慰霊とともに新たな指針を。


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先日6月23日は慰霊の日でした。沖縄戦の終戦記念日で、学校も休日となります。沖縄に住むまでは私もこの日がこんなに大切な日だということは知りませんでした。

毎年この日は用事と重なったり仕事をしていたりでしたが、今年は定休日と重なったため、平和祈念公園へ行き瞑想することができました。

Twitterのハッシュタグで慰霊の日を検索すると、たくさんのうちなーんちゅ(沖縄人)のつぶやきを見ることができます。若い世代、男女問わず、多くの人がこの日に平和について思いをはせ、平和を損ねるものに対してノーの意志を表わしていることがわかります。

私が生まれたのは戦後21年年目の夏です。子供の頃は、戦争は遠い昔のことだと漠然と思っていました。日々の暮らしの中で戦争の傷跡に触れることができたのは、父母と祖母から聞くものがたりの中でのことでした。

母と祖母は、終戦直後の混乱の中を満州から帰国してきました。30歳になったばかりの祖母は幼い子供3人をたった一人で満州から連れ帰り、またその戦争で夫を失いました。その祖父は沖縄戦で戦死し、この島に骨を埋めています。

日本はまた戦争の犠牲者を作りたいのでしょうか。

私は戦争を恐れます。戦争という暴力は恐れるに値するものです。戦争に恐れを感じないのは、それ以上の暴力的思考に感覚が麻痺し、想像力という人間と神をとつなぐアンテナを折っているからに違いありません。暴力に麻痺している人に必要なのは愛と癒しですから、私は日本を戦争へと導こうとするリーダーが癒やされることを願います。世界で戦争という手段によって利己的な欲求を満たそうとする人が癒やされることを祈ります。またその暴力に無意識に力を貸し、賛同している多くの人が眠りから覚め、暴力の魔力から解放されることを祈ります。

また私自身がこの恐れに絡め取られることなく、自分の意志で平和に向かって歩みを進めることができるように、祈ります。

私は今では戦争というものをとても身近に感じることができます。沖縄には戦争という人類の病をじょうずに包み隠し、目をくらまし、自分たちがどこへ向かっているのかをわからなくする隠れ蓑が少ないのです。そんな隠れ蓑が通用しないほど、戦争の傷は心と身体にしっかりと刻まれているのです。その傷の痛みを家族が引き継いてくれています。私たちはその痛みを、今のうちに自分のものとして、贈り物として、受け取らなくてはなりません。私は、そして夫は、そうしたくて沖縄に来たのだということが今ではよくわかります。

少し前まで、日本では戦争は過去の(負の)遺産だと思われてきたはずです。でもその時にも今も、地球では戦争が消滅した瞬間というのはありません。日本の平和は、休火山のようなものなのではないか、と私は考えていました。そしてその脅威を多くの人が忘れた時、再び噴火するのではないか、というふうに。

戦争を終わらせること、というのは、今地球に乗り合わせている人類にとって最重要で最も直近の目的なのではないか、と最近では思います。多くの人が気づかなくてはならないのは、戦争を終わらせることに本気を出さなくてはならない、という命題なのではないでしょうか。私は瞑想を通じてはっきりとそう受け取っています。

暴力の魔力から人間が目覚めるには、多くの人が自分を癒やさなくてはならないでしょう。癒し、満たし、そして力をたくわえなくてはなりません。愛という最高で最強のパワーを。

多くの人が自分の課題に取り組んでいます。自己への取り組みは尊く永遠です。しかし、自分の欠点を探しまわって虱潰しに問題にしてく必要なんて全くありません。私たちは今にいて、今を感じ、内なる理想の霊である神を自分に投影し、自分を全てに投影し、一つになることが個の目的だと気づき、そしてそれに対して自己を開いて足元からできることをしていけばいいだけです。人生はシンプルなのです。

そのシンプルさを受け入れることさえできたら、私たちは自分の存在の目的や使命もはっきりと感じることができます。多くの人がものごとを複雑に煩雑にし、多くを追い求める方向へ自分を駆り立てています。完璧を目指したりないものを手に入れようと努力することにちからを注いでいるように見えます。でも、本当の目的はシンプルですし、人生で為し得るもの為すべきことは本当に限られています。

