インナーチャイルドというわたし

潜在意識はお母さんのおなかの中での知覚から記録が始まり、3歳までに主たる部分ができあがり13歳でほぼ完成されると言われている。13歳以降はふたがされて、中身はあまり変わらない。だからインナーチャイルドというのは、自分の潜在意識全部、と言える。過去世を除く、全部。

それが100歳になろうと自分の意識の基盤となり外界に反応し対処し続けるのだ。

三つ子の魂百まで。これは、潜在意識の真実を物語っている。

インナーチャイルドというなんだかファンシーでキュートなネーミングからちょっと軽く扱いたくなるかもしれないが、自分と向き合う、自己を探求するなら、インナーチャイルドがどんな状態になっているのかをよくよく知り、また自己成長するにはインナーチャイルドを癒して変容するしかない。自己浄化、というのはこの部分の思い込みに気づいて、手放すということだ。これをしないとそのさらに奥に座する真我、つまり魂やさらに奥にある内なる神とツーカーになることはできない。ではその方法は、というと、瞑想なのだ。

瞑想、つまり潜在意識を覆っている見えないふたであるクリティカルファクターを通過して内奥にもぐりこみ、真我や内なる神に呼びかけ招き入れる意識状態は、変性意識状態において可能になる。

私が行っているヒプノセラピーは誘導による瞑想であり、ヒーリングも高次元の波動によって瞑想状態の脳波に導く。まとめて潜在意識下のワークと呼んでいる。瞑想をマスターしていない人、未経験の人でもワークを受けることは可能だ。誘導というのはまずセラピスト自身がそのようになることでその波長でもってクライアントさんが同調しやすいようにリードする。だからセラピストには瞑想が絶対条件なのだ。どのようなスピリチュアルのワークにもそれは言える。もしそうでないなら、自分が見たこともない世界を案内することになる。だって、スピリチュアルというのは、スピリットの世界のことで、それは潜在意識のさらに奥の中心の世界のことだからだ。

インナーチャイルドはアダルトチルドレン(機能不全な家庭に育ったことにより役割を過多に背負ってしまったことで本来の自己に戻ることが困難な状態)の改善にはもちろんとても有効だ。

波動がどんどん高くなっている今の地球において、この機能不全な家庭というのは特に大きな問題を抱えた家庭とは限らない。地球にやってくる魂はどんどん繊細で敏感になっているため、両親にとっては普通の接し方でもそれがとても苦痛だったり愛の欠如に感じられること往々にしてある。例えば沖縄に来てとても多いケースとしては、両親が共働きでお母さんがとても忙しかったことで子供は寂しさや心細さを強いられる。おばあちゃんや近所のおばさんがそばにいたとしても、母という存在は子供にとって特別で自分のいのちを預けた神と同等な存在だ。お母さんは子供に不自由させたくないからと一生懸命働くのだが、子供はそれよりもお母さんの温もりを感じ笑顔を見て、安心の中で過ごしたいという欲求がある。それが満たされないと、それは自分が悪い子だからなんだ、とか、お母さんの負担になってはいけないと、お母さんのために生きるようになる。お母さんのしあわせ=自分のしあわせのような構図が信念となり、無意識の中でその信念に基づいた「心の反応」をする。大人になってもお母さんの言動で心が大きく揺れて、怒りやイライラを感じてしまう。その奥にある欲求は「お母さんに認めてほしい」「喜んでほしい」要は愛されたいのだ。なぜなら子供は生まれながらにお母さんを無条件に愛しているから。

よく世ではお母さんを選んで生まれてくると表現されるが、実際はもっと完璧だ。お母さんを無条件で愛し、またお母さんの無条件の愛を受け取りたいと求めている。それから自分で逃げたり戦ったり自分の面倒をみることができない期間に潜在意識にあらゆる知覚を通して記録していき、ひととなりの基礎を作ってしまう。つまり、お母さんの愛の表現やレベルを自分のものとして吸収するのだ。

この仕組みに気づいたときにはなんというか、人間という生き物のすごさを感じた。子育てとは世話を通して愛を伝える行為だ。でも何をどうするのか、よりも、自身の潜在意識の浄化こそが子供の成長に関与するということだ。子供はお母さんの意識の世界を概ねコピーするからだ。

