健康と自分の取り扱い

特定検診を久しぶりに受けました。豊見城に住んでいたときは歩いて、健康管理センターという立派な施設まで行けたのですが、こちらは徒歩圏内には公園と海と畑、あと聖地しかありません(笑)。聖地があるってところが最高なのですが。

知念に来てあっという間の5年目で、本当に時間の感覚がちょっと、あれな私です(笑)。

それから驚いたことに、特定検診の結果は郵送されてくるものと思っていましたら、市役所の方が直接持ってきてくださるということも初体験でした。東京育ちの私にとっては軽いカルチャーショックです。直接持ってきてくださった上にいろいろと解説してくださって、担当の方がとても勉強されていたこともあり、好奇心旺盛な私は結局1時間半くらいお引止めしてお話うかがいました。マンツーマン、贅沢過ぎます。

健康についてのお話なので、うちの家業とも関係してきます。その時に、印象的なことがありました。

基本に立ち返ってしろうとながら鍼灸のこと申し上げますが、鍼灸師になるには専門学校に3年通い、国家試験を受けて資格を取ります。夫と出会ったとき夫は専門学校を受験する前の受験生でした。

実は専門学校を一浪中だったようです。結構難しいものなんですね。彼も多分最初は簡単に考えていたんじゃないでしょうか。

学校では解剖学、生理学など、人体についての基本的な西洋医学的な知識を学びます。学校では様々な先生が教えていて、先生方によって考え方も違います。

夫は賀偉先生という、中国国宝級の老師と言われる先生のご子息との出会いがあり師事しました。陰陽五行説など興味のある方はご存知かもしれませんが、中医学と言われる中国の伝統医学を学び、それを主軸に鍼灸の施術を行っています。

たとえば頚椎ヘルニアの症例でも、見るところは首とか骨ではなく全体を診ます。わかりやすい記事がありますのでよろしければ夫のブログをご覧ください。あなたに合った治療法―頚椎ヘルニアの症例

これは人体という生命を扱う上での捉え方(哲学をも含むといってもいいでしょうか)を楚にし、非常に多くの臨床のデータに基づいて構築され体系化された学問です。簡単に言えば、西洋医学ではからだを見る時、正常範囲がありそこからはみ出たものは病気という異常だと見ますが、中医学ではそこにある生命の働きというものを視野に入れますので、その生命力の流れ、バランス、働きなど、それを阻害するものの原因などから診ていき、未病の状態から改善を図り、体質改善などを試みることが可能です。

この作業は施術者の視点が重要になり、それによって施術の方針が違ってきますから、自ずと結果に影響してきます。しかし、この見方から行くと、すべての症状に対して有効に働く可能性を持った療法であるということができると思います。

私は夫と出会う前から、鍼灸治療が好きでした。というか、とても頼りにしていました。というのも私は幼少期からあまり丈夫ではありませんでした。まず扁桃腺が肥大で、しょっちゅう高熱を出していました。

熱を出すと母が自転車の荷台に私を乗せてえっちらおっちらと小児科医の先生の所へ連れていってくれ、そこでは最高に強い抗生物質をいつもいただいていました。母がよく、うちの子には弱い薬じゃ効かない、というようなことを言っていました。

母の母は成人するころまでとても虚弱だったようで、そのためもあり健康法に熱心でした。うちには当時話題になる健康法が次々とやってきました。また今でこそ少し有名かもしれませんが、操体法なども祖母はコツコツと実践していました。一体どうやって情報収集したんだろうな。とても知的で頭のいい、優しい人でした。

私ときょうだいもみなどこか弱いところがあり、それぞれいろいろと与えてもらい、今更ですが随分いろいろ試してもらったんだな、と思います。

でもほとんど芳しく効力を感じたことはありませんでした。独特な鍼灸整体をする先生とあとは演劇の世界に入ってから野口体操や演劇仲間の意識の高さに救われたというのが実感です。その後いろいろと体験し、結局私の行きついた所はすべては意識のエネルギーが作り出している、ということです。

そしてそう言った面でも鍼灸は心と感情のエネルギーとその作用を理解していてそれらを含めた全体的な治療ができてすばらしい、と私は思っています。

夫と出会う以前の私は本当に生きるのに精いっぱいで綱渡りのように人生をつないでいた感じです。HSPやエンパスにはど真ん中に当たる人間だと思いますが、自分の取り扱い方がわからないまま荒波を乗り越えるのは本当に大変でした。

感情が揺れやすく過敏で、疲れがたまると鬱っぽくなりますし、PMSもひどかったので親しい友人に言わせれば「月いちで落ち込んでるよね」という感じでした。

あの手この手でなんとか日々の荒波を乗り越えますが、度々転覆しますし、一度転覆すると復旧することに多大なエネルギーを要しますので、生きることは困難の連続、というイメージでした。

しかし家族には私よりももっと重篤な人が2人もいたので、自分のことはとにかく自分でなんとかするしかありません。その2人は精神科のお薬がないと生きていけないというような状態でしたから、自分としては薬を否定してはいないけれど、その作用についてもだいたいわかっているという感じでした。