きらびやかなタイトルに惑わされないでください。目の前にあるもの、いる人、与えられた関係に目を向け、現状に耳を澄まし、余分なものを手放し振り落とすことに集中することです。他者と比べないでください。隣の芝生はいつも青く見え、比べた瞬間にあなたは負けます。青く見える隣の芝生は、他者に見抜かれることを恐れて青くなっているだけです。いつでも人の恐れの中身は同じです。

進んで他者に弱みを見せることができたらあなたは勝者です。それは愛への一歩に繋がります。

その勝利はひとつなるものを隔てる迷妄の壁を突破し、恐れが駆り立てる攻防の争いからあなたを目覚めさせ、あなたを平和の柱として光り輝かせます。

私たちが恐れの闇を光でひとつひとつ照らしていく時、私たちは戦争を終わらせ、地上に愛を構築するというもっとも重大な任務を果たしていると言えます。

私は、全てのひとりひとりがその内に光を灯し、そのおおもとの光の源と繋がるビジョンを慰霊の日の瞑想の中で観ました。それを実現するのはまず自分、そして一番身近な人たちと分かち合うことからです。そうしながらも、最上の、魂が喜びで膨れ上がるような最上の目的をいつも胸に灯しておくこと。慰霊の日にしるすことができることに感謝します。

本当の自分に出会う。


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多くの人が抱えていてそして恐れているものの中に、怒りがあると思います。どうして怒りはこんなにも嫌われているのでしょう。こんなにもポピュラーで日常的で私たち人間の感情の中でも大きなポジションを占めているものだというのに。

しかしながら怒りは抱えている人も、そしてそれを見ている周囲の人も、なかなかいい気分にはさせないことは確かです。見ている周囲の人がいい気分がしないのは、自分の中にもあるそれを感じてしまうから、と言えるでしょう。つまりは誰もの中に在ってしかるべきものです。

この怒りの使い道は本当はたくさんあります。ついさっき『盲腸は実は重要な役目を持つ臓器だった!人間のからだに無駄なものはやはり一つもなかった!』という記事を読んだところですが、怒りという感情エネルギーだってそうに違いありません。

では私たちが不愉快でいい気がしない怒りの正体はいったいなんでしょう。怒りのエネルギーは中医学では「肝」に関わると言われています。肝臓が悪い人は怒りに偏る傾向がある、というのは確かに観察していると合点がいくことです。また、冷え取りの進藤先生は、心における肝臓の毒は「傲慢」として現れるとおっしゃっています。

傲慢という言葉、これがまた、嫌われそうな言葉です。多くの人は自分は傲慢ではない、と思っているかもしれません。つい最近読んだ、小説家の村上春樹さんの『アンダーグラウンド』という地下鉄サリン事件の被害者へのインタービューで綴られた本のあとがきで印象的な言葉がありました。「自分は生意気で身勝手なところはあるにせよ、決して傲慢な人間ではないと考えてきた。」という一節です。もちろんこの後に逆説が続きます。「しかし自分の置かれている立場は、好むと好まざるとにかかわらず、発生的にある種の傲慢さを含んでいるものなのだ。」

これは村上春樹さんがサリンの被害者にインタビューする行為について書かれていることですが、私はこの部分は人間についての真実を表していると感じました。

私は自分の中に無数に存在する怒りをなるだけつぶさに見つめてきました。その裏にはいちいち傲慢さという存在悪のような観念が貼り付いていました。

自分に自信がない、という言葉をクライアントさんから伺うことは多いです。では自分に自信がある、というのはどんな状態でしょうか。あるがままの自分をすべて受け入れすみずみまで愛している状態でしょうか。おそらくそうイメージしたなら、それを自分に自信がある、とは表現しないのではないでしょうか。自分に自信がある、というのはもう少し表層的なイメージを指しているように思えます。例えば、自分は正しいことをしているという確信がある、というような。

