次元上昇の具体的な感触

例えば潜在意識の記憶の浄化、エゴの解体などにコツコツと取り組み続けてみると、実際「世界が変わった」と皆さん口をそろえておっしゃいます。でもそれには「振り返ってみると」という枕詞がつきます。

ヒプノや瞑想、レイキヒーリングはすべて、意識の浄化、気づきによって、解放、手放し、赦し、目覚めの「道」へと導きます。覚醒、というと急に霊感が開いたりサイキックになるイメージですが、覚醒は階段を一段つづ踏みしめながら上がり、その上がった高さに体が完全に馴染むように教化し、完全なその『場』の住人になるプロセスのようなものです。

一段階段を上がるとこれまで見通せなかった世界が視野に入り、わぁと感動し、次にはこれまでのやり方が通用しないことに気づいてバランスを失い、よろけながらいらない荷を捨て、新しいバランスを見つけてその視界にも驚かなくなるとまた一段階段を上がってもいいかな、という気になります。

こんな地味なことをやっているうちにふと顔を上げてあるとき世界が以前と全然違っていることに気づきます。天がぐっと近く感じられ、たとえ土砂降りの日にもおてんとうさまに見放されたような気分にならずに、雲が去れば、あるいは去らずとも太陽はそこにあるのだという安心の中にいることができるようになるものです。

過ぎ去っていくものをわざわざ握り締めたり追いかけたり一秒でも早く追い出そうと血道を上げる必要がなくなって、おてんとうさまを感じながら微笑みを絶やさず必要なことを行えるようになります。

その人の世界は変わったと同時にそういった人は世界を変えることができます。

世界を救うおそうじとは

レイキの伝授を受けたのに使っていないという方に結構な割合でお目にかかります。ヒプノのセッションなどにいらしてお話していると、
「実はレイキは(プラクティショナーの認定を)持っているんです」というお話になります。沖縄だからなのか(スピリチュアルへの関心が高いため)、全国的にそうなのかわからないのですが、もしそういう方がたくさん日本にいらっしゃるとしたら、そんな方々がみんな使うようになるだけでも世界の波長はちょっと上がるのでは、と思いますのでぜひお使いになってください。

レイキのシステムは、高次元波動エネルギーによって私たちを取り囲むエネルギーフィールド=オーラを活性し、肉体の生命活動のシステムや潜在意識に働きかけて全体の波長を上げ、低いバイブレーションのエネルギーを調和的に排出、浄化し、すべての人の内奥に在る高次元の意識への同調へと私たちを引き上げます。

書いているとなんだかややこしいのですが、本当はもっともっと事細かに書きたいくらいすごい原理です。私のところで伝授を受けてくださる方にお話するときは数時間にわたり、宇宙や真理にまで広がり、またレイキに戻る、というようなミクロとマクロの宇宙旅行みたいなセッションになります。

でも、やるべきことというのは恐ろしいくらいシンプルです。行うことはシンプルですが、私たちがエゴのシステムの中に生命を置いているがために、起こる現象は様々です。それで多くの方が揺さぶられたり動揺したりしながら、浄化と変容、進化のプロセスを体験し、次元上昇の旅を楽しんでいかれます。

レイキの伝授を受けたら、一番大切なことは、自己ヒーリングです。肩たたきみたいに誰かに時々してあげる手当てみたいに捉えている方も多いかもしれませんし、免許取ったのだから仕事にしなくちゃ、と考える方も多いかもしれません。どっちも間違いではないですが、レイキを本質的に捉え実践していくと、そういう世界観ではいられなくなると思います。まず自分がその泉の水を飲んでみることです。

かく言う私も、レイキファーストを受けた後、数年ほどそのまま放置していた者です。ヒプノセラピストとして仕事をしていましたので、レイキは自衛手段としてなんとなく助けてもらっている感覚はありましたが、実践的な使い方をいくつか教わっただけでしたので本質が捉えられず、結果が歴然と出ない限りはなんとなくセラピーのオプション的な存在に感じていました。

俄然やる気になったのは、自分自身の瞑想が進み、ある日丹光が寝ても覚めても止まらないという数日間がやってきたころからです。その時はそれほど衝撃的ではなかったのですが、あれは個人的には「光の七日間」みたいでした。世に言う天使界の存在からのコンタクト的な体験もその時わりと明確に起こりました。それで、エネルギーワークに興味が出てきてぼちぼちとやってみるようになったのです。

でも今思えば、レイキをこつこつとやっていたらそこまでのプロセスはもっと違ったものになっただろうと考えられます。まず、瞑想による浄化は数倍のスピードになっただろうと推測できます。瞑想の深さとそこへ到達するスピードも然り。それから、意識の世界、宇宙の仕組みももっと早くに気づいていたかもしれません。スピリチュアルのワークや探究と実践を行いながらもまだまだ二元性の世界、投影の世界の中で必死にもがいて生きていたことが今ではよくわかります。

