どんなときでも、今私たちにできること

「自分を愛する」ということは究極的に自己成長した証だと思う。

人間はまだまだ愛についてよくわかっていない。

それでも内奥にある真の自己が「愛」について納得したり、それを求めることで

魂は何かにひきつけられたりひきよせたりしながら

それを学ぶ体験のチャンスに出会う。

 

私は随分前から「人間は幸せになる義務がある」と考えてきた。

そういうとまず「じゃあ自分だけ幸せならいいの?」という疑問が聞こえてきそうだ。

それは恐らく「自分の欲望、欲求だけが満たされればいいの?」という質問だ。

もし、自分の幸せが自己の欲求、欲望を満たすことだと信じることができるなら

そうしてみるといいと思う。

するとそれではないということに心底気づけるかもしれない。

もしかしたら一つ満たされたら次々と欲求を満たすことに夢中になってしまうかもしれない。

けれど「自分を幸せにすること」と本気で追及していたら

いつかはもっと深い真実に出会うだろうと思う。

今世かもしれないし、魂が肉体の乗り物を何度か経た後かもしれないけれど。

 

多くの人は自分の本当の欲求を自分に隠して

表面的な欲求を満たすことで代用している。

潜在意識に欠乏を与えるのも、それを満たすのも

本当は愛しかない。

けれど私たちは愛の姿を簡単につかむことができない。

 

様々なことを学ぶ前に愛だけをつかむことは不可能だ。

おぼろげな愛に似た感触を頼りに私たちは愛をからだとこころに染み込ませる。

真の自己が知っていたはずの愛という光を、音を、温もりを思い出しながら。

 

スピリチュアルに覚醒するというのは

ビジョンを見るとか何かを予見するとかサイキックであるとか

そういうこととはほとんど関係がない。

内なる真の自己が知りうる愛という最高次元のエネルギーを自分に与える許可を与え

求め、受け取り、委ね、、親しみ、ひとつになることだ。

心も感情もからだもこころも態度も言葉も行動も

どこを切っても光と愛に満ちていることだ。

 

そういうからだで世の中を眺めてみるとおそらく

自分だけが幸せになるなんていう考え自体が

議論の余地のない間違った科学方程式のように見えるだろう。

 

今どこにいようと何をしていようと、どんな状況にあろうと、

私たちにできることは

今いる場所からその一歩を歩むことだと思っている。 

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