楽しんで生きるには

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人間の歴史を調べていると、有史以来人は神との関わりの中で前進してきているのがわかります。誰もが本当は心のなかに神の気配を感じているのに、それを確信し、実感できる人はどれだけ存在したのでしょう。

大学で演劇を学んだ時
『演劇の歴史の起源は人類の歴史のそれと等しい。古来演劇は神に捧げられたところから始まる』と教わり感動したのを覚えています。

人間が人間だと自己を認識したと同時に、人は心を意識し、神を求め、その神に人間であることへの洞察を捧げ、神に認識されることを求めたのだと思います。

けれどその歴史はなぜか血塗られています。神から離れた人間は争い、また神に近づこうとして人は争います。

その結果を見て、神を求めることに幻滅する人もいます。けれど私は、人が幸せを求めて簡単に幸せを手に入れられないのと同じように、神を求めても簡単に見つけることができないことを示していると感じます。

神を、その後ろ姿の片鱗でも見つけることができればきっと、神を巡る争いなどに興味を持つことすらできなくなるだろうと私は思います。

もし本当に神に愛されていることを感じることができたらきっとその人は、他の人ともそれを分かち合いたいと思うでしょう。他の人が愛されることについて、また神の愛し方についてとかやく言う必要はなくなってしまうでしょう。

私は、人間というのは存在そのものが奇跡だと、つくづく思います。奇跡というのは、神のわざのことです。この自然やすべてのいきとしいけるものもそうです。でも人間は記憶し、再現するだけでなく、未知のものを創りだそうとする意欲や知ろうとする欲求、自己を認識するちから、そしてそういった知恵をも超越した叡智をも内包し、それを分かち合い、共感する能力を持っています。本当に、神の似姿に作られていると思うのです。そういった特性の統合のゆえに、愛を知りうる存在であるのです。

人間が地球上で学ばなくてはならない最も崇高なものは、愛です。ですから人間が自己という存在を認識すると同時に神をも意識したのです。神なしに愛を学ぶことはできません。それは宗教上の教えをする神ではなく、すべての人の心の内側の深いところから、常に私たちに音を発し、光を放ち、その存在を示し続けているもののことです。

多くの人がそれを感じたいと願っています。それを感じるために私たちはこの世にやってきます。そしてまず、お母さんからその道標を受け取ろうとします。愛を知るための土台となる、自分を育む愛情を全力で体感しようとするのです。

そのお母さんがどうであろうと、そこに私たちを育んでくれたことが彼女の愛です。ですが、子どもが必ずしもそれを上手に受け取ることはできません。そのボタンの掛け違いから、実は私たちは、より真実の、より大きな愛を求める旅を始めるのだと思うのです。

掛け違いが大幅にずれている人もそうでない人もいるでしょう。でもいずれにせよ、お母さんの愛が完璧でないからこそ、私たちはもっと大きな愛を見つけようと求めることができます。自分の家族を新たに作って、自分ならこうする、という実践をすることもできますし、社会を通して与える練習をしながら神の愛を見つけることもできます。こうして無条件の愛について少しずつ知っていくのです。

この冒険の旅には幾つもの挫折の罠があります。お母さんからしっかりと受け取れなかったことが傷となり、後の体験を積むことを恐れさせることもあります。家族からしっかり受け取れたつもりでも、パートナーとの間でつまずくこともあります。与える立場になったとき、受け取ったときのようにうまく与えることができないこともあります。がんばりすぎて、考えすぎて、感じることを忘れてしまうこともあります。愛はいつでも、頭で理解するだけでは内側に溶け込むことはできません。愛と一体になるために、私たちは心で感じなければなりません。それには心を安心によって開いておく必要があり、その内側には受け取るスペースを空けておく必要があります。でも一生懸命になりすぎると、このスペースは荷物で埋まってしまうのです。

こんなふうに私たちは幾重もの罠にかかり失敗するのです。しかし、心とからだは、失敗を恐れすぎている限り学ぶことができません。

失敗を恐れていると、私たちは体験そのものを楽しむことができません。よく『楽しんでね』と、スピリチュアルの信奉者は言います。それは、楽しいことだけ選んで体験することでも、失敗しないことでも、楽しいげな気分ばかりを感じることでもありません。楽しむ、というのは、真実である、ということです。正直で、自分と一体である、ということです。

そうであるとき、私たちは、苦しみも痛みをも、人生として受け入れ、楽しむことができるようになるのです。それが人生における最大のギフトです。

人生を楽しむには、言い方を換えれば味わい切るには、どうしても神と、その愛が必要です。安心によって心にスペースを空けておくために。

舞台美術、音響、登場人物、そして脚本。あなたは知らなくても、それらを神が、あなたのためだけに、あなたに最も合うように、選んで準備してくれているとしたらどうでしょう。神が、個別に、あなたを格別に愛し、その愛ゆえに、あなたには内緒ですべてを準備してくれているとしたら。本当はそうなっています。

内なる神を見つけるというのは、その神からの愛の贈り物を信頼して生きることなのです。

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