真の自己

インナーチャイルドは潜在意識の記憶を指すが、もちろん人間の意識はそれがすべてではない。潜在意識への影響はお母さんの存在が大きいが、お母さんだけがその子をつくるのではないのと同じだ。

潜在意識のその奥には真の自己という意識がある。エドガーケイシーやパラマハンサ・ヨガナンダは超意識と言ったり真我と呼んだりする。魂やハイヤーセルフと呼ばれるのもこのあたりに位置している。そのもっと奥は宇宙意識。そこに至ると、すべてはひとつになる。

魂の領域は愛だけを記憶していく場だ。潜在意識が五官による記憶、つまり想念の記録の場なら、魂は愛の記録の場。異論もあると思うがそう考えると意識の世界は明確になる。そう思って人間を観察しているといろいろなことに気づける。

私たちが内側を観ることなしに選択したり行動する動機としているものは潜在意識の記憶だ。その記憶が本当に正しいのかどうか問い直されないまま、その基準に従ってほぼ無意識の反応によって私たちは人生を創造する。それは創造とすら呼べない。それは筋肉の反応と同じ、物理的な反射のようなものだからだ。

嫌い=避ける 嫌い=抵抗する 嫌い=攻撃 嫌い=無視 
好き=手に入れる 好き=かわいがる 好き=大切にする 
反応はこんな感じ。
一見好きはいいことのようだけど、好きの基準は過去の記憶によるもので無意識だから、都合が悪くなると嫌いにもなるし大切にすることがいつしか執着にすり替わりもする。このすり替えはわりと簡単に起こりうる。恋もこんな感じ。

またさらに人間の意識の表層には顕在意識=思考や理性があるので、好き嫌いに頼る危険を感じると合理的な判断をするようになる。潜在意識にふたがされる13歳以降に発達していくのはこの部分なので人はおとなになると合理的判断によって決断を下すようになる。この決断が潜在意識に従っているうちは問題ないが、相反するときに葛藤が生まれる。そしてどう考えても合理的な判断のほうが理にかなっていて正しいので心は苦しむようになる。問い直されないインナーチャイルドの記憶に振り回される格好だ。

さてこのどちらに従おうとしたところで、人間は満たされることはない。幸せには向かわないのだ。

潜在意識の記憶を『直観』と混同している人がいるがこれは違う。潜在意識は刷り込まれた記憶、つまり習慣と変わりがない。習慣の積み重ねからくる知恵だ。またここには本能の領域も含まれるので、直感的に身を守るような感覚も働くがそれは動物的な種の存続意識が働いているにすぎない。

直観とは超意識以奥からくる超越的な叡智を知覚することだ。愛の記憶の海を通じてやってくる神の言葉を心の耳で受け取ることだ。雑音なしに聞き取るには潜在意識の場をできる限り空っぽにしたほうがいい。するとその声は私たちの心にまっすぐに響く。

その叡智は私たちを引き上げ導き方向付ける。魂はそれに従いこの肉体を操縦する。愛を体験するために思考では理解できない不条理な台本を私たちに示す。

私たちを本当の意味で生かすのはこの内奥の意識だ。私たちが潜在意識の反応の中でうごめいている限りは習慣の奴隷であり魂つまり愛を欠いた形骸として生きることになる。本来の自己ではない別の記憶に憑かれて生きているのと同じだ。

私たちが信頼していいものは考えでも本能でもなく記憶でもない。これらは本当の私ではない。本来でないものをもっと奥からくる愛で満たすことで私たちは本当の自分になり幸せになる。内なる真の自己にただそう願うことからそれは始まる。これが自分への許可と呼ばれるものだ。

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