悲しみを慈しむ、慈悲

なんだか嗚咽してしまった。

きっとみんないろんなことを考え思っているけど
感じてしまうことを少しづつ我慢してる。
例えば、どうしようもないことを悲しむことを。

悲しむ代わりに怒ったりイラついたり疲れたりうんざりしてみたり
さらには理論だててみたり。
なにかのせいにすることで片付けようと必死なのだ。

私たちは真実ではないことに少しづつ傷ついている。
その傷を無視することで少しづつすり減る。

今日私の胸はいっぱいになり、パンクした。
たいしたパンクではない。
小さな日常のひとこま。
ただ、真実じゃないことに疲れただけ。
そして優しい何かに触れて
がまんが崩れた。

そんな風に悲しめたことで心底ほっとした。
疲れもパンパンなからだもゆるんだ。

悲しいことを悲しむことは真実だから、
そこには神の光がある。
あたたかい優しさが来る。

別のことであるふりをしている間には
決して癒されない。

私はただ、真実が好き。自由が好き。平和が好き。
理解や助け合いや優しさやユーモアが好き。

溶け合ってひとつになっていくことが幸せ。

対立の根底にある平等さや
議論の基盤にある誠実さや
闘いの奥にある真摯さなどがとても好き。

平等なき対立や
誠実さを欠く議論や
真剣味のない闘いは
まったくの無意味。
それらはただの暇つぶしか搾取の一種だとさえ思う。

そういうすべてを乗り越えた向こうにある信頼が好きだ。

例えば、他者を思う思い。
全体を思いながら持ち場を全うする責任。
そういうことを背負う幸せも。

それが人の本質だと私は思う。

本能を本質と取り違えないことだ。

人間は弱い。ライオンよりオオカミよりヘビよりゾウより。
しかし私たちは彼らに愛を教えることができる。
そのお手本を示すことができる。

それが地球を預かる引き換えの責任。

サルがイヌを愛するのは
人間が見守るなかで起こること。
自然の厳しさから守ってあげたとき
本能を超えた優しさが目覚める。

人間はそれを考え選ぶことができる。
本能には選べないものまでも。
想像して、選び、与えることができる。

神が人間に与えたものは
神に似たちから。

いまだ無いものを創るちから。

しかしそのちからさえ、与えられている。
それが真実。

神は愛。人間も、愛。
それを創造することだけが使命だと思う。

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今すぐ豊かになる

ⒸRUACH[ルーア]沖縄
ルーアから一番近い浜の、ハマゴウの花。庭があったらいっぱいにしたいくらい好き。婦人科系に効く薬草だそう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

前回の記事を書いたら、ライトワーカーに私もなりたいです!と
コメントをくださった若い女性がいた。
嬉しくなる。きっとこれからも世界は愛に灯されていく。

今日本はどうやら貧しいらしい。
優秀でも仕事に就けない人がたくさんいて
ごはんを満足に食べられない子供がたくさんいて
弱い人も、そういう人を助けたい優しい人も
どんどん生きにくくなって
国はどんどん借金がひどくなって
世界中であまり評判が良くない国になって

大きな震災に多くの人が苦しみ
地球規模で汚染するほどの原発の事故を起こして
復興という名の経済活動は
お金があるところにばかりお金が流れている。

欠乏意識はますます私たちを欠乏させる。
心を貧しくさせる。
貧しい人同士が取り合わなければならない世の中。

熊本の震災で、杉山優さんが目の当たりにして愕然としたのは
そういう、今の日本というおうちに住まう
家族たちの素顔を見たからじゃないかと思う。

私の両親は戦中派、と自称する人たちで
昨日と今日で世間の価値観が正反対にひっくり返ったのを
体験した子供たちだ。

私はよく子供の頃、両親から
「美緒、だから世間の価値観なんかに流されてはいけない。
自分の価値観で生きなさい」と言われて育った。

反面教師的な教えもたくさんいただいたけれど、
こういった教えは本当にありがたかったし
勿論、損することもたくさんあったけれど
その分後悔は少なくて済んだと思う。

「自分の目の前のことで精いっぱい」というのは
いつの世にもどんな状況でも
その考えを採用している限り変わらない。
お金があってもしがらみからは逃れられない。
時間があっても
周囲を幸せにするという選択肢が心に無ければ
選びようがない。