前置きはこれくらいにして、臼井レイキが使えるのに使っていない方へ、簡単ですぐ実行でき、効果の上がるポイントをお伝えしておきます。

まず自己ヒーリング。12のポジションを全部しないといけない、だから時間がない、やる気がしない、という方が多いのですが、レイキの本質は、「必要なところに必要なだけ流れる」と覚えておいてください。レベル2以上の方は、マントラが使えますから、使いたいと思った瞬間にマントラを心の中で唱えてください。忙しい手を一瞬止めて、目を閉じて、ハートの中心に向けて「高次元のエネルギーで私を浄化してください」と内なる神に伝える意識で行いましょう。例えば生活している最中に、なんとなく心にもやもや、イライラ、また抵抗の感覚を感じたときは「浄化のチャンスが来た」と心得て、即座に「この感覚を浄化してください」と意識の中心なる光に伝えます。それからマントラを唱えるか、シンボルをサードアイ(眉間の辺りのチャクラの内側)に描きます。簡単に、頭の中に描くとイメージしてもいいです。ファーストの方は、乾浴をささっとして、同じように意図してもいいですし、単に「レイキ」と心で唱えてもかまいません。

心身の疲れを感じたときなども同様です。心の中で真剣に宣言してシンボルかマントラを実行したら後は忘れてしまってもとの生活に戻ってかまいません。気がつくとそれまでよりもすっきり、元気になっているかもしれませんので、余裕があれば観察してみると効果がわかり、またやる気になります。

食べ物、飲み物は口に入れる前に一瞬浄化してから食べましょう。お皿の上にシンボルを描いてもいいですし、手をかざして「レイキ」と意図してもいいです。お食事の前のお祈りみたいで心も清まります。お水の浄化は実験としてやってみるのにお勧めです。数秒で口当たりが断然まろやかになるので、またやる気が出ます。人間のからだは7割がお水と考えれば、グラスのお水がこんなになるのだから、からだのお水もさぞ変化するだろうなーと、また楽しくなります。

それから、気分が落ち着かないとき、ネガティブ(と言われるよう)な感覚に捉われているときなどは「レイキしちゃいけないんじゃないかしら」と思っておられる方が多いですが、そうなると、心身が整って調子のいいときしかヒーリングできないことになります。そうやって多くの方がレイキ使えない、という風になっていかれるようです。でもヒーリングの本質は高次元波動エネルギーを「呼び込む」ことなので、どうぞ調子の悪いときこそ、じゃんじゃん呼び込んでいただきたいのです。

調子の悪いときの自己ヒーリングは、行うことのほうに意識が偏りがちになるようです。ちゃんと、がんばって、レイキしなくちゃ、という気持ちになり、受け取るほうの体勢が整わないのです。他者にしてもらうときは「楽しみ、ワクワク、うれしいな」という風にリラックスして意識が開いていますので気持ちよさやエネルギーの感覚を感じやすいのですが、自己ヒーリングは自分で肩もみをする感じで「どうも気持ちよくないな」となりがちです。特にどこかが痛いとか気分が良くないときとなると、なおさら痛みに対して感覚をブロックしているので微細な感覚を感じにくくなります。でも、ここでも本質に立ち返ると解決します。体感は問題ではないのです。ヒーリングを意図したら、受け取るんだ、としっかり意識し、あとは忘れてしまってください。するといつの間にか、さっきほどじゃないなという風に変化しているかもしれません。

それから、ヒーリングをしたらかえって調子が落ちた、と感じることもあると思います。好転反応というものがあるとは知っていても、やはりもやもやが強くなったり症状が強くでるとこわくなるのが人間です。ヒーリングをはじめると、一番外側の重荷が振り落とされて一瞬軽くなります。しばらく続けると、最初ほど効果が感じられないとか、一度は効いたのにもうあまり効かなくなった、とおっしゃる方がいらっしゃいます。多くの方がこんな風にお感じではないでしょうか。これは鍼灸治療のような根本的な治療、体質改善、またマッサージやダイエットなどに例えるとわかりやすいかと思います。
一番表面的な症状が癒されるとその一段奥にあった次のテーマが浮上する感じです。気分としては一回はすっきりして、もう解放された!と思うのですがまた落ち込んできちゃった、という風に感じますが、実際はさらに深部に癒しの焦点は移っていると見ることができます。ダイエットも始めると2~3キロはすぐに落ちますが、停滞します。運動して食べてないのにやせない、と感じてがっかりしますが、その間に、新しいバランスに体が慣れよう内部で整えています。内部の組み換えがなされているんですね。わかりやすいものに慣れすぎていると、見えない変化で人はなかなか喜べませんが、要はどんなときも淡々と、見た目の結果に捉われずにやって、あとは自分に返ってきたものを受け取るだけでいいのです。

