心を通してしか出会えないもの

これまで様々なセラピーを学び体験し行ってきた。それで結局のところ私が行きついたのは「神」だ。神、という言葉に惹きつけられる人もそうでない人も、何かしらの抵抗を感じる人もいるだろうと思う。でも結局のところ、それを別の言葉に言い換えたところで、人はそこに戻ってくるしかないのだと私は思う。

それは人間行く先のすべてに存在しているものだからだ。言い換えるなら、人間の行く先のすべてに存在している、その目的のすべてと言えるものが神なのだ。私たちは意識していようがしていまいが、その真実に出会う旅をしている、というのがこの人生で得た最大の気づきだ。

私の肉体が死んで、この人生での気づきが一時的に失われたとしても、その記憶は恒久的に宇宙の記憶に刻まれ、それをまた別の肉体が自己のものとして発見して自分のものとしてくれることだろうと当たり前に思っている。そのシステムを輪廻転生と言う。

それが誰の前世であろうとそんなことはあまり重要でない。誰の、ではなく、すべての人の実感という体験の記憶のすべてが記録され、その記録はまた誰かによって再生されているというシステムそのものが重要だと私は思う。

また私たち人間がシステムを知らずにあたかも偶発的な発生の連続のように人生を捉え生き続けていることのほうが今の私には不思議に感じる。

宇宙の仕組みはそのようになっている、という確信が、もはや今の私にはある。しかしこのことをいくら言葉で語ったところで絵空事のようにしか感じてもらえないだろうとも思う。なぜなら少し前の自分がまったくもってそうだったからだ。

確信というのは、体験と実感からしか生まれないものだ。どうしていつのまにか私が当たり前の事実のように見たことも触ったこともない真実を信じられるようになったのだろう。それはおそらく神の介在するセッションの積み重ねによって他者を通して神を見る体験を積むことができたからだと思う。私にとってお客さまはすべて神の使者だ。

人生が50年を終えようとしている中、日々、1日の重要さを思い知る感がある。すべての瞬間の中に神をみつけ、ともにある実感を重ねたい。そうであるほどにきっと、その波動とその記憶は誰かの意識の中に響き伝わる。そのような連帯こそが真の一体感だと感じる。もはや孤独ではなくなった。

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