11日勉強会にお寄せいただいた、気づき

先日11日の沖縄勉強会、今回もすばらしいメンバーにお集まりいただき、最高に素晴らしいミーティングになったと思います。みなさんの意識の高さと深く豊かな愛の中で、信頼とともに進めることができました。本当にありがとうございました。

お集まりいただいた方々の存在と意識とエネルギーによって彩られるこの会なのですが、私自身も持てる力を出し切って駆け抜けた気持ちです。意義深さを感じずにはおられません。またがんばって企画したいと思いますので次回もご興味とタイミングの合う方のご参加をお待ちしております。

途中、お茶が足りない・・・とか、そして私の座席の位置やらホワイトボードの置き場やらと、ご心配とご不自由ばかりおかけしたことなど、どうかどうかお許しください。

反省を踏まえつつ、ちょっとずつ前進します。長い目で見てやってください。

今回、セッションも含めて初めてご参加くださった、竹美(Takemi)さんが、ご自身のブログに勉強会からの気づきを書いてくださいました。とてもすてきな洞察でしたのでご本人にご承諾いただき、ご紹介したいと思います。

竹美さんのブログをもっと読まれてみたい方はこちらからどうぞ

心のこと お勉強会の話し。

先週「お勉強会」に参加してきました。

そのお勉強会の会をひらいてくださったのは、

セラピストをされているAZUさんという女性で、

AZUさんと知り合ったのは主人の縁だと思うんですが(曖昧)

友人の友人として紹介してもらって、FBでも繋がってと
最初は何のお仕事をされているのか存じなかったのですが、

FBの投稿やブログの内容に興味をもって読んでみたら、
スピリチュアルなこと、意識の探究、心のこと、について書かれていました。

こう言葉にすると「見えないこと」で、怪しさを感じる方もいる(私の語彙の乏しさも手伝って)

とも思うのですが、

「目に見える」=もの、お金、社会的地位、容姿、人前での性格、

と同じくらい、それ以上に、大切なことです。

また、AZUさんの書く内容は読んでいて何か感じるものがありました。

ふわふわ曖昧ではなく、すごく繊細に知性をもって愛情深く丁寧に書かれていました。

 

実は、多くの人が悩んでいる部分やつまづいているのが見えない心のことだったりすると思います。

親子関係、パートナーとの関係、友達関係、仕事、などしかり。

人とうまく付き合えない、言いたいことが上手く伝えられない、
誤解される、なんかもやもやしてる、パートナーと上手くいかない、
同じことのループでいつも物事がうまくいかない、いつも少しイライラしている、
自分らしくない生きれてない気がする、孤独感、閉塞感。

そんなこと、皆多少なりとも感じているものさ。考えすぎ。

と書いてて誰かの声が聞こえた気がします。

そう言ってしまえるものなんでしょうか?

 

私にはそうは思えなくて
10年ほど塾の講師として様々な子どもたちと関わる中、感じることがあったり、

また、私自身の34年の人生の中での葛藤と向き合い過去と振り返るなかで、

この「心」や「意識の状態」や「無意識」と呼ばれる部分の重要さが次第に大きくなってきました。

その時期の話はいつかおいおいできたらとも思いますが、、、

「お勉強会」の話しに戻ります。

細かい話は端折りますね。

そのお勉強会での気づきを話したいと思います。

話しの流れで、
参加されている方がご自身の悩みをシェアしてくれていました。

そして、そのことに対して、AZUさんや参加者の方が考えや助言を伝えたり、

または別の参加者の方が寄り添った言葉をかけていたりしていていました。

その中で、わたしは考えや思うことが浮かんだりしてはいたんですが、
それを伝えるまでには至らず、

そのやり取りを傍で一緒に見守っていました。

そのことを後から振り返った時に、
伝えきれなかった自分へのもどかしさを感じたのですが

そのもどかしさの奥でもっと感じていたことは、

自分の中の相手への「決めつけ」や「先入観」、「主観」を取り除くという作業です。

AZUさんや他の方の言葉や振る舞いによってそう促されていました。

その人の話している「本質」にふれるには、

きっとそういった「決めつけ」「先入観」「主観」といったものを

どんどん取り去っていくことが必要なんだということに気づきました。

そして、自分自身のパートナーや子供たちとのやり取りのことを振り返って、
話しがかみ合わなくなったり、反発しあったりしたことを思い出しました。

そのときの自分の状態を思い出していました。

そして一瞬、自分自身への良し悪しのジャッジにもとって変わりそうだと
思ったけれども、

でも、そうではないんだなとも感じました。

その「決めつけ」「主観」「先入観」そのものが悪者でもないんだよなぁと。

まずはそれらを外して置いておけること。

同時に自分自身へも丁寧に。

それは最近思うコトの一つ。

その気づいたことを味わってみたときに湧いたイメージは

自分の奥と相手の間にいる私と言う存在。

自分の奥と私と相手へと抜けるその間は滞りがよいクリアな状態。

かなり抽象的になってしまいましたが、

そうイメージしました。

「お勉強会」の最初あたりに出た話しですが、

多くの人の潜在意識は0歳~3歳までに色んなものを経験して溜まっていき

そして、13歳ころには潜在意識と顕在意識の間に蓋をしてしまうそうです。
(当たってるかな?)

私はその13歳以降の子どもたちと接しているんだな、、、

多感で自意識が強い時期。

人と人ですから当たり前に、教科だけでないやり取りもしていきます。

伝えたいけど、伝えきれない伝わらないってことがたくさんありました。

自然とわたしは自分をどうにかクリアにする方法を模索していたんだなぁと思います。

そんなふうに自分を成長させていかなかったら仕事は続かなかったと思います。

わたしはそれを循環させたい。

子どもたちだけではなくて、家族や友人、

関わる人たちにも繋がっていくことだと、確信に近い思いでいます。

どんな自分でいるかって

とても大切なこと。

実は、何をするかよりも大切なことだと思います。

 

 

ご自身の身の上にあることを複数人の前でシェアするって本当にとても難しいことだと思います。勇気はもちろんのこと、様々なご配慮と信頼によるコミュニケーションのうえで初めて、すべての方々にとって自分のこととしての学びがもたらされるのだと思います。

それを可能にするのは、竹美さんが書いてくださったように、自己意識の色眼鏡、私がよく使う言葉では、「フィルター」ですが、この手放し、浄化が不可欠なのだと思います。ご自身の内面に持ち帰り、丁寧に綴ってくださった竹美さんと、今回ご参加いただいたみなさまの完全にして絶妙なチームワークに再度尊敬と感謝とをお伝えしたいと思います。

伝えることは、よく聴くこと、なのだと改めて思います。自分の思いをまずは脇へよけておいて、誰かを本当に受け入れたとき、大事なことはすでに充分に伝わっている、ということなのかもしれません。

感謝とともに
AZU拝