心のお掃除とはなにか

お掃除が波動を上げるということにいつ気づかれたんですか?と、
ご質問をいただいたことがあります。
私は「貧乏だったときです」と答えました。
以前はあまりに貧乏だったので
人生に対して有益と思えることに対して積極的にに取り組むことが難しい時期がありました。
それで、自分に投資できることは
古本屋さんで本を買うことと
アパートの部屋を掃除すること
自分の部屋と心の中を常に点検して把握しておくことくらいでした。
経済が立ち行かないと、
最低限の生活のサイクルから抜け出すのは余計に難しく見えます。
でも実際はそのことはそれほど問題ではないと今ならわかります。
私たちが人生を有益に生きること、
幸せへの道のりを歩むことへの転換は
私たちが本当にそうなりたいと願い
そうなることを求め
実際にその道を歩むこと
それだけです。
多くの人は、幸せになりたいに決まっている、と思っていることでしょう。
求めているけれどなかなかそうはならない。
きっとそうなるには何かを手に入れたり会得したりしなければならないに違いない。
もしくはそう願ってそれを手に入れられる人は限られた少数の
運命に選ばれし人なんだろう、と。
私も少なからずそう感じていた時期がありました。
でも今は違いがはっきりとわかります。
私たちがもし本気で幸せになりたいのであれば
心を変えることに取り組むべきだということです。
よく「幸せかどうかは自分の心が決める」という言葉を見かけますが
それを知っていても多くの人は
「自分は必要なものをなんでも持っていて与えられているのに感謝できない。
幸せを感じることができない。
きっと私の中の何かがおかしいんだ。」とか
「私が幸せでないのはあれやこれが足りないからだ。
それさえあれば幸せになれるのに。」という風に思うでしょう。
でも、そう感じるのは無理もないことです。
なぜなら私たちは無数の無意識の記憶を基準にしながら
良い悪い、快不快、価値が有る無いなどを決めていて
その基準は刷り込まれた習慣や印象などという
とても曖昧で本質的な根拠を欠くものだからです。
そういった記憶の巨大な貯蔵庫を潜在意識と言っています。
その潜在意識の中にある習慣から来る欲求、欲望に動かされながら
私たちは普段生活しています。
理性によって食い止めようとしてもなかなか思うようにならないのです。
幸せへの道を実際に歩むこと、というのは
この潜在意識をお掃除して
さらにその奥にある真の自己=内なる神を感じ
その中心とともに生きることです。
でも多くの人はそこでこう思うでしょう。
私は生き方を変えたくない。
ただ、今より少しだけ、幸せになりたいだけだ。
みんなが持っているものを私も持ちたいだけだ。
私よりお金持ちはたくさんいるのだから
今よりもう少し持つことができて
恋人や結婚相手がいて
仕事がそこそこ成功していて
余暇には旅行に行って世界を見たり
趣味を楽しんだり
そういう普通の生活を望んでいるだけ。
だから自分の内なる神のことなんて今は考えたくないんだ。
もう少し欲望が満たされて満足したらそういうことを考えてみようと思う、などという風に。
つまり、自分が変わるのはいやだ、というのが
多くの人の考えなのです。
癒されたいけれど、変わりたくはない。
これまでの生き方で、自分は勝利したい。認められたい。
自分の間違いを認めるみたいで変わるのはいやだ。
それ以外のやり方がわからない。(それは、知りたくない、受け入れたくないだけですが)
だから、普通の人みたいに、みんながやっているみたいに
自分は成功して幸せになりたいんだ、という風に。
もしそれが本当ならそうなっている人に教えてもらったらいいと思うのです。
でも実際はそんな人はいないでしょうし
みつかったと思っても、人の持っているものや条件などが違いすぎて
きっと参考にはならないでしょう。
本当のところそうやって、条件や持ち物などによって
幸せを測定することは不可能です。
私は人生をかけてそのことを学んでいます。
条件や持ち物などに関わり無く
誰もが自分の人生の幸せに取り組めるようなやり方を求め
それを見つけられたと思っています。
何の秘密もないので
かえってそれを伝えるのは難しいのですが
できる限り工夫しながら伝えていけたらと思っています。
もし人生の中に不充分だと感じる部分があるのであれば
自分の心の点検を始めることをお勧めします。
方法はたくさん地上に用意されています。
誰にも知られずにひっそりとそれを始めることもできます。
スピリチュアルに興味があって
何かを見つけるために奔走している人も多いかと思います。
紆余曲折して見つけるのは楽しい冒険ですが
私たちが見つけたいのは真理だということを忘れないでください。
真の魔法は内側にあり、外側からやってくるものではありません。
外側からやってくる惑わしと決別し、目覚めることでしか
真理と出会うことはできないのだということから
私は惑わしの世界へ誘惑するものに警笛を鳴らす姿勢を取らざるを得ません。
スピリチュアルのデパートに並んでいる商品を残らずゲットすれば
自分が覚醒したように感じるのは更なる迷妄に陥ることになる可能性が強いでしょう。
どんなときにも真理に向かうかどうかの分かれ道となるのは
「気づき」により「心が変わるかどうか」です。
気づきというのは小さな悟りのようなもので
意識の目隠しを取り去ります。
これが心のお掃除です。
目隠しという隔たりが外れると私たちはより広く高くまた細密に世界を見渡せ
全体性を理解できるようになるのです。
2012年がスペシャルなすばらしいときになるかどうかは
私たちの気づきにかかっています。
それはどんなときでも変わりありません。
今日もすばらしい一日でありますように。

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