なんのために取り組むのか

内面に取り組むワークはなんのためにあるのでしょうか。

トラウマの癒し、病気、トラブル、悩みの解消など、取り組みのきっかけは様々だと思います。ですから、自分とは関係ないと思っていらっしゃる方も大勢います。というか、圧倒多数がそう感じているのではないでしょうか。もし何か問題が起こったとしても「私は現実的な方法で解決する」と思っている人も多いかもしれません。

無理もないことだと思います。
私のところへ来てくださる方々でさえ、自分がこんなことしているなんてみんなには言えない、と思っている方も多いのですから。

しかしもちろん、私の世界観から行くと、現実はそんなふうには成り立っていません。

ワークに慣れている方は「どうしてセラピーなしにみんないられるんでしょう」とおっしゃいます。誤解を生みそうなので補足しますが、「セラピーなしで人生を送るなんて、ほとんどなんにもわからないまま生きてるのとおんなじじゃありませんか、もったいない」というのがその言葉の真意です。

私の言うワークは人間という存在とはなにかを知り、それをまことに生きることを可能にする取り組みです。そんなものなしにみんな生きているではないか、と言われるかもしれません。でも、それは本当でしょうか。

食べて排泄し、与えられたものを利用し、生産し、消費する、というのが人間を生きることであるというならそうかもしれませんが、それが人間だとしたら、生きる目的を見つけ、心底満足することはとても困難だと思います。その前提では人間の生活はあまりに壊れやすく、また、人間の持つ心というものはほとんどが無駄で生産性を欠く存在と認定せざるを得ません。

もちろんそれは大きな間違いです。その一見無駄なものの中にすべてとつながるカギと扉がある、というのが真実です。

私は、ワークは「しあわせ」のための取り組みだと思っています。しあわせ、という目標からぶれなければ、人間は野心や渇望の充足という、かりそめの満足から、本質へと戻ってくることが可能だと思います。

さらに私は、しあわせであるためには自由であることが必要だと考えます。もちろん、内側の、という意味ですが。

トラウマ、病気、トラブル、悩みを乗り越えるには完治することよりも「自由になる」ことが重要です。どのような状況があっても、その状況から自由であるとき、人はしあわせであることが可能です。これはそのまま「人間は肉体という存在でなく、意識という存在である」ことの証拠と言えるでしょう。

ワークはこの自由を、より高度なレベルで体得するレッスンでもあると考えています。


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