その心の後ろを観る

心の優しい、きれいな人が苦しんでることに、こんなのがあります。「私はこんな風に感じてしまうんです。」(だから、自分は汚い、ネガティブ、弱い、だめ、etc….)その心の後ろにある欲求は、『いつかこんな自分が消えてほしい。こういう自分に早くいなくなってほしい。』つまりそんな自分を愛せない、という気持ちの表れなのです。

そういう意識を抱えていると周囲の視線をまるで敵のように感じるはずです。その感覚の後ろにある欲求は、『こんな自分を見られたくない。周囲にばれないといいな。』それで何気ない人間関係の中ではほとんど無意識に自分を隠そうとする意志が働きます。ある程度距離のある関係だとその意志は通すことができますが、距離が近いあいだがらではそれはとても困難になります。家族とか、恋人とか。

または逆に、家族の間ではそのバリアがまかり通っても、仕事という重責がかかると隠すことにエネルギーを使っていれば仕事へのエネルギーが不足しますし仕事にエネルギーをとられると隠すことに疲れてしまい、バランスは破綻してしまいます。こうなってくると、健やかに仕事をすることが難しくなります。

うまくいかないときに人間は理由を探します。仕事が合っていないのかな、もっと別の道があるのかもしれない。誰かのなにかが悪いから。自分になにかが欠けているのかもしれない。病気かもしれない。どれを採用したとしても多分苦しみは変わりません。

理由を探そうとしているとき人間は思考を駆使していますが、そのときにしているのは本当は気づきたくないこと、感じたくないことを覆い隠すために別の理由をみつけようとしているようなものです。

ではどうすればいいのかというと自分の感じていることを、しっかりと感じてみるといいのです。そんなの感じているよと思われるかもしれませんが、やな感じ、と判断した瞬間から人間は心を閉じます。ですから、そのカーテンの向こうにちらっとなんか見たくないものがあった、という程度の認識しかしていないのが通常です。そうではなくて、そのカーテンを開けてみるて、ちゃんとその奥にあるものと出会ってみるのです。

本当の原因はお分かりのとおり自分の中のある部分、ある記憶、感覚を嫌がっていて愛せていない、つまり、受け入れられない、理解できない、向き合えない、無視した状態なのですが、それが原因だと「考えて」も、心は変わりません。

でも、そのいやなフィーリングをしっかり感じてみると、その奥にある「本当の欲求」に気づけるようになります。本当の欲求は、表面的なフィーリングの後ろに隠れていることが多いので、その表面的なフィーリングから逃げてしまうと捉えることができません。すると本当の自分がわからない状態になります。

本当の欲求がわかれば、それを「採用」することも「却下」することも可能になります。そこには自己という主体があり、苦しみは必要ありません。

表面的なフィーリングのレッテルだけを見ていると「こんな汚いものが私なんだ、がっかり」と言っている状態が続いてしまうので自分との愛は育めません。

自分を愛することを始めるかどうか。苦しみから自由になる道はそこからしか始まりません。どんなに多くを学んでいるつもりでも、知っていてもわかっていても、それを実際にしなければ変わることはありません。でも、始めるだけで、世界は変わります。そうしたら一歩一歩踏みしめながら、新しい世界にしっかりと根を降ろすだけなのです。

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