優しさと強さと

私はとても感受性の強い両親のもとに生まれ、育てられたと思っている。父は役者、声優で、母も女優、モデル、ダンサーで生計を立てており、プロフェッショナルな表現者だった。もう感受性のかたまりと言っていい。

子供の頃には家庭内は世界でありグローバルスタンダードだからわからなかったけれど、とてもユニークに、ある意味自由な思想のもとに私達きょうだいは育てられた。人がどうであろうと、どう言おうと、自分で考え自分で責任を持ち、自分で後悔しないように生きなさい、というのが基本姿勢だったと思う。私は長女でもあり、いい子で賢くて優しい子だったと思うが、独立心も強く、おとなになるまでの間にひと通りの壁にぶつかって生きた。

10歳になった時には、自分を大と人認定した。年が二桁になったのを期に、大人として生きようと決めた。大人として生きるというのはお金を稼ぐとか選挙に行くとかお酒を飲むということではなくて、「人生を意識的に生きる」ということだと認識した。出来る限り意識して、すべてを選択する生き方。

手始めに始めたのは、とにかく感情を全部感じきってみよう、という試みだった。感じたことは流さないで感じきってみる、表現しきってみる、というのが課題だった。それで、10歳から15歳はこれをやりきった。12歳のころなんか、全開だった私にぶっ叩かれたり泣かれたり怒られたりいろいろした周囲の友達、いやだった子もいっぱいいただろうに、でも去年、33年ぶりのクラス会であの時はありがとう、とか、大好きだったよ、とか素晴らしい子だったとみんなに言ってもらえて私は、私のインナーチャイルドは、完璧に癒され、そしてハイヤーセルフと統合されたように思う。

15歳の時に、同級生で頭が抜群に良くおとなびた、教授というあだ名の女の子ととても仲良くなった。教授、で多分狛江2中の同窓生ならわかるだろうな。その子がある日、真剣な面持ちで「オミ(私のあだ名)、オミはもう少し、感じていることを言葉にして説明しなくてはいけないよ。みんなにわかるように。それは優しさなんだよ」と言った。私は、なるほど、それもそうだ、と深く納得して、そうすることにした。これは画期的なことだ。自分が何をどう感じ、そしてそれをどう表現したいか、ということを認識できないとそれはできない。しかしその作業にのめり込むと、今度は極度な分析癖というものが自分についた。常に監視役が自分にくっついているので、解放するのがとても難しくなった。これには解析力とともにものすごい忍耐力も必要だった。自分のことも世界のことも、私はあまりに知らなすぎた。

ただわかっていたのは、自分は優しい人間になりたい、ということ。そして優しくあるためには、強くなくてはならない、ということだった。この思いをはっきり意識したのは13歳の時だったと思う。その思いは紆余曲折を経て今も変わっていない。

母はよく、優しい人が結局苦しむのよ、と言った。その通りだと思う。母も父も、とても優しい人だと思う。共感力がとても強く、敏感で、人間的な洞察や思いやりや愛にあふれていると思う。でも、人生の途上では本当にどうなるのかわからないほど、人間としての道を踏み外して転落してしまうのではと感じられるほど、苦しみの中にいた。私はそこから飛び散る火の粉や刺を全身に食らいながらおとなになった。

その中で学んだのは、優しい人が苦しみに中にいるときどれだけの混乱を引き起こすか、ということだった。彼らはすべてを地獄のストーリーに変えてしまうほどの想像力を持つ。そこから目覚めるのはたやすいことではない。そのストーリーから目覚めるのに必要なのは強さなのだ、と思った。こころとからだがじかに感じる痛みに対して「これは幻想だ。真実ではない」と言えるには強さ、つまり忍耐、冷徹、受容性、理解力など、外界を察知しつつもそれに飲まれない真実であるちからが必要だと悟った。痛みに対して目も心も開きながらなお、それを超えようとするちからが。

私の思う強さというのはそういうものだ。その強さはどのように育つのか、それは、ただ、愛から来る。愛したいと願うとき、私たちは強さを自己の中から見つけ出す。

優しさも強さも相対的なものだ。そこに真理はなくそれは暫定的なものだ。ただ愛だけがすべての相対的な要素に息を吹き込む。私たちはその息吹によって生かされている。

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