よびかけます

先の戦争で空軍の兵士だったおじいさんが「戦争では人間はただの道具なんだとわかった」と言ってました。颯爽と志願した時には気づかなかったと。本当にそうなのだろうと思います。

私は人間は道具ではなく、無限の愛を持った神秘の生命だと信じています。

私が戦争に反対なのはそういう理由です。

いくら安倍さんが優れた政治家だとしても、自民党がすばらしい政党だとしても、日本を戦争に導き、国民から基本的人権と尊厳を剥奪するのであれば、その方針には断固反対しいたします。

私はただの道具ではないですし、人類の誰に対してであれ、そうみなすことはできません。

すべての人が、道具ではなく、無限の愛を内包する尊い存在なのだと目覚めてほしい。それが真実だと思うからです。そのことは誰もが本当は知っているはずなのに、自分や隣人を無価値で無力だとみなして目を背けてしまう。

自分に対して、人間のおろかな面に対して、寛大で忍耐強い態度を持つことさえできたら、やがて誰もが偉大な価値を見出すことができます。その寛大さ、忍耐強さのために助け合うことが必要です。本当に必要なパワーをそこに使うことができたら奇跡を体験できます。本質的に世界を変えることができます。

私たちの意識は拡大してきており、本質的な変化を迎えるのにあと一歩のところにいます。その本質的な変化というのは、奪い合い競い合うという価値観から、補い合い分かち合うという価値観への変化だと思います。

実際私たちは家族や小さなコミュニティーで助け合いを経験しています。しかし、社会の機構、システムがそうはなっていません。ですから一歩外に出たら戦争、などと言われます。戦争というのは古い価値観、自然界の生き物のやり方を模倣した古いやり方の踏襲です。しかし人間は科学というテクノロジーを持つため、破壊しすぎるのです。進化した私たちは高度な新しいやり方を採用しなければ自滅します。

戦争は目先では奪い獲得する目的で行われますが、実際は自殺行為です。すべてを著しく衰退させます。わざわざ貧困を作り出しては欲望を掻き立てて再び奪い合うというからくりを人為的に起こします。このことは有史以来繰り返されてきましたが、殺人の技術は飛躍的に進化していますからその破壊力は破滅的です。

実際に今日本に54基ある原発は核の貯蔵庫のようなものですが、この状態が自殺行為そのものです。ですが、欲に目がくらんで目先だけを追っていると、この自殺行為が見えません。危機を危機と感じることができません。また、放射能の危険や電気の不足(それは捏造ですが)の危機感にさらされていれば、今度はもっと大きな危機に対して感覚を閉じてしまい、やはり大局を見失います。

今日本という国家は自殺前の開き直りのような状態にあるように見えます。これに対してストップをかけ、正しい方向、つまりより人間的で人の本質~無限の愛を持つ神秘の存在~にふさわしい道を選ぶのはその存在一人一人の気づきと選択にかかっていると感じています。

どうか、愛をもって現実に目を向け、ご自身の運命をご自身で選ぶ決意とコミットメントを、また必要な助けを求める勇気を、思いを言葉にする努力を、真実を求め見つけ出す一歩を、と、すべての人の心に呼びかけたいと思います。

自分を掘る

自己の問題にぶつかる。
ちゃんと向き合う。
掘り下げる。
癒す。
視野が広がる
世界が広がる。
波動が上がる。
次元が上がる。
自分の問題は、共有できる人間の問題だと気づく。
個の問題は共通の課題。
自分に取り組んで、乗り越えると、他者を癒せる。癒している。
このプロセスなしに、ワンネスは想像できない。
この実感なしにワンネスは理解できない。

私たちは自己を癒すと、真っ白になるわけではない。
完全無欠になるために癒すのではない。
ただ、他者と隔てていたものに意味がなかったとわかる。
自己の痛みと他者の痛みは同じ。
自己の喜びと他者の喜びは同じだったとわかるだけ。
そもそも持っていたものをあると認めるだけ。
それが気づき。

