私の内なる宇宙は今

みなさんこんにちは。すっかりご無沙汰してしまいました。お元気ですか?ワークショップ、MillerMagicのご報告を・・・と思いつつ時間が過ぎてしまいました。いらしてくださったみなさん、本当にありがとうございました。私としてはとてもいいお時間をいただき、本当に心地の良いみなさんの波動に包まれ幸せをまたひとついただきました。このムーブメントを生き物のように流れに乗せてあげられたらな、と思います。またみなさんのご参加とご協力をよろしくお願いします。ご要望などもありましたらヒントになりますのでどうぞお寄せください。

沖縄は暑いけど空気は秋、という私好みのいい気候です。今日の知念の海は台風が向かっているのに不思議と穏やかで鮮やかな碧色をしています。

日本はなんというか今本当に二極化の流れが進んでいるんだな、と思います。アセンションは幕開けに過ぎなかったんだと納得しています。この2年半、311以降もっぱら社会をウォッチしてきました。それをきっかけとして目覚めた、とおっしゃる方はたくさんいらっしゃいます。身の回りでも気づきを共有できる体験が増えているとおっしゃる方も大勢います。だからきっと、世界は大丈夫なんだ、と実感している方も多いでしょう。一方で今の社会の閉塞感はきっと、感じる方にとっては大きな苦痛だと思われます。

社会をウォッチしていると、この閉塞感はとてもリアルに伝わってきます。私自身も時々この幻想の波に揺さぶられて塞ぎそうになることもあります。でも、それを無視して過去の習慣をなぞろうとすることはさらなる苦痛を伴うでしょう。今にいるというのは、今起こっていることに対して開くことでもあります。ただ、それに反射的に反応するのではなく、それに対して反応している自分を観察し、また内面の動きに意識を向けて、内側で起こっていることを見守り、自分の面倒をみてあげることが大切だと思われます。

原発の問題を見ていると、賛成、反対の是非だけではくくれない、奥に潜む事情があることがわかってきます。しかし、これらの事情を私たちが常識的な認識として共有するレベルに達するには私たちがもう少し学んでいかなくてはならないようです。学ぶというのは、知識として知ることだけではなく、価値観や既存の常識、固定観念などの枠組みから自由になることを実際に身につけていくことです。新しい常識を自己に取り入れるためには古い枠組みをいったん外し、より広大な、或いは深遠な視点から、囚われなく世界を観る必要があります。

私たちの意識という世界、つまり目に見える外側の物質界を創っている元となるエネルギーの次元では、個我である潜在意識から更に内奥に向かうと一つに繋がっています。その一つである領域を神、光、宇宙意識などといいます。この領域はすべての人間に平等に開かれています。潜在意識は過去のカルマによって様々な様相をしていますが、この純粋で完全で無限の領域に向かい、それを目指す自由を私たちは与えられています。私たちが世界を変えたいと願うのであれば私たちはこの領域に向かう必要があるでしょう。そしてその道すがらに、様々な個々のテーマに出くわし、それと向き合い、理解し融和し乗り越える体験をします。これが自己意識の浄化です。

原発の問題を言いかけたので例にとります。善なる意図を持つ原発反対の人の意見で最近目につくのは「たとえどんな意図であろうと、原発反対の意見であれば歓迎し、支持する」というものです。ごく最近で言えば小泉さんが原発反対を言っているからたとえどんな意図があろうと彼を支持する、というようなことです。私はこの考え方に以前から疑念を抱いています。この判断の方法は古来からある白か黒か、そして同じであれば味方、反対なら敵、というやり方です。声を上げることはとても大事だと思うのですが、この価値判断の仕方はスピリチュアルの教えに言われる古い(波動の荒い)やり方のように思え、私たちが本質からそれていく時の在り方のように見えます。共有することと、多数派になって少数派を圧倒し勝つことは似て非なるものだと私は思います。私たちが真理や真実や愛という、普遍的な叡智を共有するようになることでしか、この二元性のゲームの真の勝者になる方法はあり得ません。つまりみんながこれはゲームだったと気づくことでこのゲームはすべての人にとってのハッピーエンドになります。

赤い旗を掲げる人を増やし青い旗を圧倒するやり方はこれまで不幸を生み続けて来ました。このゲームに勝者はなかったし、これからもないでしょう。これはカルマを作り消費するやり方です。結果として恐怖を生み出すのです。

たとえどんな意図であっても、同じ旗のもとにそれを利用する姿勢には危険もはらみます。もちろんその賭けが一時的に功を奏することはあります。一見悪の使者が天使の役割をすることもこの世には在るように見えます。けれど、意図というのは私たちの根源なるパワーを行使する時に使うのが本来であり、簡単に軽視されるべきものではありません。あくまで共有、和解、調和に対して行使され、繊細に扱われるべきものです。

もう一つこのやり方には大きな落とし穴があります。このやり方を支持することは「影響力のある人」という価値観がその根底にあります。これはとても表面的で、低い次元の価値判断法です。先ほど申し上げたように、私たちの意識は根源では神という次元で一つです。そして私たちは一人に一つ、魂を持ち、神の次元の申し子である権限を持ちます。多数派、という見方も、影響力のある人、という見方も、その価値観を信じることで、私たちが持つこの等しく神の子である権限を忘れ、疎かにすることに繋がりかねません。本当は私たちは一人一人が、影響力を持ちます。私たちは確かに限られた一人ではありますが、同時に、すべてでもあります。私たちがなにを本当に感じ、思い、信じるかということは、赤組か青組かに属することとは比べ物にならないパワーを持ちます。私たちは自分が小さく弱いから、もっと強く力のある人に何か言ってほしいと思います。多数派になって力を持ちたいと思います。でもそのやり方は、善悪の是非を除けば、古来から人間がエゴを守るために行使して来たやり方です。愛による方法は、そうではなく、一人の心に問いかけます。あなたはなんですか、あなたはどうですか。そして私はこうです、と、内なる声は応えます。

赤だから、青だからいいんだ、という物の見方は、私たちを無力にします。本当は一人の中にすべてがあります。私たちが本来持つ無限というパワーを目覚めさせない限り私たちはきっと誰も勝つことはありません。エゴという自然界の圧倒的な仕組みに飲まれて生死を繰り返す存在だというジレンマから抜け出すことができません。私たちが一つであり本当は死なない存在だというのは、ただ肉体が生きながらえるという意味ではありません。そもそも私たちが永遠だということに私たちが開き、気づいていかなくてはなりません。そのことに一人が目覚めていくことで、私たちは愛という光の柱を地に確立することが可能になるでしょう。今迎えている二極化にもし神の意図があるのであれば、私たちは古き衣を脱ぎ捨て、新たな領域に足を踏み入れるしかないし、私たちが招いた因果の結果から私たちが学び乗り越える可能性が在るとすれば、私たちはその道を見つけ歩む以外にないように思うのです。多くの聡明な人は絶望していることでしょう。この流れは確かにそうなのです。多くの犠牲を生み続けるこの進化は自然界の因果律そのものですが、おそらく私たち人間だけが、その自然というものに疑問や葛藤を持ちます。それが神性を内奥に宿す人間の、神の子たる所以です。私たちはより神の子らしい方法を見つけて進化していかなくてはなりません。

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