潜在意識と戦争。

辺野古埋め立ての要請が行われました。17年を経て今だそうです。

私は、人間の進化の証として、愛と、平和の象徴として、この世界から戦争が消滅するというビジョンを持っています。これは、今の私たち人類にとって共有し得るビジョンではないでしょうか。ただ、これまでやってきた悪習をやめるだけのことなのですから。

愛と平和の社会というとよく、お金のいらない世界だとか、共同体を作るとか、今と全く違うシステムに変わるというビジョンが提案されています。『スライブ』という映画では、エネルギーのシステムが変われば共存ができる、という提案がされています。私もスライブは素晴らしいと思います。

だけど、その前に、です。新しいものを生み出すには、或いは受け入れるには、古いものを手放さなくてはなりません。長い間人間を支配してきたサバイバルという本能の権化が戦争という人間のからだに巣食っているおできです。

過去にはこのサバイバルが人間が生き抜くために必須だった時代もあると思います。しかし今ではそれは中身のない儀式のように形骸化され、それを一部の人間によってビジネスとして利用され続けています。重要なのは、利用する側は地球上のごく一握りの人たちで、利用されているのが大多数であるということです。そしてこともあろうに、利用されている人は、自らの意識の中でそれを選んでいるというとことです。利用されている人は自由意志でこう言います。「戦争は人間の本能だよ。」「戦争はなくならないよ。」「戦争があるのはしかたないことだよ。」

これらの信念というのは、ほとんどまったくもって、問い直しがなされていない、ごく幼い、人間として未熟な段階で身につけている信念だと言うことができます。「だってみんなけんかするじゃん。」「男同士ってのは競い合う性なんだよ。」「食べ物が足りなきゃ取り合うだろ。」これは、人間の特性と言うよりは、もっと知性の低い動物の特性です。主語を「猿とは」に置き換えてみてください。・・・当てはまりますよね。

しかし猿とて、優しく育てられれば思いやりや共感という心すら育ちます。

古くは人間も猿に近かったのかもしれません。その頃の記憶が潜在意識に刻まれていて、あたかも「生き抜くためとなればそのように振る舞わなければならない」と無意識に思わされているのかもしれません。おそらくそうです。

意識の世界を探求し実践している私が言わなくてはならないこと。それは「潜在意識などというものは人間の本性ではない」ということです。多くの人が誤解しているのです。本能というのは、と置き換えてもいいかもしれません。もう一度言います。「本能などというものは人間の本性ではありません。それは単に「習慣」です。」刷り込みであり、思い込みです。そしてその刷り込みがあって、確かに身を守ることができます。火を見たら、その中に飛び込んではいけない、というのが動物の本能です。虫にはそこまでの記憶の貯蔵領域がないので火を見たらつい飛び込んでしまうのです。それより少し進化して、動物はそうしないのです。敵と思えるものが近づいたら攻撃か防御をする、というのも動物のサバイバル能力です。しかし動物は食べるため、そしてそのための縄張り意識以上に富を得ようとはしません。

人間はそれ以上に考える、そして想像し、創造するという能力を与えられました。この能力は無限のものです。それをどこまでもいかしていいという自由が与えられています。でも肝心なのは「何のために」それを使うか、です。

今人間が立っている岐路があります。私たちが神に似た性質、「創造と無限」の能力をどこへ持って行くのか、という問いへの応えです。それについて考えなければ私たちは選びようがありません。漠然とした感覚意識である本能のままにいたのでは、動物として生きるしかありません。いったん問い直しさえすれば答えは難しくありません。神の性質をどこへ向けて持っていくのか、それは、神のところへ持っていくのが自然です。

では、人間が神を目指して生きるというのはどういうことか。これも、神について考えたことがなければ「わからない」でしょう。でもいったん考え始めれば、答えはあります。わからないと思っている人は、考えるのを、或いは追求することをやめてしまうからわからないのです。でもやり続ければ誰でもわかります。なぜならその答えを持っているのが人間だからです。

私は日々、自分の意識と向き合う決意をしてやってきてくださる方々と向き合っています。そして一緒に探求することでいつも必ず奇跡に立ち会います。奇跡というのは、人間が持っている限界だろうと予測できる壁を突破することです。しかし、やればできるのです。やり方やコツは、やってみた人にしかわかりません。だから、やってみた私と一緒なら短時間で突破できます。そして私はその奇跡をいつも自分の胸に刻みながら、人間という存在のものすごさを目の当たりにさせられ続けます。人間って本当にすごい、すばらしい、と毎日思わされます。こんなにすごい生き物が寄り集まって、その能力をわざわざ動物のまね事に使うなんて絶対にあり得ないとことだと思います。動物が低級だというのではなく、動物はベストを尽くしてそのやり方なのです。人間がベストを尽くしたら、違う現実、違う道、違う可能性が、無限に約束されているというのに。つまり地球の生き物すべてはベストを尽くしているのに人間だけが怠けることを覚えてそこに甘んじている可能性があるということです。

さて、言いたいことは山ほどあります。人間が戦争をやめたら、世界は今のままではいられません。殺しあうことではなく、また、騙したり騙されたり、利用したり利用されたりすることをやめて助け合う次元に人間はアセンションします。(アセンションって現実なんですよ。誤解しないでください。)習慣の奴隷になることをやめてみる。ただ、やめるということが重要です。だって本当にそれだけでいいのです。世界を大きく変えるには、新しいことをやらなければと悩む必要はなくて、ただ、もういらないものを断捨離(あえてこの言葉で言いますが)するだけでいいのです。

「私は戦争を選ぶことをやめます。そのために、利用されることをやめます。戦争を容認することを、動物の本能のせいにすることをやめます。戦争を容認したり養護することをやめます。そのやり方が人間らしいやり方だなどという考えを受け入れることをやめます。」ただ本気でやめると「イマジン」してみてくだい。

実際戦争が終われば次には具体的な変化が来ます。まずはエネルギーが大きく余るようになるでしょう。不足だから戦争が起こったのではありません。戦争が不足を引き起こしていたのです。貧困がなくなるでしょう。貧困は戦争が引き起こしてきました。過剰な富や支配権を本気で欲しがっているのなんて、まして手に入れてきた人なんて、本当にごくごく一部です。多くは自分と家族や身近な人の幸せを願っています。その願いが満たされることで私たちはその幸せをもっと広げたい、多くの人がそれを味わう人生を送ってほしい、と願うことができるようになります。地球上のすべてがそうあってほしい、という祈りは地球と宇宙の神々の望みと一致し即座に叶えられるでしょう。

それでも人間は欲望を追いかけるものだよ、平和になれば欲望がまた出てくるさ、と思う人もいるでしょう。その、あなたは、どうなんでしょう。本当は、人間って所詮こうなんだよ、というのは自分を正当化するための言い訳です。自分から出てきて止まない欲望を恐れているから、人間の本能のせいにしたいのです。欲望は出てきます。でもその時あなた自身、私自身が、なにを優先するか、どちらに価値があるか、と、選ぶだけなのです。恐れにからめとられて全体を貶めるか、それとも自分にとって本当に価値がある方を選ぶか、だけです。

さて、戦争が身近でないかりそめの平和の中にいた日本人は、戦争を宗教のせいだと思っている人も多いでしょう。このことについては次回書きます。

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