平和を祈念

6月23日は慰霊の日。私も東京にいる頃には知りませんでしたが、沖縄ではこの日が終戦記念日。沖縄戦の終わりの日です。

沖縄で生活していると、戦争はとても身近です。それもそのはずで、沖縄戦で亡くなったのは島の人口の4分の1のいのち。家族や親戚に戦死者がまったくいないということはまずないのではないかと推測します。

私達の心、つまり潜在意識以下の深い部分は家族やそれ以外の人とつながり重なりあい、また親から子へと引き継がれていきますから、現在でもほとんどすべての人が戦争の影響をとても強く受けていると観ることができます。

先日は主人の患者さんとして往診を受けてくださっていたおばあちゃんの3回忌に行きましたが、その娘さんの口から「沖縄で宗教に入る人が多いのは戦争で心の傷を受けた人がとっても多いから。」という言葉がごく当たり前に、自然に出たことに主人も私も一瞬驚いたのでした。深く考えなくても自然にそうだとわかるのでしょう。内地の人と沖縄について話す時、私達夫婦が「戦争の影響だと思う」と言うと、「どうして、こんなに時間が経っているのに?」と聞き返されることが多いので、あまりにごく自然に交わされた言葉に逆に衝撃を感じたのでした。

本土にだって本当は戦争の傷跡はいくらでもあります。日本が経済をあまりに拠り所にしてしまった流れも先の戦争の反動にあるだろうし、神アレルギーもそうだと思います。先の戦争では天皇陛下を神と崇め、その神に妄信的にいのちを捧げてしまったことを多くの人が悔いたのではないでしょうか。そして経済という一見平等に見える恩寵を誰もが信じたのではないでしょうか。私が育った日本にはそういう空気が色濃く漂っていたように感じます。

私の祖父は沖縄戦で戦死しています。おじいちゃん、という存在に私は会っていません。私が生まれた時からそうでしたから私にとってそれは長いこと、そういうもの、でしかありませんでした。けれど母にとってはお父さんが欠けており、お父さんの愛や恩恵というものに浸った記憶はおそらく意識の奥底に封印されたままでしょう。母はそういう意味でとても強烈に偏っているはずです。その偏りは私にも引き継がれました。

こうやってすべての人が自分の心、意識というものに向き合ったのなら、その偏りに気づきそれを愛によって修正していくことが可能です。ですが、東京で生きていて誰が戦争がもたらした心の傷について真剣に考えるでしょうか。そんなことをしている間に経済活動をしなくてはならず、また自己顕示の方法について思案しなくてはならないのです。そうしなくては生きていけないと、誰もが思い込まされ自らも同意しています。

沖縄はそうではありません。沖縄では、すべての人は祖先によって生かされています。亡くなった祖先は、肉体が無くなっても心は生きています。肉体を持たないご先祖は一族を守ると同時に肉体のある子孫によって浄化の修行がつつがなく送られるよう愛され守られます。

沖縄で今現在暮らしている人はもちろんですが、きっとその何倍もの魂が、平和を願っていることでしょう。肉体を持たないご先祖とすべての魂が平和を、と、叫んでいる声が聞こえるように私には感じられます。

戦争を一見遠く離れてしまった現代人にとって平和という言葉は捉えどころのない曖昧な響きに感じられるかもしれません。スピリチュアルの何かの本に「戦争」は明確だけど、平和は人それぞれイメージが曖昧だからいくら望んでも実現しにくい、などと書かれたものがありました。その時はなるほどな、なんて思いましたが、今ではそんなのただの言葉遊びだとわかります。平和というのは明確なものです。平和とは人間とはなんなのかがわかった人が築く次元のことです。

地球に戦争がなかった時間は有史以来存在していないと言われます。おそらくそうなのでしょう。だからといって人間とは争う生き物だということの証明にはなりません。その争いはいつ終わっても不思議のないものです。人間が人間についてもっと学び、その本当の姿になる努力を多くが始めた時にはそれは終わっています。私たちはまだ人間の本当の素晴らしさを実感し共有し次元を築くには至っていないのです。ですから私は瞑想が広まることを望みます。内なる神を個々が敬い自己について学び、人間の素晴らしさに個々が気づく時を望みます。人間に絶望している人がどうして平和でいられるでしょうか。自分を愛し敬えない人がどうして平和を築けるでしょうか。

そんなに回り道しなくてもいいのに、と私は思います。いろんな問題を片付けているうちに人生は終わります。社会も当然そうです。でも、個々が自己に気づくだけで世界は上昇してしまいます。もし自分はそうなっているが社会が変わらないと思う人がいるなら、多分何かを見落としています。自分の中の何かを見ないように、感じないようにしています。でも実際は私たちは次元上昇し続けています。そしてそれは加速します。

私達にできることは限られていますが、体験できることは無限です。つまり本当は労よりも恩恵のほうがはるかにうわまわっています。ですから、私は最小の力で戦争を終わらせることが、人間には可能だと思っています。それが結果的には人に、地球に、環境に優しい方法なのです。意図的に戦争を終了した時、世界は物理次元でも変わります。その時には理解という愛は飛躍的に深まり、受容という愛は圧倒的に広がります。新しい解決法が当たり前のように実現していくでしょう。解決法が先にあるのではなく、私たちは上昇することで新たな解決法も手にします。いつでもどんな場合でも、内なる気づきが先決なのです。

どうしていいかわからない、と多くの人が口にしますが、次元が少し上がれば答えはすぐにわかります。次元を上げるには瞑想なのです。

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