ヒーリングをやったのに調子が落ちたと感じる方のもう一つの反応は、「レイキは危ないのでは」と思ってしますことです。瞑想して悪いものとつながっちゃったりしませんか、という質問がありますが、レイキも「霊感が開いて」お化けにやられちゃってるのでは、と推測される方がいます。でも、レイキには副作用というものは一切ありません。と、マニュアルにも明記してあります。もし副作用があったり、たとえばやりすぎということが存在したりするのであれば、それは絶対に言及されるべきことであり、ティーチャーはその対応を学んでいなければなりません。でも実際に起こっているのは、潜在的に在ったものの「浮上」です。意識で言えば潜在意識下の記憶にまつわる感覚が、浄化されるために浮上します。からだの毒素が正常な流れを妨げていればそれは出て来て、そして出て行きます。自分の出した毒を見て「邪気がくっついた」という風に見えます。もし外からくっつくということがあるとすれば、内在している邪気が同じ波長でもって外から引き寄せたとみることができ、対処はただレイキで浄化するだけです。くっついたものにするよりも、自己の内面に行うのがいいでしょう。レイキという高い波動は、恐れから自由にしてくれます。外側に恐れるべきものがない、というのが真実ですから、外側の邪気を恐れてそれに対処するというのは本末転倒なことです。「外側はない」のです。それはただ、内面を映し出しているに過ぎないということを、癒しのシステムが物語っています。

もっと踏み込んで学びたい人は、その出てきたものをちゃんと感じてみるといいです。そうしてみると、より一層明確にそれが「自分にとって不要なものだった」と「気づく」ことができます。人は不要と芯から気づけばそれ以上それを持ち続けることはできません。

レイキをマスターするにつれ、多くの方が疑問のない状態へと近づいていかれます。ライタリアンレイキをマスターなさったある方の印象的な言葉。
「つまり、ヒーリングとは自己に行うのみなんですね。相手がいようといまいと、相手が世界であろうと関係ないというように、納得いたしました。」

世界が自己の内面という宇宙を映し出す投影であって、癒されるべきは自己の内面のみである、というのが極意です。外が気になるたびに私は内面に戻り、クリアにします。再び外を眺めると世界はクリアになっている。この繰り返しがあるだけです。ホームページやブログを作った経験のある方にはわかると思います。画面を変えたくなったら、管理画面にログインしなければなりません。そして、構造や仕組みに従って作業します。構造、仕組みを理解しているほど、作業は楽で、的確です。私のように手探りの者は何十回もプレビュー画面と編集画面を往復します。意識の仕組みを理解すると、作品創りのほうを楽しんでより創造的に行うことができるようになります。

最後に一つだけ。ヒーリングを行ったらお水を忘れずに飲んでください。少しずつ多めに。ヒーリングで大きな変化を感じられなくても、浄化にはたくさんのお水を使ってしまいます。お水を飲んだら変化がスムーズになったという方も多いのです。

AMAZING GRACE

イギリスで2007年に公開された映画です。何気なく手に取ったのですが、見ていてあまりに今と重なることが多く、身につまされながら観ました。

奴隷制度、どう見ても人道的でなく、多くの人が恐らくは、なんて野蛮な時代なのだ、と感じることでしょう。奴隷制度で奴隷商人は莫大な財を築いたと言われ、議会を動かす国会議員も多くはその商売にかかわっていました。

これはまるで、今の原発や瓦礫の受け入れ問題とそっくりです。

奴隷制度が存在した時代(200年前)から見て現代は人が人として進歩したようにも見えますが、やっていることやその根幹で問題となっていることの質はまったく変わっていない、とも見ることができると感じました。手を変え品を変え、繰り返される悪夢のようにも見えます。

人が人間らしく生きることに対して、障壁になる「思い、考え」は、目先の欲望です。

港町の裕福な住人の利害を妨げることと、アフリカから人間を拉致し、家畜以下の扱いをして売買したり破棄(殺人)することを天秤にかけて、利害のほうを優先するということは、異常に見えます。けれど、今から200年の後の人が「電力のため」という名目で、再生処理不可能で人体や生命に致命的な損傷を与え得る非クリーンエネルギーを戦争ビジネスの道具として国家間でやり取りしていたと知ったら、同じように野蛮な気狂い沙汰に見えるだろうことは想像がつきます。きっとこの時代にはまだ人権や善という意識は確立されていなかったんだね、と語られることでしょう。