私もかつてそういう選択をしていた。
幸い自分はおおものではなかったので
悪影響を大きくせずには済んだと思う。
でも、それはいつも、単なる言い訳だ。

何一つ、差し出したくない
或いは、自分には差し出すものなんてない、という
貧しさを証明していくという宣言なのだと思う。

それを選択している限り、
人生の欠乏は埋まらない。

もし今、本当にごはんがなくて飢えて、死にそうかどうか。
もし本当にそうなら、即座に周囲に助けを求めるべきだ。
1人では解決できないところにあなたはいる。

もしそうでなくて、漠然とした不満を抱え
未来に対して不安を抱き
だから余裕がない、これを続けるしかないと
自分を査定しているとしたら
それは大きな間違いだ。

あなたは今すぐ、自分と、世界を変えるという偉業に
取り組むことができる。

それはさしあたり、日常の何を差し置いても
今立ち止まってみて
まず最初に取り組む価値がある。
気づくには一瞬の時間しかかからない。

「まず神の国を求めよ」がそのことを指しているが
神に親しみがなかった私のような人にはやはり
「まずあなた自身を見直しなさい」と、
そんな言葉くらいでしか表しようがないかもしれない。

この言葉は
「私は精いっぱいなんです。
これ以上努力しろなんて、私に言わないで」
という人には今すぐ荷物を降ろし、楽になる道を用意してくれ

「特に問題があるわけではないんです。
ただ、何を喜んでいいのかわからないんです」
という人には、即座に喜びの道を与えてくれる。

神の国は文字通り私たちの内側の永遠の場に在る。
そこで暮らすにはただ、気づけばいいだけだ。
おおげさな儀式や手続きは必要ない。

さらにその国で生きると決めた人にはもれなく特典が付く。
自分の幸せが即、周囲の、全体の幸せとなる、という。

幸せの取り合いをしているこの世間に居ては
絶対に体験できないことだ。

さて、それに気づいたら、
まずはそのどっちを選ぶか、ということだけなのですが。

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究極の天職

自分とはどんな存在だろう、より自分らしい生き方とは、と考え始めるとき
職業について悩む人は多いかもしれない。

「好きなことができていない」ということで
自分はなにか不充分だと感じてしまう。

ワクワクすることをすれば成功する、お金がたくさん稼げるという思想は
スピリチュアルの定番となっている。

確かに、それは自分と向き合うとっかかりになるかもしれない。
人生でそういったチャンスが他になく、疑問も持ったことがない人にとって
それはそれでいい。

しかしとっかかりはあくまでとっかかり。
それは人生の目的でも魂の使命でもなんでもない。

かく言う私も、完全な豊かさを手に入れない限り、
自分は未完成、というような思いを
以前は少なからず持っていた。

完全な豊かさとは、
自分は必要なすべてを持っているということを知っていることだ。
そのことを知らない限り私たちは飢えたおなかを抱えたまま世界をさ迷う。

自分は不完全でいびつで未熟だ。
にきびが治ってほっとしたら今度はしわとシミに悩む。

そんな自分が自分らしく生きるとは、
という問いの答えを手に入れることなんて
本当にできるのだろうか。
すべては謎だった。

「そのままの自分を愛しなさい」
え?では向上心は?探求心は?