だから、そもそもあるものに気づき続け、癒すだけになる。
癒されるほどに自分が持っているエゴに気づけるようになる。
つっぱねようと、目をそむけていたちからをただはずす。
すると、そこにある。
どんどん出てくる。
気づいて、癒す。
他人のも自分のもない。
どれも大差ない。同じもの。
だから、比べてもしょうがない。意味がない。
比べる暇があったら癒す。
癒すは、解体。癒すは手放し。癒すは赦し。自分よりも大きく力ある、大きな愛に、癒してもらう。
それは、人間でも、地上のなにかでもない。
それを超えた、意識。意識を超えた波動。波動なき、光。
どこに行って何を楽しんでもいいけれど、それは神に与えられた贈り物だと受け取って。
本当の仕事は、自分の中にいること。
自分の中を、観ること。
自分の心を感じること。実感すること。

そこにすべてがある。
他者との関係もそこにある。
もし欲しいのなら、なすべきものもそこにみつかる。
本当はなすべきものはないけれど、欲しいのならみつかる。

それを掘る。掘り下げると、人生は心底豊かだ。
人間は果てしなくおもしろい。
地獄から天国までがそこにある。
どれを選ぶのも自分。

もし、あなたが天国を望むのであれば、ひたすらにここに戻る練習をすることをおすすめする。
やがて、選ぶことができるとわかる。

でもまずはあなたの心を、平安というところまで癒さなくてはならない。
少なくとも平安を知る心になるまでは。
まずそこまで行くと次の世界が見えてくる。
他者を癒すとか世界を変えるとか。
でも、その方法は、やはり同じ。
自分を癒す。
つまり、足元を掘るのだ。
掘るところは永遠に同じだ。
世界の入り口は自分の足元にしかない。
みんな自分探しと言って、その入り口を探し回っている。
世界中に足を伸ばし、情報を食いつぶしている。
そしていっこうに掘ろうとはしない。掘り下げない。
どこかにいい感じの入り口があって、あなたの使命です、とか、あなたの天職です、とか、運命です、と言われるのを待っている。
でもそんなものは、すべて幻想。それは、まやかし。迷妄。幻想。悪魔の誘惑。欲望の世界のできごと。

足元を掘り下げよ。
自分の心と向き合う。
醜さ、浅ましさ、弱さ、それでいい。
それを見つけて、そして、自分を痛めつけるのをやめるのだ。
それを、愛という熱で、光で、包み込め。溶かしきれ。焼き尽くせ。
抱きしめて、それを愛しいと言うのだ。
それから神に、これを愛させてください、と願って、そして安心して眠るのだ。

これを繰り返すうちに、人間すべてが、同じことで苦しんでいるとわかる。
自分の中の醜さ、浅ましさ、弱さを、人間は恐れている。
劣っていることを恐れ、向上を望むが、向上したところで恐れから自由にはなれない。
これから自由になるにはそれを愛するしかない。

人間のあらゆる恐れを愛でることができる人がブッダでありキリストだ。
だからそれを赦すことができる。
あらゆる醜さ、浅ましさ、弱さを赦すのが神だ。

あなたがもっと幸せになりたいのなら、神をまねるといい。
ブッダに、キリストに、あらゆるマスターと天使に頼るといい。
あなたに近づけるように、私を導いてください、と。
必要なのはただそれだけだ。
それで、なかなか簡単に立派になれない自分に出会い続けるといい。
立派でない自分を愛する練習を積むといい。
それが一番の修行だ。
神にもっとも早く近づく修行だ。

そうしていると、だんだんとあなたは、世界を愛することができるようになる。
本当に世界を愛する人は、世界の醜さと浅ましさと弱さをなめつくす。
そして、哀れみ、悲しみ、そして包み込む。

人間の悲しさを、無慈悲を、無力さを、愛することができたら、あなたの次元は上昇する。
あなたの内に、神がいるのをあなたは知ることができるだろう。

2013年 久高島の神気をどうぞ

沖縄開闢の地といわれる神の島 久高島に今年もお正月2日に詣でることができました。

風間家の弟Jくんが夏に続き、我が家へ単独リトリートツアーにやってきました。

だんなさんと弟くんが真剣に瞑想と祈りについて問答している姿は、不思議な縁を感じさせます。

 

今回は久高島で3人で瞑想しました。

当然のようにあっという間にどーんと内なる神に出会える感謝に満たされます。

最高の瞑想で新年を迎えることができました。

「感謝できるということが幸せ」「瞑想できることが幸せ」「そう言い合えることが幸せ」というのが正直な感想です。

ご自身という無限のすばらしい存在と触れ合うすばらしい時がみなさんに多く訪れますように。