知覚の世界と愛の世界

記憶とはどこからもたらされるのだろう。

私は演劇をやっていたころ、「役者にはからだの記憶力が重要」とあるインタビューでしゃべったことがあった。父の友人である演劇人の先輩が記事を読まれ「とても本質的だね」とほめてくださった。

知覚は私たちが生きる上での恩恵をもたらす。しかしこの知覚の過敏が、この社会のシステム上、生きづらさを引き起こす大きな要因になっていると見える。

実際私自身の生きづらさとはなんだったのだろう。クライアントさんからも質問を受ける事柄だ。

苦しみと混乱のさなかに、「ああ、私が持っているものは、普通に生きるのに役に立たないものばかりだ」と嘆いた。外側のあらゆることに敏感に反応する。言い換えれば、入ってくる情報が多すぎる。それに翻弄されないために、思考をフル回転させて分析する。

生きるとはこの作業にエネルギーを費やすこと。

周囲に起こる些細な異変に恐れ、身構え、他者の感情を汲み取り、常にそれに応えようと内側で反応し、しかし的確に応じる器量は足りず、また小さな行き違いに常に傷つき、いったん傷つくと修復に時間がかかる。

一日の終わりには、ずたずたに傷ついてぼろぼろに疲れた自分がいる。分析してみれば、プライドの高さ、偏見、臆病さ、猜疑心、尊大な理想と伴わない現実、実力不足、などにさいなまれている。

それでも結果、仕事さえ何とかなればおそらく、「まいっか、しょうがない」とやり過ごすこともあったろうけれど、選んだ仕事は自分が常に試される仕事。外面と能力を常に量りにかけられ試され、切り捨てられる世界。

自分の外面、どう見られるか、ということに注意力のほとんどを注ぐが、自分が自分の思うようになる瞬間は限りなく少なく、しかしすべてを諦めるには惜しいと思わせる何かが自分の中にあることを知っている。

八方ふさがり、とはまさにこのこと。

しかしもちろんこれらのすべては自分が選んでいる。

自分について改めて学び始めたのは20代中盤から。インナーチャイルド、過去世の影響は莫大だった。しかし、平安を得た今感じるのは、それ以上の魂の意志について。

潜在意識と言われているものの中味はインナーチャイルドと過去世の記憶。肉体を通しての体験的な記憶だ。

では魂とはと言えば、肉体の知覚と感情のフィルターを通して濾し取られたあとの、もっと微細な愛の体験の記憶の領域。

潜在意識に着目するのは、本当はこの、魂の記憶のほうを思い出すためだ。魂にはすべてがある。魂の細胞は宇宙意識(神)から成る。

潜在意識を利用して幸せになろう、という発想はいかにも人間の思考が思いつきそうな発想だ。私たちはすでに、潜在意識を全開に使って生きている。私たちの肉体を支配している。

私たちが幸せになる道は、潜在意識の呪縛から自由になることだ。それを超えた本当の自分とともに生きることだ。

潜在意識というのは知覚の記憶。知覚的な習慣だ。体が勝手にそうだと認識している、という領域だ。

雨が降るとがっかりする人、浮かれる人、それは自由だが、その価値観に私たちは支配されているということ。前者がいくら「雨は良い」と自分に言い聞かせても、心身は冴えない。そういうことだ。

そこで知覚をコントロールしたい、という発想が出てくる。それが、潜在意識を利用して幸せになろう、だ。

ワークはそれを可能にする。しかしそれは乗り物の整備に過ぎない。

じゃあ、魂を訓練するんですか?との質問も受ける。

いや、それとも違う。魂は訓練を必要とはしない。私たちは魂を訓練できない。もしするなら神がしている。でも神と同等のものを訓練などできないだろう。

潜在意識を浄化することが重要だと気づいている人はたくさんいる。ではなんのためにそうするのだろう。

それは潜在意識をすでに整理する段階に来ている人への導きだと思う。地球上の物理次元の状態にもみられるように、私たちの内面も、生きるために必要な物理的な知恵はほとんど出尽くしたのだ。

そしてそれらが何の目的でもたらされたのか、再認識する段階に来ている。

魂はその目的に沿って私たちを内側から導く。しかし潜在意識というフィルターを通すと私たちはとたんにその目的から盲目になり外界に応戦し始める。知覚したことにいちいち反応し、防御したり攻撃したりする。これが、幻想の正体だ。

潜在意識の浄化は、魂の仕事の邪魔をしないよう、よけいな反応をしないように、役目を終えた反応をはずしていくことだ。

知覚の最終的な目的は、魂を運び、愛を実感することにある、と私は思う。恐れの攻防のための役割を返上し、愛を受け取るセンサーとして、知覚を使うと選ぶのだ。

外界への恐れに対してつないだプラグを抜いて、魂につなぎ直す。

外界への対処のために立てまくったアンテナの電源を落として、内なる神へのアンテナを立てる。

からだじゅうに刺さった棘を一本一本抜いて、内なる神に癒しを願う。

そのとき私たちは、再生する。復活する。本当の自己という存在を生き始める。それが世界を愛することだ。地球を、この世を、生きとし生けるものを。それが平和を創造することだ。

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