癒しとゆるし

虹は神が二度と人間を滅ぼさないという約束のしるしだそう。
虹は神が二度と人間を滅ぼさないという約束のしるしだそう。


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インナーチャイルドの本を開くと、「潜在意識に毒をもたらし傷を作る原因となった親を必ずしも許す必要はありません」とあります。ここでの「許す」は、親に許可を与える、というような意味に見えます。

「あなたは私に著しく悪影響を与えましたが、私はそのあなたを許します。あなたは自由です」というのはなんだか不自然でいびつでいかにも力みが感じられます。インナーチャイルドの癒しにはそういう不自然な力みは必要ありませんよ、と著書は教えているのかな、というふうに私は受け取ります。

しかし私は癒しには赦しが必要だと思います。理論上でも体験上でも。この赦しは、自分が自由になることとひとつです。自分が自由になる決意をし、そして、その主権は、おおいなるものに委ねます。そうすると、その動きに必要な流れやうねりが起こります。そこでいろいろな方法や人などとの出会いが起こります。それらは聖霊の引き寄せによって起こるイベントです。

ゆるしに関して多く見られる見解として、頭と理論できっちりと結末をつけて納得することをもって、許した、と決めているケースがあります。何を隠そう私がそうでした。理性で許すことがいい、必要だ、と気づくことはすばらしい前進なのですが、理性での納得を赦しだと思ってしまうと、赦しの効果はとても薄くて、ちっとも自由と幸福へは近づけません。インナーチャイルドは更なる要求を強いられ、抑圧に耐えなければならなくなり、苦痛は大きくなるばかりです。そして、「こんなに努力しているのに、どうして私ばかりが苦しむの?うまくいかないの?」という怒りが増します。

そう、こういう壁に当たる人というのはとてもとても努力しています。努力とともに非常な忍耐を重ねています。そして、もっとやらなくては、と感じています。

そして当然勉強もしているので、やってはいけないこと、と言われていることをやらない努力もしています。怒りを抑え、感じないようにし、感情的にならない努力をしています。人に与えたものが自分に返ってくると信じ、他者へ気を配り、思いやりある態度で接しています。にもかかわらず、自分のことをちっともすてきだと思えなし、自分のことがわからないし、いつもぎりぎりまで我慢しがんばるのが普通なので、自分にはちっとも優しくありません。それで、周囲の人も、自分が与えているほどは自分に与えてくれないと薄々感じていますが、そんなふうに感じるのは感謝が足りない人みたいなので、感じることも自分には許しません。

そんな風に生きていると、まるでトンネルの中をただ走らされているように感じてきます。いつか、ここから出なくては、と、出ることが人生の目標のようになってきます。そして、その方法を探しているのですがなかなかみつかりません。時間だけが過ぎ、焦りますが焦れば焦るほど、空回りしてエネルギーは先細りに思えてきます。そして今のうちに何とかしなければと更に焦ります。徹底的に何かをやってみたりやろうとしたりしますが、成果が出ません。

・・・こんな感じのとき、人は思考の罠にはまっています。今ではなく思考の時間軸上を生きています。過去を悔やみ、未来を恐れている状態です。そうなっているとき人は、自分のパワーを肉体次元に縛り付けてしまっています。

解き放ち、自由になる。そうなるためには「道」があります。思考から出て、肉体から魂へと戻るのです。

瞑想だけがその道を示し、おおいなるものが導きます。現世的にはワークとセラピーが役に立ちます。

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