真実を知る・計画・青写真・想像・創造

みなさんこんにちは。
震災から2ヶ月が過ぎましたね。
いかがお過ごしでしょうか。
私は遠く離れた沖縄にいながら
それでも疲れました。
みなさんさぞお疲れだと思います。
どうぞご自身に優しさといたわりを振り向けてさしあげてください。
毎日本当に知らなければならないこと、考えなくてはならないことが
たくさんあります。
私一人ごときが考えたところでどうなるんだ、と突っ込まれそうですが
そのことに意味はあります。
すべての創造は、まずこのアイディアということから始まるということを
皆さんも思い出してください。
一人のアイディアが世界を変えていきます。
今のこの地上の世界は
「そんなこと、できるわけないじゃん」と99.99%の人が言ったことを
覆した人が築いてきたようなものです。
今日から浜岡原発が停止作業に入りました。
私は今回の震災と原発事故のあと
今後まず事象として起こるべきことは
「浜岡原発停止」ではないかと思い当たりました。
浜岡原発が止まりますようにとは祈りませんでしたが
もし私たちの愛と平和への願いが具象化するなら
まず浜岡原発が止まるのではと考えていました。
しかしそのことを思いついたころには
それが起こることはとても難しく感じていました。
何度かつぶやきにも書きましたが
国民の半分が願ったとしてもまだ届かないのではと感じられました。
その時の世論やニュース、みなさんの声などを聞いていると
そう感じずにはいられませんでした。
今それが実現化したことに静かに感動しています。
今の段階では原発全体への処し方についての明言はありませんが
菅首相からは「白紙」の言葉があり、「自然エネルギーに力を注ぐ」と言及されました。
だからと言ってもちろん、現在の福島原発の問題が明るくなるわけではない、というのは
理性的な考えではありますが
それは、この浜岡原発停止を全体の未来を考える多くの方が望んだように
福島についても具体的に意見を持ち意識をめぐらせていくことが
本当に大切だと思います。
世界は目に見えない網目によって繋がっています。
その網目は私たちの意識という情報を乗せて
光よりも早く宇宙に伝えています。
瞑想を重ねていくと、きっとどなたも
そのことを実感し体験するときが来ます。
ですがそのことを体験しようが信じようが信じまいがそれは起こります。
信じてみたかったらどうぞ、想像してみてください。
そうなっていると仮定して、実際に行ってみてください。
そして自分に返ってきたものを注意深く観察していると
何が起こっているのか、何が起こったのか、きっとわかると思います。
この地上ですべての人が持っているその想像と創造の力を使うのは今です。
多くの人は恐れから、起こっていることを無視してしまいます。
そうするとその力を使うことができなくなるのです。
起きていることを正確に知ることからしか
それは成り立ちません。
「真実を知ることのみが、人に正しい力を与えてくれる。
それがたとえどのような真実であれ。」
村上春樹さんの「1Q84」を、いまだ、という気分になり読んでいます。
するとこの言葉にぶつかりました。
このことを教わるために私は今この本を読んでいるんだな、と思いました。

