どんなときも

愛というものから逸れていくのは、誤解があるとき。

私たち人間は、誰もお母さんなしには生まれることができません。
お母さんがおなかのなかで育てて、そのころからたくさんのことを覚え続ける。

いろんな感覚を感じて記憶するけれど、一番大事な仕事は愛を吸収すること。

たとえお母さんの準備がばんたんじゃなくても、
心になにかとらわれがあったとしても。

それでも子供は全力でお母さんから愛を受け取ろうとする。
愛情がもらえなかったと感じたり、
自分は愛を受け取る資格がないと思い込んだりしながら。

でもそれらは本当は誤解です。

私たちは一生をかけて誤解という愛を隔てるものの正体とぶつかり、それを解く。
解き放つ。
そうやって愛というホームに帰っていく。

自分で作ったなぞを解きながら本当の人間へと成長していく。

社会や人間関係や、家族や、どんな小さな場面でも、
逆に一見大きく見える国家間とかいう関係でもいい。
愛が足りないと見えるところを覗いてみると、そこに挟まっているのは誤解だけ。

そこにいろんな錯覚がくっついて幻想が膨らんでいくけど、
幻想の皮を剥いでいくと誤解しかなかったとわかる。

どうしてわかるんだろう。
どんな人でも、
自分としっかりつきあおうと決めてそうすればそれがわかるようになっている。

それは、人間が、元々愛を学ぶために生まれてきているから。
すべての子供がいっせいにそうやって、それをめがけて生まれてきているから。

挫折したままの子供もいるし、
どうやって本筋に戻っていいかわからなくなっちゃった子もいるだろう。
でも、嘘だと思うかもしれないけれど、疑うなら試してごらん。
根気よく、一生をかけて。

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