届きました。女優のシャーリー・マックレーンの本が世界でベストセラーになった頃です。でも私にとってそれは現実的ではありませんでした。見えないふわふわしたものに頼るなんて論外で、それは文学や芸術作品の一部のように感じられていたと思います。しかし、自分を再認識し、育てなおす必要性は充分に感じていました。なにしろまず、健康にならなくてはなにもできません。

心の問題を探るとき、まず手がかりになったのは「アダルトチルドレン」でした。
少なくても間違いなく自分はそこに当てはまることができ、世界で独りぼっちではないということは理解きました。

しかし、アダルトチルドレンの回復のプロセスはまた、非常にそそらないイメージでした。当時は権威の匂いがするところと関わりたくありませんでしたし、グループで体験をシェアするみたいなイメージも苦手でした。また先が見えている感じがして、希望もわきませんでした。

私は父の精神的な病気のため、子供の頃精神病院へつき添ったりしていて、父の状態や家族をほとんど理解できない病院に対して非常に不信感を持っていました。また私の体調や心の不具合を誰も見抜けませんでしたし、誤解も受けました。それ以上誤解されたり実験の対象にされたりするのはまっぴらでした。それ以前に、のほほんと自分の治癒に時間を費やすなんて論外でした。なにより、大学を中退し家出同然に家を出た私は貧困でした。自立を確保すること、また、家族の問題の嵐に圧倒され巻き込まれないこと、生きていること自体をいやにならないこと、それだけで、いっぱいいっぱいという感じです。

ただ、アダルトチルドレンの原因と、不幸のスパイラルを繰り返すという特性を持つという事実と、そのからくりは非常に納得でき、自分がまさにそこにどっぷりはまっていることは重々理解できました。当時は原因を探ってはさらに絶望、というところに居ました。

こののちに、アダルトチルドレンのトラウマ、認識の歪み、知覚の過敏、愛情の欠如による心の不安定などに有効な改善法に出会い、それがヒプノセラピーの退行療法、インナーチャイルドワークであったわけです。出会うまでには更に長い月日が経っていました。それまではひたすら意識の法則を学び、こつこつと意識的に自分と向き合うという実生活での実践が続きました。もちろん祈りもしましたが、神さまは遠いどこかにいて、多分そちらからこっちは見えていないだろう。見えたらこんなひどい状態で放っておくわけがないと感じていました。

長くなって恐縮ですが、話を戻します。最近になりHSPの概念を組み入れたところで、この敏感さというのが、ことさらにトラウマのひずみを非常に強く根深く自身の心(潜在意識)に刻み込んでしまうということに気づきました。つまりさほど強烈な体験でなくても、些細なことから大きな傷にしてしまうのと、さらに影響が薄れないで長く引くという傾向です。

この発見は納得でした。自分にはまさに当てはまりますし、長いインナーチャイルドワークの臨床から、クライアントさんの多くが「それほど過酷でない環境で育ったにもかかわらず、深い傷を受けている」という実例を数多く見てきました。というよりほとんど、幸せな家庭で育ったにもかかわらず、です。

彼らは「自分より不幸に、厳しい中で育った人はたくさんいるというのに、生きづらさを感じてしまうなんて、これは自分が怠けているからか能力が足りないか、もしくは性格に問題があるのだ」と認識しているのです。これは実は私にも充分に覚えがあります。

幼少の時から私の母はなにかにつけて、「もっと不幸な人はいくらでもいる。文句を言うな」という論調でした。私の弟は生まれつき顔と全身を濃いあざで覆われていて、見た目にぎょっとするくらい目立つのですが、母はよく、「知恵遅れよりうんとまし」というようなことを言いました。そうやって自分を鼓舞していたのだとはとても理解はできますが、子供の私はそういう対比そのものを残酷で差別的だと感じました。

また弟以外の私や妹に対しては、弟以上の問題を持つことは決して許されませんでした。妹はこれも生まれつきひどいアトピーであったり、おできやトビヒや喘息、ひどい車酔いで大変でしたが、私の知る限り弟以上の扱いは決して受けませんでした。ですから私など論外です。ちゃんと立派に産んだのに問題を持つなんて、という婉曲の圧力をよく受けました。

母の名誉のため申し上げておけば、母は戦争で父親を亡くし、戦後満州から引き揚げるまでに1年以上も、母親と幼いきょうだい3人で逃げ歩きながら暮らしていたという体験を持ちます。追われて高い塀を乗り越えて逃げまわったり、ソ連兵が来て母親は屋根裏に隠れて子供たちだけホールドアップしたり、日本へ戻ると家屋敷を取り上げられたらいまわしにされ、弟のために進学をあきらめ就職し、就職では父親がいないと差別されたりと、さんざんな成長期を送っています。

