愛を生きるためのワーク

一口に思いやり、と言っても
いろいろな段階、いろいろな次元がある。
私たちに理性がなければ思いやりは生まれない。
肉体に付随する本能の機能によって、私たちは利己的にできている。
外界は敵か味方かの2つに分類することが重要であり
敵に対しては攻撃か逃走か、という手段を講じて身の安全を守らなければならない。
そうすることによって自己を保存して生き残ってきた長い歴史がある。
それで聖書ではイエス・キリストが
そうではなく「汝の敵を愛せよ」と言った。
それが理性によって本能的な自己愛(利己主義)の領域から脱出する方法だった。
そこで人は、理性の愛を使って思いやりのある人間であろうとする。
例えば「相手の立場に立って、物事を考える」というようなことだ。
小学校でもそんなことを習ったような気がする。
それも一つとても大事な段階ではあるだろう。
社会的なルールなどを決める時には社会的な弱者の立場に立って
公正で平等になるように考えること、など。
けれど理性の愛は、さらに成熟する。
「相手の身になって、物事を感じる」という風に。
深い思いやりや人間的な優しさ、暖かさを
人が人に感じるとき
恐らくその人は相手の身になって物事を感じ取ることのできる人だ。
そしてさらにそれについて裁くことをせずにあるがままを受け入れることができると
そこには癒しが起こる。
そういう人は人を癒す力を持つ。
理性というと頭で考えることという風に捉えがちだが
理性の愛とは神の愛に通ずる。
私たちは理性によって「感じる」能力を磨く。
「感情的にならず冷静に」という言葉での感情は
自己保存のための利己的な本能からくる衝動であり
理性によって昇華された情緒とは違う。
だから私たちは日々理性を使って内観し、内省し
「恐れ」に対処しようとする本能から来る衝動に気づき、それを手放し
そのスペースに愛を招き入れなくては
より高い自己と統合された熟成した人間になることはできない。
ハートが開いているというのは
このような成熟のことを言うのだと思う。

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