私たちはこの人類という意識の変容の歴史の中で、今前進のチャンスを与えられている、と今日もまた思いました。善悪の悪だからやめるということではないのです。私たちがより人間らしく、幸せに、内なる全き善とともに生きるという生き方を選ぶことで、私たちは真実の豊かさというものを選択、創造、体験できる時に来ているのだと思います。それは長い歴史の中で今だからできることです。食べ物やエネルギーを作り出しコントロールする知恵と技術を手にした私たちは、生き方、在り方をも選ぶことができます。すべてを分かち合って余りあるからこそ、もう本当は必要ではない、競い奪い合うという方法を手放し、私たちの魂が本当に満足する生き方を各々が選ぶことができるのです。

欲望を放棄せよというのではありません。それを満たすことが幸福で豊かだという誤解から目覚めるべきだと考えています。その目覚めは私たちの周辺や社会や、なにより己自身をさらに高い平安という次元へと導いてくれます。

アメージンググレース、私はかつて盲目だった、しかし、今は見える。己を真に救う光が。自分を狭めているあらゆる誤解、愛を妨げている障壁から、自己を救いだしましょう。内なる真実とともに。

人間らしく生きる

前回がルーアのホームページのリニューアルのお知らせでしたが、その後ブログに着手していました。プロのつぶやきを読んで目からうろこが。ど素人なんだけど、コンピューターでなにかを作るのが好きなので熱中します。

今日は沖縄最高にいい天気。この天気に包まれながら、瞑想に入りたいと思います。作業で頭を使っているときって思考モードに入っているので、いろんなことを思考しがちです。本当に人間の脳って観察していると面白いですよ。脳の動きを自分で観察するなんてことをできるのも人間であるおかげ。

人間らしく、生きたい。

この地球には人間以外に無数の動植物が存在します。それぞれに特性があって例えば健康法として動物の動きを真似るといいんです。ねこのび、とかね。ハタヨーガのアーサナには動物の動きがたくさんありますね。

人間はというと、どうも野生動物としてはあまり高性能だとは言えないでしょう。まず二足歩行というのは無理があって、四六時中どこかに負担がかかります。赤ちゃんは生後数年も、お母さんにいのちを預けないと生き延びられません。

人間は、知性を持った生き物でさらにその知性を磨くため、進化させるためにそうなっているのでは、と最近思いました。からだが不自由だと人間は工夫します。私は体力が無くよわっちいので、たくさん工夫して余計なストレスをどこまでも取り払う訓練をしました。その結果、心の特性がわかり、心のエネルギーというものが私たちの知覚や状態に与える影響の膨大さを思い知りました。

自分が何をしているか、と問われると人は行動に意識を向けます。でも私たちの心は四六時中なにか行動しています。おおざっぱに言えば、心は外側の刺激に気をとられています。それで、ああ、気持ちいいなあ、とか浮かないなあ、とむ、かつくな、とか、それで不快なほうを強く感じると防御したり、攻撃したりしています。よく観察してみると、無意識に自己弁護したり、言い訳したりしています。本当にしょっちゅうしているはずです。

そのことに気づいて向きを修正してあげるだけで、エネルギーの消耗は大幅に軽減することができます。簡単にまとめると、「自分が(心の中で)何をしているのかに気づくこと」です。

人間の赤ちゃんがなんとか自分の足で逃げたり隠れたりできるようになるのは3歳くらいでしょうか。これは、人間の潜在意識の基盤の多くを形成する時期と重なっています。この間にこれから生きていくための基盤とするほとんど重要な情報をインプットしてしまいます。このことはとても興味深いことです。

この間人間の子供はお母さんに付きっ切りで面倒を見てもらいながら意識の基盤を築きます。ものごとのとっさの判断や、自然にわかる良い悪いや、やさしさや、快不快とそれに対する反応の仕方など、また、その奥にある大事な「愛情」というものをすべての感覚を通して記憶していきます。お母さんの意識からダウンロードしていくような感じです。

つまり、人間にはその期間、心の基盤を作る段階というものが必要なのだというjことではないかと私は考えています。そう考えると、私たちの人生のからくりはぐっと読み解きやすくなっていきます。人間は苦しみ、葛藤するように作られています。それくらい複雑で、しかも無駄がない生物なのです。

自然は無駄なく淘汰されています。

私たちの意識も洗練されています。

磨り減ったり化学変化したり、突然変異しますがそれでもバランスされながらあるかたち、ある方向へ向かっているように見えます。

 

人間らしく生きる、ということを一言では言えません。でも、肉体は動物をお手本にしたとして心は、意識はぜひ、神さまをお手本にしたいと私は思っています。そんな生き物として生きることができたら、本望だなぁと思うのです。