結婚のすばらしさ~恋愛との明確な違いについて

少し前に、結婚のすばらしさについて、お話会してください、と
リクエストをいただきました。
まだ実現していませんが、今日は少しここに書いてみようかなと思います。

私は気がつけば来年4月で結婚10年となります。
まる10年。と言えばまあベテランというか、中堅ですね。

早かったな~、まだ新婚気分が抜けません。それはないか。(笑)
子どもがいないのもあって、歳月が目に見えないんですよね。

目の前にいっぱしに口をきく生意気な小僧がいたらきっと、
年月を実感せざるを得ないでしょうね。

お友達や知り合いのお子さんの成長をネットで見るにつけ
成長ぶりに唖然とするばかりです(笑)

私は満を持して結婚しました。

両親が反面教師で、母親からは、結婚のつまらなさや悲惨さや
愚痴を聞いて育っていますので
もう中学生くらいから、自分は結婚などすまい、と心に誓っていました。
なぜか高校の自己紹介で「私は結婚しない女になります」なんて
宣言してしまっています。
なんでわざわざ、高校の自己紹介で言うんでしょう。
痛々しいな。必死のSOSだったのでしょう。

その割には大学を辞めてから一年後には家出同然で同棲し
30歳まで暮らしました。
そのころは生きていて心が休まったことがまったくありませんでしたので
本当にただお互いに相手にすがって
どんどん消耗していくという暮らしでした。

20代後半から、意識の世界に目覚めはじめ
それまでの概念がぼろぼろと剥がれ落ちていき
相手と一緒にいることがもうできない、
なんにも通じない、というところで別れました。
よく、波長が変わってしまうと一緒に居られないくなると言いますが
実体験したかたちです。

それからはもう探求一筋(笑)です。
一筋と言っても、私の中に詰まっている
あらゆる概念、感覚的記憶、こびりついた観念は強力で
実際の道のりは紆余曲折しまくりでした。

よく周りからは「生き急いでいるよね」と言われましたが
確かに常に全力でしたし、
そうでないとやっぱり今ここには来られなかった気がします。
もうちょっとスマートなやり方はあったかもしれませんが
まずまずなんとか、帳尻が合ったような気がしています。

私は30歳すぎて、つまり1人になってみてから、
結婚したい、と思うようになりました。
いざ本気で目指してみると、わからないことだらけでした。
例えば同棲と結婚の違いはなにか?
結婚したいと思ったのですから、
なにか違いがある、ということを直感的にわかったのでしょうね。

恋愛はある種の愛への入り口ですが
強烈なエネルギーで良くも悪くも私たちを揺さぶります。
人を好きになるほど、愛ではないことを求めたりしてしまう。
たとえば相手を疑ったり、遠ざけたり、閉ざしたり、
コントロールしたくなったり、独占したくなったり、
いじわるになったり、困らせたり、怖れに見舞われたり・・・

つまり私たちは相手との距離を本気で縮めてみないと
自分の中に眠っているいろいろな感情にすら
なかなか気づけないし向きあえないのです。

そんな自分に出会うのが嫌で、
人を好きになることを避けている人も
実はたくさんいるのではないでしょうか。

恋愛の強烈なあれこれを通らずに、
すんなりと結婚する人もいるかもしれません。
そうすると、結婚してから今度は、あれ?こんなはずじゃなかったけど?
となることもあるでしょう。

結局のところ、相手は強力で間近な鏡で、
自己の中身を子細に映し出します。
良いところや良くないところを見せるということではありません。

(例えば、私の内側に在る恐れを形にして見せてくれたり
自分を押し殺していれば相手も自分を見せてくれなかったり。
でも形だけを見たらきっと自分も同じことをしているとは
なかなかわかりにくいと思います。
エネルギーを見るというのはこういうことなのです。)

そのことに気づかない間は、
「相手がおかしい」「この人、本当はこんな人だったんだ」と
相手への不満に終始してしまう。

でも結婚は、そういうすべてを
時間を思い切り充分かけて、一緒に学んで乗り越えていける
最大のチャンスをくれるのです。

私たちの人間としての、愛に対しての未熟さを、
生涯かけて互いに満たすための最大のチャンスを。

結婚と恋愛の一番の違いを私はこう考えます。
恋愛関係は、どちらか一方がやめたくなったら終わる。
結婚は双方がやめると決めないと終わらない。

人の成長とは多くの壁を乗り越え、
過去の概念を手放してより真実であるものを受け入れていくことです。

人間は弱い存在ですから多くの誘惑や恐れにいつも惑わされる。
パートナーは支え合って、互いが戻ってこられる愛という原点、
その巣を守り合います。
どちらか一方が迷子になっても、萎えても、ぶれても、折れそうになっても、
もう一方が支えているかぎり、巣に戻ってこられるチャンスがあります。

時に待つ、時に手を貸す、時に議論する、時に感情的にもなる。
そのすべてが、互いを育てていきます。

恋愛関係ならそこまで本気でぶつかる前に終わってしまうかもしれない。
嫌なフィーリングに恋愛は弱いものです。

でも結婚は、それを乗り越えた喜びもまた、一緒に分かち合うことができます。
かけがえのない存在とは、
そうして育っていく関係性のことだと私は思います。

好きで好きで失うのが怖い、というのは恋に落ちたときの感覚です。
でも、かけがえのない関係性には信頼があります。
そしていつかどちらかがこの世を去ったとしても
永遠に残される素晴らしいものがそこにあります。

恋を失う時、多くは悲しみと痛みや若干の悔いを残し
それが思い出や感謝に変わるには別の学びを要します。

でも、ともに愛を育てることができたパートナーは違います。
一緒に生きたすべてが人生の価値になり得ます。

それから、恋愛と結婚の違いの第二は
社会的責任を一緒に負う、共同責任者になるという点です。

例えばどちらかが何かしらの事故に遭いました。
最愛のパートナーが病院に駆けつけます。
でも、病院側は「まずご家族の方から」と言います。
結婚していないと、当事者として扱ってもらえません。
重大なことほどそうなりますよね。

私はそれはいやだなと思いました。

私たち人間は社会性の生き物ですし
普段無意識だとしても多くの関係性に支えられ助け合って成り立っています。
本来形式はそれをスムーズにするためのものです。

第三に、結婚は多くの人の後押しや祝福を
正々堂々と最大限に受け取れます。
それは物理的な助けのみならず、
エネルギーとしても後押しし、守ってくれる大きなちからです。

ちなみに私は神社で家族だけの結婚式を挙げました。
母も不調で弟も具合が安定しないので
みんなそろって迎えられることすら奇跡的でした。

そんな中、
神職、巫女、新郎新婦、両家の家族が神殿へと向かう「参進の儀」がありました。(写真は神社のSiteからです)

それほど大きくないお庭を列をなして歩きながら
私と主人はそのときまったく同じような不思議な感覚を体験しました。
雅楽の笙が鳴り響いた瞬間、次元の入口が開き
一周する間に、完全に別の次元に移動してしまったような感じなのです。

それから式の間、二人は全く同じ、別次元の世界にいました。
主人の表情が歓喜にあふれ、涙ぐんでいて、
言葉なしにそれがなんなのかわかりました。

結婚が神聖で純粋なものであると直に教わったのです。

結婚だけが、とは勿論思いません。
でもこれから結婚を選ぼうとする方、迷っている方、
また現在の結婚を見直しされる方に
ご参考になれば幸いに存じます。

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いつもありがとうございます。

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