信頼について

私は自己紹介などでスピリチュアルの実践を始めたのを
27歳のお誕生日から、と言っていますが
求めていたのはもっとずっと前からのことです。
27歳で何が起こったかというと、
真理の後姿を見つけたのです。
何度か触れていますが
「人類を救う治療法」という本に引き寄せられ
その中で「4段階の意識」という記述があって
顕在意識、潜在意識、超意識、宇宙意識(=神)つまり
意識の深いところへ行くほどそれは純粋で高い神の意識へと近づくとされていて
「これはきっと真実だ」という風に感じました。
そのほかにも真実を感じさせる様々なポイントはたくさんありましたが
それまで神を探していてみつからなかった私にとって
これで神がみつかるかもしれない、という
信頼がそこに生まれたのです。
そうです。信頼です。
当時は今のようにスピリチュアルという言葉が一般用語ではありませんでした。
自己探求したくてもその方法は宗教か、自己啓発セミナーなどが一般的で
どちらにも決して純粋にひきつけられることはありませんでした。
大学ではクリスチャンの教えを学び、礼拝も賛美歌も、司祭の前島誠先生も大好きで
(ちなみにRuach[ルーア]は前島先生の礼拝の講話のなかで初めて耳にした言葉です。
ヘブライ語の発音で「ルアハッ」という音を前島先生の声で記憶しています)
信仰、つまり神を一番のお手本として生きることにはまったく異存はなかったのですが
肝心の神がなんなのか、どこにいるのか、神の真意とはなんなのかまったくわからず、
それは学ぶほど、知識を得るほど、
遠くなっていくように感じられていました。
実際に私は、心が引き裂かれそうに辛くなると
神に見捨てられたような気持ちで泣きました。
もし神が「すべての子らを愛している」なら
なぜに自分はこのような心境に追い込まれるのだろうと
まさに神をも呪ったこともありました。
そんな時に4段階の意識、という記述を見て
私は信頼する気になったのです。
神は天のどこか遠くにいる外人みたいな人ではなく
私たちの意識の一番奥、中心にある、という真実を
私は直覚で真理だと感じ「信頼できる」と認識したのでした。
私のスピリチュアルの実践というのは
その信頼のもとに、自分を変えるワークに取り組むことにあります。
自分を変えるというのは簡単に言えば
真の自己(内なる神を核とする自己の魂)の周辺に表面的にくっつけた
癖や習慣、思い込みを取り払うことです。
その癖や習慣や思い込みは、この肉体に深く刷り込まれていて
時にはその肉体を生かすために使ったりしていますので
簡単に取りはずして捨ててしまうのは難しいのです。
肉体を生かす役割はそれらの表面的な癖や習慣ではなく
真の自己のパワー=神=宇宙の根源の生命力=愛・叡智が持っています。
ですが、そのことを思い出し真の自己のパワーに依存することを思い出すには
古い乗り物を捨て、その席から立ち上がって去るための信頼が必要になるのです。
たとえその姿が見えなくても
声が聞こえなくても
証明をすぐにしてもらえなくても
なんの確証もないまま何も持たないまま
そこに飛び込むことが信頼です。
信頼をもって飛び込んだとき
着地したあたたかい大地こそがその懐です。
懐で寝起きしているうちにやがて
「あれ?もしかして私は救われているんだろうか」と
じんわりとその大きな愛がわかり始める。
神の愛はそんな感じのものです。

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