自分がこのままでいなくてはならないなんて、
全然しあわせじゃないじゃない。

神は私たちの心を通して、愛という光を私たちに灯す。
私たちはその光に行く手と足元を照らしてもらいながら
ただそれを生きる。

その生のなかで、私たちは変化する。
その愛のなかで、私たちは与え、受け取る。

その中で私たちはそれを実感し体験する。

ライトワーカー、という言葉を初めて知ったとき、
私はそれになりたいと心から思った。
20代の頃のこと。

つい最近になって、
「ライトワーカーって、
スピリチュアルな職業をしている人のことだと思っていました」
と言われました。

ライトワークは、光をもたらす仕事を、
生きることを通してすることです。
行いの中に愛を注ぐことです。
行いに愛を注ぐことが奉仕です。

奉仕は職業に関わりありません。
お金をいただくから奉仕できないわけでも
プロではないから奉仕できないわけでもありません。

職業の中の行いに、或いは職業以外の行いに
愛を注がないなら奉仕はできません。
しかしどんな行いにでも愛を注ぐことはできます。

どんな行きがかり上でも、その仕事に就くということは
縁があります。
適正がまったくないところに人は長くいられないものです。

その縁は誰が与えたのでしょう。
縁は天が与えます。別名、エネルギーの法則です。

天が与えた縁に、まずは奉仕で応えてみてはどうでしょう。

そこで喜びが感じられるのであれば
あなたはライトワークしています。

それは、行うものの喜びなのです。

天は時に、光の申し子であるあなたを
最も暗い場所に派遣することがあります。

あなたがそこで、変わらず光を灯し
愛を注ぐことができれば
それこそがあなたを霊的に格段に成長させる体験となり
霊的に格段に成長したあなたはさらに偉大な奉仕をすることになるでしょう。

その行いこそが、天が与えた仕事、天職なのではないでしょうか。

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メッセージ

4月を境に実は、私と私を取り巻くエネルギーがごろん、と変わったのを体験中でした。
現状を把握するために自分の点検をこつこつとやっていました。

母が手術で入院したり、それから熊本の震災がありました。
このブログでおなじみになった(させていただいた)
優さんとの実際的なワークの影響もとても大きかったです。

気づきや学びや愛を感じられる素敵な体験もありました。

熊本で震災に遭われて「レイキ、瞑想、美緒さんに出会えてよかった」
とご連絡くださった方。

また以前いらしてくださったクライアントさんが突然お電話をくださって
「実はセッションのテーマだった、彼との結婚へ進めました」
と、ご報告をくださったり、
昨日も「AZUさんのおかげで毎日が充実しています」というはがきをいただいたり

とても込み入ったテーマをお持ちで
2年越しでお電話のセッションをご一緒に重ねてきたクライアントさんがとうとう
新しく出会ったボーイフレンドと一緒にいらしてくださって
その彼もセッションを受けてくださったりと

喜びとねぎらいのギフトが続いていました。

また、時間をかけてセッションを重ねてくださった皆さんが
一歩進んで、セラピストやヒーラーとして自立なさるということも
増えてきていました。

私自身も、なにかもう一歩進まなくてはならない
後押しのエネルギーを感じていました。

やりたいこともビジョンも結構あって
むしろ今世にやりきれるだろうか、というほど
アイディアもあるのです。
が、自分を自動的に突き動かすほどの流れにまで至りませんでした。

たいてい本物の流れ、魂の望む道とタイミングであれば
考えるよりも決める、選ぶ、という感覚で
始めることが自然にできてしまうものです。

瞑想はもちろん重ねました。

そしてちょうど昨日のこと、でした。

ご縁のあるクライアントさんの顔が浮かんでは消え、していました。
私にとって、彼らの魂は、
どれだけ日常のなかで時間を過ごしたとしても追いつかないほどの
深い交流を許してくれた魂たちです。

そして突然、気づきました。
私はただ、みんなが進みやすいように、それを考えればいいんだ。
そのために自分にできること、必要なことを探して、形にすればいい。

そう思うと今の変化のエネルギーがすーっと調和していきました。
自分の中の愛を感じました。
そのあふれ出る出口をみつけてあげられたような喜びが広がりました。

SNSを開けると、大事な魂の一人、彼女の顔が現れ
私は思わず、彼女に心で話しかけていました。

話している内容は正直言葉になりません。
言葉にしてしまうと足りないし偏ります。
でも、本当に心から、愛しい、という
けれどこれまで感じていたどれとも違った感覚でした。

その彼女から今日また、贈り物をいただきました。
まるで私の体験を別の側面から表現してくれたみたいな文章でした。

ここに記します。

 

 
彼女の一言一句から愛が伝わってきて、
自分のことではない誰かの話のように涙しました。

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