子育てするかしないかが女性の価値の大部分を占めるように見られることもあるが、おとなになってからもう一度自分を育てなおし、育て続けることが本当の意味での進化だ。自分を愛するとひとことで言うが、本当に自分を知ることは宇宙の謎を解くに等しい壮大な旅だ。取り組まない手は無い。

魂における徒然

ヒプノセラピストを10年以上続けてきて、本当にいろいろな学びがあった。
魂の旅を凝縮して体験しているような感じだ。

私は大人になってまず演劇に真剣に取り組んだ。
それはもう今から27年以上前のことだ。
その時も同じことを思っていた。
演劇は2ヶ月余りの時間をかけて一つの人物の人生と向き合い掘り下げていく。
そして稽古という訓練を重ね、その人物のひととなり、言ってみれば潜在意識の成り立ちを自分の潜在意識の中に刷り込んでいって、その人の反応を再現していく。
そこで、自分の持っている潜在意識の記憶との化学反応が起こり、融合されて、一人の生きた人間像が生まれる。

一つの人生(公演)が終わると、しばらく空白が必要になる。
私の場合は3~5日くらい眠り続けていた。
繰り返された別の人の反応が抜けていくまで、魂のホームベースに帰らないと、通常の生活になかなか戻れないのだった。

まるでそれは人間の魂の転生の凝縮版のようだった。

「演劇とは魂の学びを凝縮して体験させてくれる」と、当時誰かに語っていたのを覚えている。
当時はスピリチュアルという言葉は流通していなかった。

魂が人間をマスターしていくにつれて、生死の境目のショックは薄れていく。
魂の永遠性がわかると。

当時は人間という肉体のいれものにもその扱いにも慣れていなかったし、その上何度も生まれ変わったりしておおごとだったが、今では何が起こっていたのかよくわかる。

多くの魂が、同じような苦しみを味わっているはずだ。
自分がわからない。
なぜ生きるのか。
何のために生きるのか。

言葉で答えることは簡単だ。
人生そのものが答えだ、という言葉は真実だと思うが、その迷いの中にいる時にはその言葉の意味はわからない。概ね。
突破してみて本当だとわかる。
もしくは、わかったような気になっているかどちらかだ。

インドのヨギがグル(師)を絶対的に信じなさいというのはそういったわけからだと思う。
わからない最中にあるとき、真理は時にしっくり来ないものだ。
だからと言って真理から離れてしまっては、もっとわからない。
だからたとえすぐにわからなくても先達から離れずついていくとある時わかるのだ。
自分の境地が変わってきて、霧に覆われた山の麓から山頂近くに上がってくると視界が開けるように。

私たちがまっすぐにこの山頂に向かって昇って来られないのは、その道があまりに混乱しているからだ。
余りに険しく見えて、昇るのを躊躇したりあきらめてしまう人もたくさんいる。
もしくは途中の景色が余りに魅惑的ゆえに、そこに留まってしまう人もいる。

でも、どちらかと言えば、現状が険しく危険である方が、何とかして昇ろうとがんばれるのが人間かもしれない。
留まっても引き返しても、今よりいい材料が見当たらなければ、昇るしかない。
今がそこそこ魅惑的であれば、それを振り切って山頂へはなかなか踏み出さないだろう。

私は今では人間がネガティブだと考える物事の重要性を思い知る。
「苦しむものは幸いである」
その人は与えられるであろう。
天国への、安息への、神への切符を。

苦しみもご褒美も、今日の糧も、いのちも、すべては天から与えられている。
何一つとして自分で作り出したものはない。

それがわからないと、与えられているものに対して疑問が生まれて葛藤してしまう。
苦しみが与えられても、ご褒美が与えられても、糧が与えられることにも、人は苦しむ。葛藤する。
けれどその人はいづれ見つける。その答えを。

答え、それは、すべては与えられている、ということだ。
それがわかると、感謝と平安が来る。
でもそれは、その人の内側で実感されなければならない。

実感。

実感には体験が必要だ。

その人が自ら選び、開き、受け入れることでそれはなされる。

体験とはむやみやたらに出かけていって無謀なことをすることではない。
いつでもどこでもできるし、たとえ自ら出かけていっても、自らを開くことなく、与えることなく、受け入れることなしにはそれはできない。