そんな自分が困ったときに頼るのは鍼灸治療院でした。風邪で熱を出すととてもしんどいのでお薬で緩和させますが、充分養生するゆとりもなく、なんとか治る力を出したいとき鍼灸院へ、という感じでした。風邪が長引いて受けるダメージや薬代を考えると、鍼灸は一度の施術でも力を引き出してくれるので自分に希望も持てるし心にも元気が出ました。

一度は大事なイベントでのライブがあるときに熱を出してしまい、薬を飲んで数日寝ていても一向に良くならないことがありました。思い返せばこのようなことへの恐れは表現の仕事をしていて常に私を脅かすものでした。その時ちょうど、近所にすごい鍼灸の先生がいるという話を、まったく別の所で3人の人から聞かされていました。

それで私はもうろうとした中で起き上がり支度をすると、その鍼灸院の前まで歩いて行きました。予約がいっぱいで、多分電話では埒が明かないと思ったのです。ライブは明日です。今日希望が見えなければ明日ステージに立つこと自体を見直さなければなりません。準備に時間をかけていましたし、そうなれば関係者に多大な迷惑をかけざるを得ない状況に追い込まれていました。

大通りから鍼灸院のあるビルを見上げながら、祈る気持ちで電話をかけました。先生が直接出られ、事情をお話しているうちに先生が「もしかして、うちの前から電話している?」と気づかれました。はいと答えると、やっぱり。車の音が電話から聴こえるのと同じだからさ、と言われました。

先生の見解では明日に間に合うかどうかは五分五分、とのことです。もしかしたら今より悪化して完全に声が出ない可能性もあるとのことでした。しかしなぜなのかその時私に迷いはありませんでした。他に希望がなかったですし、なぜか怖くありませんでした。

先生は「上がっておいで」と言って治療を引き受けてくださいました。喉にながーい鍼をぐぐぐぐっと刺していきます。4本、5本と鍼が入りました。これでいい、という手ごたえを先生が得ているのがわかりました。

結果としては、その直後からまるで憑き物が落ちるように症状は軽くなり始め、翌朝には病み上がり感はあるものの、熱が下がり、喉がはれ上がってつぶれるような感覚や痛みは消え、むしろ普段より軽やかに開いている感じさえあります。リハーサルまでは本当に張り詰めた気持ちでしたが声が出ました。それも普段よりむしろ楽に。それはまるで奇跡のようでした。

実を言えばそのイベントこそが、主人との出会いでもありました。私の扁桃腺はそれ以降とても良くなり始めました。鍼灸学生になった主人は会うたびに(練習台でもあり愛でもあり)私への施術を熱心にしてくれました。根本的な体質の変化もあったと思います。それからは自分が実はもとから健康体だったかと思えるような変化もありました。

冒頭の市役所の方に鍼灸のお話をしたとき、「鍼灸こそ、予防医学なんですよねえ」と、ふと口にすると「え、そうなんですか?それこそ対処療法ではないんですか?」と言われました。その方が健康についてとても勉強なさっていたので逆に私がその言葉に軽く驚いてしまいました。

痛みを取るだけというような対処だったらそれこそ薬でいいや、となるでしょうし、逆に薬を使うのが嫌だから代わりにもう少し効果の薄い昔の方法を用います、というイメージが代替療法という言葉の意図なのでしょうか。

催眠療法の領域でも時々みかけるのですが、「薬を使わない」といううたい文句があります。私は改めて思いますが、薬を使わないことが良いことだとは本当に思っていません。薬がない世界のほうが今より良い世界だとは全く思いません。お薬で楽になるたびに、本当に今の時代に生まれてありがたいな、と思います。ただ、お薬にできることとできないことがあるし、お薬には弊害があるという事実があるだけだと思います。

そんな才覚はありませんが、もし私がお医者さんだとしてもきっと、できることを一生懸命やるだけだと思います。西洋医学の先生の言葉で「西洋医学の治療に限界を感じたことから」代替医療を学んだとおっしゃる方はよくいらっしゃいます。双方で補い合うことができれば、その恩恵を受けるのは地球に生きとし生けるみんなだと思います。

心のエネルギーと、からだの気の径は関係しあっています。私たちが知らずに思い続けていることは何かを創造もし、破壊もします。完全に破壊してしまう前にそれをサインとして受け取り、気づきと見直し、そしてバランスを促し調整することは、まさに自分の取り扱い、自分との付き合い、自分の生き方とつながっています。

自分の生き方をみつけるのは自分しかいません。その生き方を助けてくれる味方を地上にみつけるのは幸せなことです。なんだって敵じゃない。味方にするかどうかは自分が決めます。

そういったことを考え選ぶ権限を持てるということ自体がもう、天から与えられた贈り物だと私は思います。自由であるということの在り難さよ、と思います。自由の行使には理解がとても大事なのだと改めて思います。自分の知ったこともできれば多くの方に活用していただけたらと願っています。

夫と2人でやっているセラピーサロンでとても大事にしていることは「あるといいながある」なんです。コンビニエンスストアの宣伝とおんなじですが、自分たちにとってのあるといいなをかたちにし続けたいと願っています。