ちょっと傷ついたくらい、それがなんなの?という価値観を持つ理由は山のようにあります。彼女こそが非常に感受性の強い、無意識のトラウマを持つアダルトチャイルドでしたが信じられないほど強い信念の持ち主です。

それに引き替え私は、過酷な環境であるとは認識しながらも、ちゃんと食べられ、ものも与えられ、教育も受けさせてもらえ、父親は精神不安定ではあっても仕事である程度成功し有名人のはしくれでもありました。なのに私は根性なしで忍耐力、持続性に欠け、傷つきやすく虚弱でした。

父への恨みを母からさんざん聞かされた上に、私の苦しみはいつもいとも簡単に抹殺されました。お聞き苦しいと思いますのでこれ以上は控えます、というくらいそれはひどいことがたくさんありました。そして私は苦しみながらも、「自分には苦しむ資格さえない」というその考えを受け入れてもいました。自分より苦しい人はたくさんいるのに、と。

それがどれほど自分への愛と信頼を失うことになるのか。自己評価を失い、尊厳を侵され、生きる意欲すら削いでしまうことになるのか。あたりまえのことですが、問題なのは出来事や条件ではなく、「それをどう感じ、認識し、受け止め、そして何を学ぶか」です。

HSPへの認識によって、個々の自由がさらに尊重されると同時に本当の自分を取り戻し生きることが社会の中で重要視され普遍化されるようになることを願います。

またこの敏感さと別に、共感力、というのも非常に重要な概念です。これについてはたびたびブログでも触れましたが、共感力だけでその普遍性を説明できないことも多々ありました。

共感力は、たとえば、他人の感情や痛みを自分のもののように察知し、時にはそれを実際に自己に起こったように感知してしまうという能力ですが、知覚が敏感な人でも共感力は比較的、或いは極度に鈍感という人もいます。

共感力の強い人から見ると、自分の心情を説明なしにわかってくれない人は鈍感なのですが、そういう人も例えば音や光には非常に敏感で、絶えずそれに反応していて疲れている人もいます。そういう人は無意識であることが多くトラウマ自体を発見しにくいものです。ですが、実際は得体の知れない無力感を抱えています。自分の知らない自分が勝手に反応しているわけですから、自分を愛しにくいとも言えるでしょう。

どちらにしてもそれは他者との相互理解の溝となり、不快さや傷つくことを避けて、コミュニケーション不全へとつながっていく可能性が大です。

例えば今では発達障害など、様々な症例がありそれには名前がついています。器質的な損傷があるものもありますが、はっきりしないものも多数でしょう。それらを無理に個性なのよ、と思おうとしても、実際の不具合の不快さには勝てません。それは自己不信、他者への不信、誤解、愛と信頼の欠如、おそれ、無気力、生への放棄をはらみます。

実際には、全体的な理解と、具体的な自分取り扱いをマスターすることで、本来の自尊心と信頼の気持ちが回復します。人が健全に、尊厳を持って生きるのに絶対的に必要なのはそれです。それこそが、愛を持って生きる生き方なのだと私は理解しています。

私たち人間は、愛によって満たされるまでは常に欠如を抱え、また愛の欠乏によって傷と心の限界の壁、すなわち分離を作ります。傷と分離は、注意を向けられ手当されるまでは外側、他者から愛を補います。傷が深いと愛はダダ漏れになって、周囲から知らずに奪い続けるカルマを作ります。善意であれ悪意であれ関係なくそれは起こります。

私たちが自分の中の傷や分離に向き合い、他者から愛を奪うのをやめるとき、その源へつながることが必然になります。それが、私の言う、内なる神です。人には愛が必要というのは、誰にもうっすらと理解できると思いますが、神が必要と言うととたんに怪しまれます(笑)。

しかし神という無限の源泉とつながらない限り、その愛は制限付きの愛でもあります。癒しは神によってしかもたらされないというのが、この世の真実だと、やはり私は思います。

冒頭の命題とちゃんとつながったでしょうか。長文とおつきあい、まことにありがとうございました。

AZU拝

世界の逆転

先日の勉強会、いらしてくださったみなさん、本当にありがとうございました。私がご提供できることなんて本当に限られていますが、みなさんがお集まりくださることで、意識を向けるべき点や方向性が示唆されます。本当に充実したお時間でした。何しろ、人の優しさや思いやり、神聖さを感じさせていただき共有できることは、それそのものが人を幸せにするものだとしみじみ思います。