私は、自分に自信なんてなくて当然、だって人間って全然あてにならない生き物だもの、と思っています。肉体としての人間は信頼に値しない存在です。誤解や勘違いばかりし、昨日できたことは今日できなくなっており、真実とは違うことばかりに気を取られ反応し追いかけています。そんな自分と付き合っていれば、どうも自分を信頼できないと感じるのは当然のことです。そしてそうでない自分になりたい、自分に自信を持ちたいと願うのかもしれません。

しかし人間という肉体の特性を備えた時点で、私たちは確実で無限で不変たる存在ではなく、波立ち流れ現れては消えていく存在です。それに信頼を求める事自体が勘違いなのです。しかし同時に私たちは、確実で無限で不変たるものを追求することの可能な存在でもあります。スピリチュアルというのはその追求なのだと思います。

さて、正しいことをしている確信というのは人間にとって魅力的です。自信に溢れ、輝き、エネルギッシュな感じの人の多くはこういった状態にあるのかもしれません。しかし私はそもそもその土台というというものが気になります。私たちの肉体の目は最初から偏見というフィルターに覆われまくっています。その偏見に満ちた目と尺度と価値観によって正しいと信じられた状態にあること、それは「発生的にある種の傲慢さを含んでいる」と言えるとも思います。同時に自信がないという気持ちの裏にもそれは等価に存在します。私たちの土台そのものが「発生的にある種の傲慢さを含んでいる」ということに気づかないと、私たちはそこから自由になれません。傲慢という船に乗りながら自由にたどり着くことはありません。傲慢という船に乗って、怒りの不愉快さと罪悪感から逃れることはできません。

私たちは発生的に含まれている傲慢さに気づいていく必要があります。そうしないと、愛という真実を感じることが難しいからです。そして愛の発信源になることももちろん困難です。そもそもの土台が非常に不安定で曖昧で気まぐれなものだということに気づけば、私たちはいちいち誰の土台が悪いとか、誰のが誰のに劣っているとか優れているということにとらわれる必要もなくなります。

私たちの価値基準はこの真実に気づかない限り、いつまでたっても周りの誰かとの比較でしかありません。それをしている限り、私たちは、さして価値のないものと自分を比べて自信満々になるか自信喪失するかを繰り返すことになります。自分を受け入れる、自分を愛する、また他者を無条件に愛するなどということは夢のまた夢のようなことになってしまいます。

「私は私の中へ潜り込み、本当の私と出会います」ということの本当の意味は、自分は他人と比べてこんな長所や才能を持っていると発見することではありません。「私は誰もが持ってる不完全を持っていて、同時に確実で無限で不変の真実をみつけることができる霊です。そしてすべての人がそうです。」ということこそが、本当の自分と出会うということの意味です。

ゆめものがたりとしてお読みいただければ幸いです。


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私には、内因性の二大精神病と言われる統合失調症と躁鬱病の家族がおります。内因性というのは、身体の中、外、器質、機能などの原因を調べていっても結局原因がわからないというようなことでそう呼ばれているそうです。

鬱病は昨今では心の風邪程度の扱いを受けるようになってきていますが、我が家の躁鬱病体験は壮絶です。この強大な病気に関して振り返ったり総括できるようになったのは最近のことです。総括と言っても病気は継続していますし、家族の闘病は続いています。

躁鬱病のほうは父のものです。統合失調症は弟のものです。二人とも病気は重度です。

父はこれだけではなく時には統合失調症や妄想性人格障害のような症状を併発し、その症状が頂点に達すると癲癇の発作のようなものを起こして倒れ数ヶ月にわたって意識をなくし、戻って来た時にはピーク時の記憶自体を失っている、というようなことを周期的に繰り返しています。

私はこのたった三行に満たない内容を理解し言語化するのに五十年近くの人生を要したように感じます。

この三行に整理できたのは、ごく最近のことです。父の病気の周期は神業のように私の人生に課題を与え続けています。この父の病気と、弟の病気は見事に関わりあっています。

私が今のような意識の探求をし続けてこられたのも、この二人の存在と病気なしにはあり得なかったことです。特に、弟の存在は大きいものでした。弟とは二歳違いで、とても仲がよく互いに信頼で結ばれた関係です。弟は顔と全身に青と赤のあざを持って生まれて来たこともあり、家族にとっては特別な存在でもあります。