体験とは。

体験とは。

体験とは。

瞑想こそが体験。

アーテイストには体験がある。

そこには瞑想があるからだ。

創造がある。

創造。

創造とは。

体験だ。

私の仕事の一つは混乱を解くこと。
自分の混乱を解いてきた体験をシェアしている。

それからもう一つ、それは、真実を私の目を通して伝えること。
だから、どんなときもどのような混乱の中からも、真実を見つける訓練を欠かさない。

とても難しいけれど、それが私の世界を明るくさせる。
希望を、勇気を、本物にさせる。

それなしには生きることはできない。
私は弱い人間だから。

私と同じように、弱くても、人は生きられるということを、示していたい。
弱くても、歪まずに、あるがままの光を放ちながら生きられるということを。

平和創造のための覚え書き

こういうことを書くのはとても気力が要るのだけど、少し自分の考えを整理しておこう。

私は人類が戦争というものを卒業できる時を夢見ている。
人間は動物であると同時に、意識という本質、内なる神を内包する存在だからだ。
動物は罪悪感なしに他者を奪うが、人間には善なる意識があり、エゴに対して罪悪感を持つようにできている。
無視したとしても、潜在意識には記憶されて、いつの時にか向き合う機が来る。
それは私たちが、創造する意識を持つ神の申し子だからだ。

911のしばらくあと、私はNYに何度かお邪魔した。
とても楽しませてもらってNYという街が大好きになった。
そのすぐ後、タレントプロダクションを移籍するとそこに、国際政治学者の中丸薫さんという方が在籍していた。
本屋さんをうろついていると、中丸さんの本が並んでいてぱらぱらと読んでみたら驚くべきことが書いてあった。
911のテロはアメリカの捏造だというお話とその根拠などだった。

事実はわからないけれどその見解には真実味を感じる部分が多かった。
そういう見方をすると、子供のころからの謎までもが解けていったりもした。
そのころには私はスピリチュアルを探求し徹底的に実践し、実験と考察も重ねていたが、片付かない部分も多くあった。
世界はまだまだあまりに混沌として見えたし、ばらばらにいろいろなことが起こっているように見えた。
けれどそのころから、そこにある謎解きのラインのようなものが浮上して見えたのだ。
とても人為的に、明確な意図を持ってそれらはとり行われているようだった。

それから数年を経て311が起こった時、もちろん自然災害とテロを結びつけて考えたりはしなかった。
しかし数日が経って原発の事故が発覚し、テレビと新聞を見ない私は、ただ真実を知りたいがためにネットに釘付けになって情報を見た。
そこで見たものは、正しく守られなければならないと子供のころから教えられてきた事実とはまったく違う社会の動きそのものだった。
つまり、基本的人権の尊重だとか、すべての命は平等あるとか、平和な国家とか、そのために選んだり行ったりしなければならない方向へは、現実はどうしても向いていないという事実だ。

どういう意図でそれは選ばれずに別のなにかが選ばれ、採用されるのだろうと不可解だった。
けれど選ばれている事実を受け入れてみると、それらは明確に方向を指し示している。

スピリチュアルのワークと同じ。
事実に抵抗せず、それを受け入れてみる。
するとそれはありのままの姿を見せてくれる。

つまり、社会というのは私が悩んでいたほどに複雑な怪物ではない。
ただそうしたくてそうしているだけだ。
そうありたくてありたい姿を実現しているだけだ。
そうする権利を得た人、つまりお金というエネルギーを動かせて、決定する実権を握っている人が。

ものごとが複雑に見える理由はただひとつ。
私たちは操縦室の見えない船に乗り、操縦士が使っている地図を持たない。
そして行く先はあっちと教えられ、そのためにせっせと働けと言われている。
「船を動かすのはお前たちだ。この船はお前たちのものなんだから」と言われて、石炭を炉にくべ続ける。
けれど船は目的地のはずの方向へは進まない。
文句を言う。
なんだかんだと目を逸らされて言いくるめられて、船の動向にはまったく影響しない。
世界とは、社会とは、これくらい複雑なものなのだろう、それを動かすのは大変なのだろう、そうそう思う通りには動くまいと納得する。
あるいは納得せずに操縦士がばかだから船の動向が立ち行かないのだと文句言い続ける人もいる。
でもばかと言われようが彼らは実際は痛くもかゆくもない。
だって、石炭はくべられ、船は思うところへと進むことができるのだから。