誰もが自身の持つ優しさ、愛、神性を意識しながら人や社会とかかわることのできる、優しい世の中であってほしいと切に願います。ただそれだけで、世界は一瞬で変わります。いつも言いますが、ライトワークはいつでもどこでもできます。一人でも他者といても。人知れず、内なる神とともに作業をすることは、称賛とも報酬とも無縁かもしれませんが、誰よりもそれをしている自分自身にはその手ごたえがわかります。人を照らすのは、なにより自分が満たされることですし、自分が満たされることでさらに世を照らすことができます。それを一番喜んでくれるのは神ご自身です。

昨日はキッチンに立ちながらふと、自分が困窮に喘いでいたころのことがよぎりました。選択の余地のないことだらけでしたが、それだけに、物事の優先順位はいたってシンプルで明快でした。まず食べる、家賃を払う、着る、そして自己表現する。そして、目的は幸せになること。それらをタイトな条件でこななさければならないとき一番大事なのが心の管理でした。

健康、と言いたいところですが、からだは、心に着いてきます。まずは心です。

私は心に非常なトラウマを持っていました(当時はそれすらわかっていませんでした)ので、普通のこと(生活)を普通にこなしたり維持することがまず困難でした。スピリチュアルの学びなしには意識を保つことはできませんでした。

お金も精神力も体力もいつも足りていませんでしたが、この苦からいつか抜け出そうという思いだけはありました。まあ、苦しいからなんとかしよう、というだけの発想ですが。

当時は「げんき?」とあいさつされると「はい」と答えるのがしんどい状態で、ついまじめに「いいえ」と答え、相手をびっくりさせたり、「なにかあったの?」ときかれると「なにも。ただ人生に疲れてます」などと答えていました。

心がそれ以上ダウンしてしまうと動けなくなってしまいます。

今ではセッションをしていると「動けなくなる」とおっしゃっている方によくお会いします。その感じがとてもわかります。心が重たくふさいで行先を見失うと、文字通り動けなくなります。これは、物理次元しか見えなくなっている状態なのだと今ではわかります。魂が向かうべき光を見失うのです。

しかし「動けなくなる」は、社会では通用しない理由でしたから、動けなくなる前に自分で手を打たなくてはならない。こういう自己統制が、自分の人生では大きな障壁でありテーマでした。

やりくりして小銭が手元に残るとそれを押入れに放り込んでおいて、それが貯まるとそれで、スピリチュアルのセッションを受けていました。いつも阿佐ヶ谷の古本屋さんで本を真剣に選び、これという一冊を探し、読んで実践しました。どうしても自分を変えなくては(いやさなくては)ならなかったし、一刻の猶予もありませんでした。じっとしていたら恐れや悲しみや孤独に自分が呑み込まれてしまいそうでした。

自分はボロボロでした。そのボロボロは自分にしか理解できないところです。家族や社会や世間はわかってくれません。病院や宗教や学校は直してくれるところではありません。また学びと言っても知識を得て理解するだけでは自分を変えるちからはありません。むしろ苦しみは増すばかりです。ですから、自分の中に、直すちから(気づきと、神)があるのだ、という考えこそが私にとって救いでしたし、それしか他に方法はみつかりませんでした。

なにがボロボロだったといえば、私は心が傷つき果てていました。最初は環境から、次にはそれと戦っている自分のありさまに。

私は本当は、人が真実に気づき、それを求めるのに、ボロボロから立ち直るというきっかけはいらないと思っています。しかしなににしろこの世のありように絶望しない限り、人は既成の「観かた」を手放しません。

既成の観かたは、それまでに与えられたもの(体で感知した体験)を真実だと受け入れて、それを基準にします。どれだけ自身の深くまで潜ってそれを問い直すか、そして、ーここからが重要ですー本当の価値、本当の基準とは何かに気づくことです。この部分なしに、やたらと掘り起こしてみても、掘り起こしの作業にはまってしまうだけで、光りは見えません。

希望も光も神聖さも、恐れも暴力も不平も、すべては私たち個々の内側に備わっています。しかし一見混沌と散らばっているこれらの意識の特性をみつけ、何が「普遍・不変・不偏」のもので、なにがかりそめの思い込みによってつくられたおばけなのかを見分けるのです。本当はおばけなんかいないんだ、という真実を受け入れ、本物の世界を観るのです。この作業は、瞑想かそれに類するワークを通してしか不可能です。

おばけの世界では、おばけを現実と呼び、真実をおまけのように扱います。この世界の逆転をもとに戻すことが、内なる神とつながって生きることであり、平安と自由を同時に手に入れることです。