私自身といえばこれは典型的なアダルトチャイルドです。アダルトチルドレンというのは、親が通常の役割を果たせずにその役割が持ち回りになって補った結果として来る、人格の成長のしわ寄せのようなものです。

私の場合は三人きょうだいの一番上であることもあり、父の代わりにいつもまっとうで正常で理論的で情緒が落ち着いている必要がありました。しかし特に情緒が落ち着いていなくてはならないという課題は非常に厳しいものです。私はアダルトチャイルドだからこその不可能に常に挑まなくてはならないというジレンマの中に成長しました。

私はアダルトチルドレンの症状に苦しみました。更に精神の病と常に隣り合わせである恐怖にさらされていました。自分がいつ、あちら側にまわるのか、その恐怖は強大でした。私は中学生の頃から精神病院に付き添いでついて行ったりしていましたので、お医者さんの言い分や理解についても目の当たりにしていました。そこでわかったのは、父については何も理解されていないということでした。父はしばしばお医者さんを騙しました。そして、取り乱している母や私のほうを異常者に仕立てることは簡単でした。父は能弁で頭がよく知識豊富でしかも、演技がとてもうまかったのです(笑)。私はその父に負けるわけにはいきませんでした。負けたら何もかも終わりだと思わざるを得ませんでした。まだ子供でしたし。

父は弟が生まれて以降、病気の症状に切れ目はほとんどありませんでした。子供の目から見て、父は過剰に興奮しているか、死人のように天井を見て物言わないかどちらかでした。興奮時には、過剰に情緒的になったかと思うと過剰に怒り出し過剰に暴れ暴言を吐き、それから突拍子のない奇行をしました。それから死人のように物言わないかと思うと自殺未遂をしたりもしました。学校から帰ると家中がガスの臭いで充満していてその中で父が寝ていたことが何度もありました。危険なので父の日記を母とこっそりチェックしました。運転中にどこかへ突っ込もうとしたなどということが、向精神薬のせいでへろへろになった文字でよく書かれていました。

とても厄介だったのは、この病状は本当のピークに達するまでは傍からは病気だとわからないことと、家族も周囲には隠さなければならないと思っていたことです。さらには、私が子供だった当時、父は結構売れている声優で、声優ブームのスターでもありました。そして父は、かなり悪化した病状のさなかでも、台本を持ってマイクの前に立ちさえすればかなりいい仕事をしました。倒れて意識を失うことさえなければスタジオへ通い仕事ができました。ピーク近くにはスタジオで倒れたことは何度かあったと思います。また宇宙戦艦ヤマトの映画のシリーズで一話、どうしてもできなくて代役ということがありました。スタジオでも暴言の影響は少なからずあり、一時は親密にお付き合いしていた方も必ずのちには仲違いをして、縁を切る、ということになりました。(父は縁を切るという言葉を多様し、それは私にも何度も向けられました。)それは極度に偏屈な芸術家のように(例えば絵に描こうとして自分の耳を切り落としたゴッホのように)も見えました。

何度か父について周囲に説明しようと試みましたがほとんどは私が笑われたり怒られたりして終わりました。父の周囲には似たような病気を持つ役者さんもいて、不幸中の幸いというのか、天才とキチガイの紙一重のようなところで父は社会的には一応成立していました。父は近年病状が落ち着いた時には「お父さんは紙一重だな」などといい声でニンマリしながら語るユーモアも持ち合わせた人です。

しかし躁病という病気は、いったん気が大きくなると散財を招きます。途方も無い、無理な計画を立てて実行に移し、また目的達成のためなら手段を選びません。(この点は妄想性人格障害の症状に近いかもしれません。)私は声優の仕事をしていた時、先輩の役者さんから「秀生さんは飛ぶ鳥を落とす勢いで仕事をしていたからもう稼ぐ必要ないでしょう」と言われて驚いたことがあります。我が家の実情は火の車で、とうとう家まで手放すことになっていたからです。振り返れば躁になる度に散財して手元には借金しか残っていなかったのでした。