つまり、最初から私たちが告げられた目的地へなど向かってなどいないと考えると、ものごとはとてもはっきりすっきりと見えるのだ。

残念ながら、私たちはこの肉体を持っている限り、この船を降りることができない。
しかし、瞑想をし、内なる神と一つになるならば別だ。
たとえ完全に降りることができなくても、この船を外から見たり、あるいは宇宙という境地から眺めることが可能だ。

船の上からこの船の操縦席は見えないが、外から、宇宙から眺めると、それは見える。
なにを目的として、どこへ行こうとしているのかが。

私たちは気づいた者から、乗組員に伝える。
それもただの見た目や予測ではなく、内なる宇宙を通して観た真実を。
それから真実に気づいた仲間と、本当の目的地を確認し、そして、力を合わせてこの船に、新たなエンジンと操縦桿を創る。

古い操縦室を奪いかえしたり、のっとったりするのではない。
そんな必要はないのだ。
この船は一部の者の船ではない。
乗り合わせたすべてのための母艦だ。
だからそう思う人たちでそういう母艦を作り直す。
古い操縦室の乗組員だって、気づいて改めればすぐに参加できるのだ。

私は、戦争は古い価値観でしか自分を満たせないと信じている人たちのばか騒ぎだと思っている。
原発は戦争の一部だ。
資源と武器と武装を持たない日本が核にしがみつくためのわるあがきだ。
国家のお金はそれらを維持するためには使われるが、一人一人の幸せのためには使われない。
でも、だから、新しいエンジン、新しい操縦桿をみんなで考えるのだ。

今のうちに日本が準備しなくてはならないもの、それはエネルギー。
石油と核に頼らなくても永久的に使えるものがいい。
それらを船に乗り合わせたみんなで分け合って使う。
それから食糧。
肉食を減らせば、世界中の人々の食べ物はまかなえる。
心身の健康のためにみんなでそれを減らして、代わりに野菜と穀物を作る。
その準備を始めるのは今だ。

本当は世界中で分け合えるほうがいいけれど、まずは日本がお手本になればいい。
日本が強くなることを望んでる人も、そう思うなら必要なのはエネルギーなんだよ。
エネルギーで自立するんだ。

それから今のお金の流れは良くない。
大手にどんどん流れる。
一部にばかり、お金のあるところにばかり流れると、その元締めは操縦室にこもって好きなようにしてしまう。
よく見えるところでお金を使おう。
確かに大きな資本は安くものやサービスを提供してくれる。
私も貧乏だったからなんでも一番安いものを選んで生きてきてしまった。
そのころは自分が食うや食わずだったから。
でももし、少しでもなにかできることを探しているのなら、応援というのは誰から何を買うか、ということでもできる。
(食べて応援というのが流行っているが、あれは東電と政府の責任を消費者へ転嫁していると思う。)
あと銀行の預金も、自分なんかわずかばかりだからと思わずに、預けたお金が何にどう使われているか考えよう。
できるだけ信頼できるところを探して選ぶ。

そして、意識を育てる。
子供たちを守りたいなら、ただ安全を与えようとしてもだめだ。
考える力、選ぶ力、そして希望を持つ力、勇気を出す力、あきらめない根気、優しさ、思いやり、想像力、そういう、神から人間に特別に与えられたものを育ててあげなくてはいけない。
そのためには自分がそれを努力して身につけなければ。

こんなこと、小学生だってわかるし言える。
私の子供のころからの謎はこのことだった。
どうして子供にだってわかることが、大人はいつまでたってもできないんだろう、と。
その謎がやっと解けてきた。
混乱にはわけがあったのだ。

平和を創る、平和を守ることは、言葉ほど簡単ではない。
人がどんな理由にせよ、利己主義に傾けば平和は遠ざかる。
それはもっとも成熟した人間にしかできない、高度な創造だ。
進化、アセンション、なんでもいい。
私たちはとうとう、平和を創る時代の幕開けに来たのだ。
もし既存のものや世界や社会に絶望したならそれは取り組み時だ。

気づいた人から、心で伝えよう。
それから一つ一つ始めるのだ。