(犬の)おかあさんから学ぶ人間育て

SDIM7919犬と付き合っていると
人間を考えるうえで
勉強になることばかり。

おかあさん(野犬を引き取った我が家の保護犬の名前)の
子供2匹とも対比できるからなお興味深い。

子どもたちは屈託がなくて誰にでもなつっこいけど
おかあさんはものすごく人を選ぶ。

犬好きで絶対犬に好かれる、という
やさしーい人でも怖がって逃げる。
おかあさんを見てみなさん決まって
「いじわるされたはずねー」とおっしゃる。

うちで家族といる分には甘えん坊で
さわってさわってー、
かわいがってー、
でもがまんもします、と
聞き分けのいい良い子です。
でも定期的に性格が変わる、というか
ムラがあって
体調などを見分けにくいという問題がひとつと

圧倒的に社会性がなく
一番困るのは
ちょっとした変化やアクシデントで
すぐにパニックになってしまうこと。
そうなると自分の身の安全を守れない。
人間と同じで判断力が著しくなくなってしまう。

例えば狭い道で車が近づくと、怖がって
なぜか車のほうにふらふら近づいて行ってしまう、とか。
こういうのは見ているとなんとなく
子供のころの自分に身に覚えがある。

それで、やっぱりうちでは
しつけをこつこつとしている。

どんなにびっくりしたり興奮していても
オスワリ、フセ、できること。

「見て」というとぱっと注意を向けることができること、とか

散歩でものすごく
リードを引っ張ってしまうのが悩みの種だったが
これも、緊張と、怖がってパニックで
慌てているんだとだんだんわかってきた。

普通は、自分をリーダーだと勘違いしている、
などと説明されている現象で、
それもあったかもしれないけれど。

それで、観察していると、外界に反応して夢中で前に進もうとしていて
私の足音のリズムにあおられている感じもある。

夫のほうが歩幅が大きくゆっくりなので
そのほうが若干落ち着いているように見える。

そこで私は自分の足音よりも1.5倍くらいゆっくりのテンポで
いーちに、いーちに、と掛け声をかけるようにした。
足音がかき消されるくらいはっきりと声を出して。

もちろん最初は引っ張るたびに方向転換させて注意をひいて。

すると、なんと見事にゆっくり歩けるようになった。
焦って引っ張ったときでも、
掛け声でぱっと我に返ってゆっくり歩ける。

リードが理想的なカーブでたるんだまま
一緒に歩けるようになった。
すごい感動。

そうなってからは散歩中も何度も立ち止まって
私の目を見るようになった。
国道を渡るときは立ち止まって「クルマ、見て」というと
座って右、左、と見ている。

実際なにを見ているにしても、
突っ走ってしまわずいったん呼吸を置くことができることが
とても大事に思える。

こういう意思疎通はそれだけですごく嬉しいし
おかあさんも笑顔がすごく増えた。

多分犬側から見れば、
いろいろなことに気をとられて散漫になったり
警戒したりびくびくしなくてはならないタイミングが
すごく減ったのだと思う。

怖れに夢中になっているときは
何を言っても耳に入らない感じだったけれど、
ぱっと意識を呼び戻してあげることができると
平常心に戻るのがとても早くなり、穏やかが増す。

このあたりは人間にもすごく応用できるなと
散歩中によく考えている。

例えば小さい子供さんなど、
警戒モードや散漫モード、小さなパニックモードから
お母さんの合図でぱっと平常心に戻ってこられるようなら
すごくいいように思う。
なにより本人が生きやすいだろうと思う。

おそらく多くの人が、そういうモードからの戻って来方が
よくわかっていない。
というか、無意識なのだ。
自然に忘れる、というような習慣になっているのだ。
で、おとなになってもテレビをだらだら見たり
別の何かおいしいことで気をひいたりしなければ戻れない。

意識的に戻ってくる方法が瞑想なのだが
無意識なのであまり必要性もわかっていないことが多い気がする。

子供のしつけ、という問題を仕事がら常に意識している。

しつけという言葉からの連想は過去に置いておいて、
本人の平安、平常心のため、ということを中心に置いての
コミュニケーションと考えると、
人間が成長する上でものすごく大切で
幸せのために重要なことのように思えてならない。

しつけとは何か、という命題はネット上でもよく語られているが
人間には本能と霊性があるという大局から見れば
霊性を妨げないで発揮するために
いかに本能を軽やかに訓練してあげるかどうかが

この世を幸せに生きるカギになるようにも思える。

おとなになって、自分を育てなおした自分をかえりみても
ものすごく実感する。

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