最初のうち、私たちはそれはお酒のせいだと思っていました。私が十歳の時父はお酒をやめました。それで悪夢は終わるのだと家族は信じていましたがそうはなりませんでした。それは家族が離散するまで加速し続けました。

弟は高校生になってから、朝起きられなくなりました。起きてもいつもテーブルに頭を突っ伏して泣いたりうめいたりしていました。傍から見ていてなぜそうなのか理解できませんでした。眠たくてぐずっているのかな、というふうにも見えました。母は弟を学校へ送り出さなくてはという一心でいつも怒鳴っていました。弟は苦しみの中からこれに応戦し、怒鳴り合いが毎朝の日課になっていました。当初はわからなかったのですが、これが統合失調症の初期の症状だったのではと思います。私はと言えばこの毎朝の日課に苦しんでいました。なぜ毎日こんなことを繰り返すのかと心底うんざりしていながらも、どうすればいいのかわかりませんでした。私自身、高校の後半は鬱状態と今で言う過食症で体調も非常に悪く、大学に行けたのも奇跡的で、その後の自分の人生を生き抜けるかどうかに必死でした。演劇というものだけが自分の人生における希望でした。生きてもいいという許可に見えるしるしはそこにしか見えませんでした。

私は大学を三年で中退し、その一年後、父がまた倒れて入院した間に逃げ出すように家を出ました。中退後の一年は、自分が狂わないこととの戦いでした。一度は高熱を出して、母の言葉にキレて、テーブルの上にあったカルピスの瓶を鷲掴みにし、テーブルにぶつけて割ったことがありました。なぜそんなことをしたかというとその時母から「あんたたちはどいつもこいつもキチガイだ。あの父親の子供だから」というようなことを言われたことが引き金です。生まれてこのかたずっと、母の味方をし、この頃には父を憎んでいましたから、突然父の仲間に入れられたのは屈辱でした。しかしこの頃は度々母の口からこのような言葉が出ていて、私も我慢の限界だったのです。私は叫びながら割れた瓶を握りしめていたので、母から救急車に乗せられました。パトカーでなくて救急車だったのが母の気持ちだったと思います。病院ではもちろんすることはなくすぐに帰されました。

父の病状に切れ目があったとしても、それを見分けることは私たちには不可能でした。うっかり心を許したりすれば何倍にも酷い仕打ちをされます。さらに母の右腕である私にしてみれば、母を苦しめている原因を許すことなどもってのほかでした。私が高校生の頃には父はキチガイなばかりか人でなしの悪魔だという位置づけになっていました。ですからその悪魔に気を許して傷つけられるようなことがあればそれは自分の落ち度だというふうにも感じていました。ですから正気の父をみつけようなどという発想そのものもありませんでした。ひたすらに敵を憎むことを心に命じていたわけです。

家を出たからといって家族の問題から逃れることはできませんでした。家族の問題というのはほぼイコール心の問題でもあるからです。私の自己不信の症状は悪化しました。貧困も酷いものでした。自分には生きていっていい要素がなにもないと心底思っていましたし、心の苦しみから逃れられる瞬間というのはほぼ全くなかったと思います。おもしろいことにこのような時期には安らぎとか平安というものを求めることにすら興味がありませんでした。そんななまやさしいもので自分の人生がどうにかなるとはまったくもって思えませんでした。なにか衝撃的な出来事をもってしかこの歴史にとどめを刺すことはできないとしか感じることができませんでした。例えば私が社会的絶対的地位を得るだとか、家族の誰かが事件を起こして死ぬとか、そういったことです。電話のベルがなると、誰かが死んだのではないか、と、いつもドキドキしました。二十代の終わりの頃までがそんな感じでした。

精神病者が家族にいるということはものすごい威力を持ちます。からだの病気や他にもいろいろな苦しみというものがこの世にありますが、精神病というのは人格というこの世における暫定的な安全の領域を破壊し、その周囲の人の価値観や世界観をも破壊します。精神病者の家族(子供)はそれを意識的に再構築する必要を迫られます。子供の頃に自然に築かれた領域があまりに偏ってしまうためです。しかしそのことに気づきまた体系的にそのケアをするというシステムはまったくもって確立されていません。病気の症状が人格的な特質とかぶるため、近親者はその症状と人格の区別がつかず、彼らとコミュニケーションをとることが非常に難しく、そこから信頼関係を築くことが困難です。

