『ゆれる』と『マリアたち』について。

前回の続きを書くつもりだったのですが、おやすみします。社会問題も気がかりですし、言いたいこともあるのですが、今日は映画のこと。

元々は役者をしてましたし両親も芸能関係の芸能一家で映画は好きとか言うレベルではないほど好きでしたが、意識の探求をするにつれて尋常じゃないレベルからは離れました。それでも映画は週に数本見ます。

いい映画にもちょいちょい当たります。一番最近では『ゆれる』という西川美和監督の映画は抜群でした。2006年作品。主演がオダギリジョーさんということで敬遠するところですが、その他のキャストが面白すぎだったので選びました。オダギリジョーさんはいい映画に出ているんだけど毎回いまいちな物足りなさを残すので。ですが今回は初めて及第点。手足の長いスタイリッシュな男の武器のだめな使い方というのが見事に出ていてよかったです。悪口みたいですけどそうではないです。自分の持ち物に頼って或いは無視して演技している間は持ち物の良さを結局は使いこなせないのですが、それを客観的に理解できるとそれを使いこなせると思います。この映画ではそれがうまく機能していたように思います。香川さんと絡んでいてきっと、気づいたところも多かったのではないかと推測します。

圧巻は香川照之さんのいちいち絶妙な演技で、こんなにも一言一言に緊張する作品は久々でした。久々にこういう映画の見方をさせられました。昔、子供の頃はこの緊張感を味わいたくて映画を見たものです。ひとつのセリフをこのトーンで言うか否かで、その人物像がどう刻まれるか決まります。そういうふうに役作りをみんなしなくなっていて面白くないのですが、本当にビタイチ聞き逃したくないと思わせてくれる演技で、後から、あの時その人物がなにを思ってそのように言ったのか、どの心情でそんな風に言ったのか、走馬灯のように遡ることができるような見事な芸術になっています。映画は娯楽ですが、人間の心、エゴの探求にはもってこいの教材です。というか、教材になり得るようにしっかりと人間を観察して作ってくれたら映画全体がぐっと面白くなると思うのですが。

こういう撮り方をする西川美和さんという監督はきっと、こういう映画の楽しみ方が好きなのではないかと勝手に共感します。ストーリーがサスペンスだと、火曜サスペンスか土曜ワイド劇場でよかったんじゃないかと思えてしまう日本映画が多いのですが、こんな風に作ってくれたら映画って素晴らしいと思えます。

見終わってから、『ディア・ドクター』を撮った監督だと知ったのですが、あれよりもこちらのほうが傑作に感じました。他の作品も楽しみです。

この少し前にとっても良かったのは『屋根裏部屋のマリアたち』という映画。フランスが舞台でフランス人とスペイン人が主役。最近ハリウッド以外の良い映画を観て、もしハリウッドだったら、とイメージしてみます。優れたハリウッド映画って、映画の見方、観客の視線も全部決められていて、本当に何にも考えず、想像せずに見ることができます。それ以外の良い映画は全く違っていて、捉えにくかったり、知識や背景に対する興味が必要だったりして、ちょっとずつ紡がれていって気がつくとハートの中で世界が熟して感動しているような感じ。ハリウッドには好きな役者さんがたくさんいますが、ヨーロッパの映画では「この人本当に役者なの?」「こんな普通な感じの役者さん、よく見つけてくるよ」というような役者の層の厚さを感じます。調べると舞台をやり脚本も書いている、なんていう役者さんがごっそり出ていたりして、そうだよな、そうでないとな、と思わされます。

日本の役者さんがタレントさんになってしまって年月が経ち、年配の修行を積まれた役者さんがどんどん亡くなっていくのはとてもさびしいものです。

人間が人間として普通に豊かに生きることをちゃんとやるには人間としての探求や訓練が必要です。そうでないと人間は人間にもなれない。私は語弊を恐れずそう思う。役者というのはそのスペシャリストでもあってほしいものです。そうでない役者はおもちゃです。

日本がおもちゃの国にならないように、本物の人間が作る、神が微笑む集合体であってほしいと心から願います。

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