前世、それから神

前世療法、というセラピー。この療法を10年以上やっている。

そろそろどんなものなのか、ちゃんとしゃべっていこうかな、と思っている。

私自身、どうしてこんな仕事を始めたのか、とても不思議。

だけど始めた当時は不思議がっている余裕すらなかった。

本当にただ、来た、呼ばれた、というのが本当だ。

ヒプノセラピーもスピリチュアルブームとともに日の目をみるようになった。

セラピストになりたいという人も増えた。

でも、これを本当に仕事としてコンスタントに行っていくというのは

本当に厳しいのではないか、と、最近よく思う。

それはこの仕事の全貌や深みが、途方もなく深遠で複雑だということが

経験を積むほどにわかってくるからだと思う。

私はこの仕事を通して

スピリチュアルの本質とか根幹と言えるであろうものに出会ってきた。

最初はただ一生懸命掘るだけだったけど、

掘るほどに横穴や洲、空間や場というものにぶちあたり

その度にばらばらと目隠しになっていた壁は崩れ落ちる。

この壁は多分一生崩れ落ちて続けてもなくなることはないだろう。

崩れ落ちることがなくなるということは

気づきが尽きるということだからだ。

だいたい、前世というものの存在自体が証明できないものだという地盤に

この療法は立ち上がっている。

私は十数年のセラピスト人生を

前世というものを絶対的に信じないまま行ってきた。

本当に私は疑い深いのだ。

誰がなんと言おうと鵜呑みにはしない。

しかし、この療法が結果として人間の意識に特定の原則のもとに変化をもたらし、

人が変わる姿を常に常に目の当たりにさせられることで

この前世というものの証明なしに、人間の意識の仕組みについて

仮説と検証と実証を繰り返しつつ実際というものを体験することができた。

そこで言います。

前世と言えるような意識の仕組みは実在すると思います。

前世がある、というのはずっと昔から悟った人の教えで言われてきたことだが

この教えは神はある、というのと同じくらい神聖な教えで

人が真実や真理、幸福というものを探究する上で

なくては説明のつかないものです。

ですから、前世を探求する、というのは

「今」を本当に知る上でとても重要です。

今、というのは、この外側に見えている幻想の世界のことではありません。

今ある現実、というのは、本当は

あなたという意識そのもののことです。

その「現実」をしっかりと知る、しっかりと見るために

時にそれを見せなくしているものに意識を向け「向き合って」

意図的に手放す、つまり「赦す」ことが近道になります。

浄化、することです。

浄化には赦しが必要です。

私たちが意識の奥で赦せていないものは無数にありますが

それを赦すには赦せていないものに気づかなくてはなりません。

その気づきは愛=神の力によるものです。

ですからヒプノセラピーは、神の力のもとに執り行われなければ

「癒し」は起こらないのです。

前世を見たい、という興味にかられる方はたくさんいらしゃると思います。

誘導催眠によって前世の記憶を導きだすことは確かにできますが

ヒーラーとヒーリーの双方に、

潜在意識のその奥にある絶対的な全なる光に委ねるために

謙虚に自己を開く心なしには真の癒しはありません。

癒しなしに前世を見ることで

かえって混乱や恐れを招くことは充分にありえます。

セラピストの仕事と責任はこのあたりにあると思えます。

セラピストやヒーラーは、エスパーやサイキックになることではなく

人間であることを大切にできる、ということが重要だと思うのです。

人間のあらゆる資質を愛することができると、

私たちは癒すことができるようになります。

あらゆる資質を愛するというのは神の資質だから

神の法則と同調できるようになるのです。

これはもちろん、すべての人間が共有している原則です。

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