もしこれらの精神病というものが百万や一千万人に一人のような病であれば、私の体験は一般的にあまり役立つものではないでしょう。しかし実際の発病率は統合失調症で百人に一人、躁鬱病で百人に三~四人と言われています。これは、私の感触からはほど遠い数字に感じますがきっと根拠のある数字なのでしょう。だとすれば、私のように患者さんの家族であったり、または影響を受ける親類であったりする人は人口の二割くらいに達する可能性があるのではないでしょうか。私は最近この考えに至った時驚愕しました。私が体験してきたことは実は私が感じてきたほどマイノリティの世界ではないのかもしれないと気づきました。そして自分がもっと積極的に明らかにすべきことを抱えていることを感じました。

こういった病気を持つ人の家族は、一度ならずきっと、この人さえいなければ、と考えるのではないでしょうか。或いは自分が縁を切ってここから離れようと試みるか。私も両方体験しました。そしてそのことを真剣にやってみるとわかるのですが、それは不可能なことなのです。精神的にも社会的にも、私たちは絶対に逃げ切ることはできません。最終的には生命を断つことでそこから永遠に逃げ切ろうという考えにも至ります。それを実行なさる人も多いでしょう。これは病気の本人にも多く見られるやり方です。しかしこの方法も、魂という考えに至れば成功はしないということがわかります。

にも関わらず、社会の中にその救済のシステムは存在(機能)していません。原因不明の病気とされており、家族を精神的に追い詰め、生活は困窮し、実際母と私は重度な鬱病を経験し、妹は身体のあちこちに不調を持っています。それ以前に、人格を破壊されてしまうほどの脅威なのです。私たち家族はその脅威の中を奇跡的に前進して来たと感じています。これは、私たちの家族の愛と、愛に対してあきらめない姿勢なしにはありえなかったことだと思います。

この病気を持つ人とその家族が癒やされることと、この世界が大きく変わることは直結しているのでは、と、私はその驚愕の中で気づいたのです。発病とされていない中にも、人間同士の相容れない障壁の原因の大きな一つにこの病は在るのではないかという考えが浮かびました。

つまりは人間の意識の働きというのは電気信号です。この電気信号はとても微細な何かに反応し、何かに影響を受け、そして結果として作動します。完全な正常もなければ完全な異常もありません。ただ、現象としてそれは起こります。

私の中で最近ではこの病理の仕組みのようなものがおぼろげながら掴めてきています。意識の仕組みの中でもなかなか手をつけるのが難しかったこの領域に、私なりの感触が掴めてきました。これについては証明しようとかいうつもりはありません。でも、私自身が理解することができれば、対処の仕方や受け入れ方、またコミュニケーションの仕方、家族としての自分自身へのケアの仕方はわかります。癒しという点で言えば、どう癒やせばいいかわかります。この病気のカルマの仕組みが見えれば、浄化は易しくなるはずです。

実際ここのところの家族二人の病状は以前の暗闇の状態からは非常に良くなっています。あらゆる面でそれは明るみにあります。そして受け止める家族も進化し続けています。私の実感としてはこれは家族の愛と祈り、神の愛と癒しによる結果です。愛だけが癒やすことができるという何よりの証です。何よりも、私が父を愛しているということ、何があってもそれは変わらないということがわかっているということが奇跡です。

私は常日頃、この世で苦しむ人は幸いだと思っています。苦しむ人は幸福を求め、求める人にはもたらされます。本気で幸せを求める人は必ずそれをみつけることができます。なぜなら神という根源なる無限の意識が私たちに最も与えたいと指し示しているものがそれだからです。私は照らしてもらったように照らしたいと願います。受け取ってくださる方に少しでも丁寧に届けたいと願い、これからも顕していきたいと思います。できることならもっと積極的に、明確に。そのために神が私を使ってくださることを祈っています。