プライドという誤解

自分を地獄に落としてしまうのは、自分のエゴ(マスター・ヨガナンダは、エゴとは肉体に結び付けられた魂だと言いました。)によります。世界や家庭や環境がいくら平和であっても(今、静かに見えても)穏やかでいられないのは、絶えず自分の潜在意識から送られてくる指令によります。それは過去の肉体意識から得た記憶が発信します。

自己意識の浄化において見落としがちでそして難関なものの一つは「プライドを落とす」ことかもしれません。特に自己浄化に取り組みスピリチュアルの実践に取り組んでいる人はなんとしても「自分がよりよきもの」になりたい、そうありたいと願っています。そして悪ではなく善を選ぶ努力をし、世界がよりよくなることを望んでいます。その人がどうして心の中に地獄を抱えるのか、その中の大きな要因がプライドという形のエゴの声です。

自分と他者の価値を比較して自分の価値を認めようとすることは、内面に争いを作ります。表面には出さなくても常に自分や他者へ批判の意識を向けることに繋がります。プライド、本当は誇りなのですが、この誇りを社会的優劣によって保とうとすると苦しみが生まれます。

エゴの解体というのはこの部分を徹底的に問い直すこととも言えると思います。この物理次元に見えている規範による優劣と照らし比較して自分を安泰にしようとする試みは、ほとんど常に自己意識の中に渦巻いているはずです。そしてそのように自己や社会を裁き続ける限りこの世は地獄です。ですから何かいたたまれない不満や不安、欠乏を感じているときには、この部分を見直すといいかもしれません。原因は夫や子供や親や姑さんや会社の上司ではないとわかるかもしれません。

自分が優位でありたいというのは自己保存の本能です。それが脅かされるとき人は防衛本能をフルに働かせて「スピリチュアルな」理由を見つけようとしたり、見ぬ振り、感じぬ振りをして自分自身や他者から隠そうとしたりします。でもスピリチュアルな解決とは、そのことを認めるしかありません。またなぜ認めることができるのかというと、真実の価値はそこにはないということを知ることによってなのです。スピリチュアルな価値はそこにはありません。本当の価値というのは内なる神と自分との個人的な関係だけだからです。

ですからこの地獄のような感覚に苛まれるときにはぜひ自己の内面に戻ってきてください。そして自分が自分を誤解していることに気づいてください。誰々と比べて、あるいは世間一般と比べて自分はこうなはずだ、と、自分を決めて、そうならないことに恐怖を感じていたのです。自分をよく知ることは自分への愛です。自分を誤解することは神への誤解でもあります。訂正し理解しなおすと心にはあたたかい光が流れ込みます。これが祝福です。

もしそれを実感できたらその祝福をぜひ周囲にあふれさせ、周囲にも満たしましょう。それこそが世界を救います。もちろんそれは、どこまでも自分を救うということに他なりません。