生命の贈り物という、ゆるしの祈り

祈りの言葉は明確に私たちの意識全体に働きかける。どうして、と言われれば説明はちゃんとできるけれど、説明を聞いているよりも自分が行ってみたらちゃんとわかる。

けれど私の場合はカルマの重荷があまりに重たくしんどかったとき、祈りを口にするだけでも胸が張り裂けるほど辛かった。唱えていると恨みやら納得いかない思いやら許せない気持ちやらが噴出してくる。本に書いてあるように「良いフィーリング」を感じることなどこれっぽっちもできなかった。

しばらくしてどうにか読むことができるようになっても、読むたびになんというか、空気の塊みたいなものが喉にこみ上げてきては「うっ」となったり「おえっ」となったりする。また唱えている間だけ喉が切れるように痛むこともあった。感情的にはOKなのだけど現象は起こる。

今にして思えばこれくらい反応があること自体がすごい奇跡のようだ。ただ思いも込めず意味も考えず言葉を口にしているだけなのだから。それくらい「効く」のがこの祈りの言葉なのだ。

今だから言えるけれど、唱えるのが苦しくても、できる限り、自分をだましだましでもかまわないから唱え続けるといい。だましだましというのはエゴにはとても効く。例えば眠れないとき、押さえつけて自分を眠らせることは至難のわざだ。

SMAPの草薙くんが「眠れないときには自分をだます。ベッドに入らずにテレビでも見て、全然眠らなくても大丈夫なんだ、明日はゆっくりだし、というふりをして徐々にさりげなくベッドに近づいていって、眠気が来たらすかさず寝る」と言っていて感心した。エゴも真っ向から抑えつけると反発するが、なだめたりほめたりかわいがったりしながらだとわりと言うことを聞いてくれたりする。

祈りの言葉はこういった表面上のあれこれにかかわらずその奥に響き、その奥を活性してくれる。だから苦しんだり抵抗しながら行っても問題ないようだ。というか、潜在意識の記憶がエゴでがちがちになっているときこそその奥まで響く、高次元のバイブレーションが必要なのだ。そうでなければ私たちはいつまでたっても潜在意識の記憶が放つバイブレーションが引き寄せる、荒く重たい状況のスパイラルから自力で抜け出すことが難しい。

苦しみながら、怒りながら、どうして私がこんな目に遭うのだろうかと絶望に捉われながらの祈りにも、天と地とすべての聖なるものはその祈りに応じてくれた。今、感謝と平安の中で祈りを唱えることができることを心からありがたく思う。私はこの祈りが世界全体にそして地上の生きとし生けるものすべての内側に響き届けられることを願うことができることに感謝する。私の瀕死の祈りが届けられたのはきっとそのときにも私のようなもののために祈ってくれた見知らぬ魂の仲間が存在していたからに違いないと、先ほど思った。だから今日は、今祈ることも苦しい魂の友人たちのために祈る。

祈りの言葉の一部をみなさんにもシェアします。

◆祖先のための祈り

主よ、私自身のために、私の配偶者のために、私たちの家族全員のために、私たちの関係のすべてのために、私たちの祖先全員のために、あらゆる時までさかのぼる祖先のすべての関係のために、お願いします。

主よ、私たちが皆、完全にそして完璧にゆるすことができますように、完全にそして完璧にゆるしてもらうことができますように、完全にそして完璧に自分自身をゆるすことができますように、どうぞ力をお貸しください。主よ、どうぞお願いします。主よ、感謝します。(3回繰り返す)

主よ、私たち一人一人をあなたの愛で満たしてください。私たち一人一人に、完全な安らぎをお与えください。今、このときに、そして永遠に。主よ、どうぞお願いします。主よ、感謝します。(3回繰り返す)

主よ、あなたの愛に感謝します。あなたの祝福に感謝します。あなたが毎日与えてくださる、生命の贈り物と、数多くの贈り物に感謝します。主よ、感謝します。主よ、感謝します。主よ、感謝します。(3回繰り返す)

アーメン。


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クリスチャンのための祈りのように見えますがそうではありません。「主よ」に違和感がある方は神、宇宙意識、真我、根源なるパワー、大いなるもの、なんでもかまいません。アーメンはオウムと同じ、偏在する神の光を祝福し活性する言葉です。
すべての人の内側に祝福が届けられますように。

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