考えるを考える

「1時間読んだら2時間書き留めなさい。
2時間書き留めたら3時間考えなさい。
3時間考えたらいつもそれを瞑想しなさい。」
偉大なるマスター、パラマハンサ・ヨガナンダの言葉です。
アメリカから日本に渡ってきたスピリチュアルの教えの元を
インドからアメリカに伝えたのはかのヨガナンダです。
この言葉は先ほど読みましたが
このところ私の生活のペースはこんな感じです。
もっと瞑想の度合いを増やさなくては、と考えていましたが
読んで、書いて、考える時間も重要なのだとメッセージがもらえて安心しました。
最もヨガナンダのおっしゃる瞑想の時間は一日10時間から17時間に増やす、とかで
桁が違います。
でも、その偉大なるマスターでも
修行時代は「明日こそもっと瞑想時間を増やそう」と思いながら
日常の雑務に追われてしまい、1年経っても目標が達成できなかった経験を持たれ
朝起きて身支度だけして瞑想だ、と決めても雑務に負け
とうとう、身支度よりもまっさきに瞑想と決めて
ようやく増やすことに成功したというエピソードがあります。
それくらい、自己を統制するというのは人間にとって難しいものなんだと改めて思います。
ですから、みなさんも瞑想がなかなかできない、と簡単にあきらめないで
10日忘れても11日目に復活し、半年忘れても翌日から復活しましょう。
私もいろいろな場面でそういうことがありましたが
何年やっていなくても「できていない」とか「やめた」とは思わず
すごくゆるいスパンで続いていると考えてきました。
そのことは私の人生にとってはいいことしかもたらしませんでした。
どんな訓練もそうですが何年やっていなくても、
一時期真剣に取り組んだものはしっかりと体と潜在意識が覚えていますので
復活して数日はひどいありさまでも
しばらくすると以前のやっていた頃を取り戻し
程なくそれを上回るように上達します。
ですから、もうできなくなった、とあきらめないで、粘ってください。
特に瞑想はそうです。
さて、人生を幸せにするには瞑想はなにをおいても忘れられないものですが
読んで、書いて、考えたことを瞑想する、というのは
私のセッションのスピリチュアルカウンセリングのスタイルと同じだなと思いました。
クライアントさんがおもしろいことをおっしゃっていました。
長い時間かけて言葉によってディスカッションしたことのうち
いくつかは頭ではなんとなく理解したけれど腑に落ちていないという部分があります。
それで、最後にヒーリングと誘導瞑想で統合するというかたちをとります。
その時セラピーベッドに横になっていただくのですが
何度かセッションしているうちに
お話が終わってベッドに横になった瞬間に腑に落ちました、とおっしゃいました。
ああ、このことか、と全部おわかりになったそうです。
頭で理解し、また理解できなかったことが
瞑想によって神の視点から光をあてていただけるような
そんな感じだと思います。
とても感動します。
考えること、思考は時に私たちの深い理解と逆行し
叡智を感じる知覚を阻害してしまうことがあります。
ですが、思考の役割を理解し正しい使い方をするためにも
やはり言葉による理解が必要です。
だから、私たちは理解を魂まで落とし込むために瞑想を必要とし
魂にとって本当に必要である理解を身につけ
そうでない「考えのための考え」を振り落としていくのだと思います。
今を考えるためにとても参考になるサイトを
主人が長くお付き合いいただいている患者さんから教えていただきましたので
ご紹介しておきます。
THINKER
多くの人が平和を願っても実現しない謎を解くひとつの観点を示唆してくれます。
私はスピリチュアルの探求をしながら
多くの人がその仕組みを誤解しているのではと感じることがあります。
そのひとつが、戦争は人間の怒りが作り出している、という考えです。
この現象世界は内面の投影であるという原理から
そういった考えが生まれます。
ですから多くの方が「怒り」を人殺しの原因となる感情と考え
自身の中の怒りを罰し、消滅のために取り組んでこられたと思います。
私もずっと以前はそう考え、取り組みました。
けれど、よくよく観察していると
どうもその方程式にはミッシングリンクが存在していると思うようになりました。
「怒り」が戦争を起こしている、という考えは
実在のことで言えば
このほどアメリカによって殺害されたとされるビンラディン氏のような
原理主義者の排他的妄信による怒りが
テロや戦争を起こし他者を虐殺するというものに象徴されます。
ですがあまりに続く虐殺やテロ、戦争にあるとき疑問がわいてきました。
彼らは本当に自分たちの信じる神を信じない人を
片っ端から虐殺したいほど憎んでいるだろうかという素朴な疑問です。
9・11はこの表舞台をすべてをこうあるべく仕組んでいる
裏側のシナリオを握る人がいることを知るきっかけをくれました。
私は演劇の経験から、
対話によって書かれたストーリーから物語を逆算し読み取ることが得意です。
9・11は政府やマスコミが公表している台本から読み取ると
まるで荒くてつじつまが合わず、動機や細かいディテールがでたらめです。
ところが裏側のシナリオでは、すべてがあるべき場所にきっちりとおさまり
書いてある通りにきちんと仕上げればかなり説得力のある作品になります。
そこにある裏のシナリオで戦争の動機になっていたのは
怒りではなく「強欲」と「支配欲」でした。
怒りはその支配のために利用された動機付けの一部に過ぎません。
強欲と支配はからみあっていて
強欲と支配の対象は、地球と地球に存在するすべての命と財産です。
私はそれで多くの謎について納得がいきました。
今日本で起きている国家の一大事で
この裏シナリオと同じことが起きていると考えることができます。
私たちはうちにある怒りや罪悪感などを利用される前に浄化しておく必要はあります。
私たちは最善の選択のための判断をするために
心を高きものに結び付けておかなくてはなりません。
ゆだねる心は大切ですが
ゆだねる相手を間違ってはいけません。
強力な欲によってすべてを所有したがっている存在が持つシナリオに
身をゆだねることは間違っています。
私たちがゆだねていいのは、内なる光と愛、根源なる神にだけです。
私たちは前者に対してNOを言える準備をしておく必要があると私は思います。
私は今では、ビンラディンさんが殺されたというニュースをほとんど信じていません。
そんな、ばれる嘘を政府マスコミがつくなんて大それたことと思われるかもしれませんが
それがそのまま今日本で行われている政府とマスコミによる情報操作、隠蔽、言語統制です。
今つくられている歴史を未来の人びとが振り返ったとき
どうしてみんなあんなこと信じちゃったんだろうね、人間っておろかで弱いんだ、と
彼らはこのままでは言うのではないでしょうか。
そんな教訓ではなく、私たちは何か違う遺産を未来に残せないのでしょうか。
私たち肉体の命はいつどこでどのように終わるのか誰にもわかりません。
そんなことは心配することではないのです。
ですから政府に、責任逃れの理由に使ってもらう道理はありません。
私たちは、自分で選択して、創造する権利があるということ
そして、心配からではなく尊重から
すべての命に配慮する姿勢を持たなくてはなりません。
そのことは今、きっちりと地上の人間たちが学ばなくてはならないことです。
その学びのためには私たちのすべてが
今いる場所から大きく前進しなくてはなりません。
それくらい多くの要素がまだ熟していません。
人間が愛というものを今与えられた条件の中から学ぶのには
本当にアセンションなしには届かないかもしれません。
ですがそのアセンションは
ある日寝ている間にできちゃった、という風には訪れません。
多くの人が、勇気を出して、意識を前進させなければ成就しないことでしょう。
それは突拍子もなく困難なことではありませんが
多くの人にとっては難儀なことです。
多くの人がこれまでの習慣から自由になることを恐れるからです。
私たちが、なぜここ、この地球に今やってきているのかを
もっとリアルに多くの人が考え、瞑想し、思い出す必要があるようです。
読んで、書いて、考えて、瞑想していただければさいわいです。

愛燦々

みなさんこんにちは。
AZU WORLDにとてもたくさんの方が訪れてくださり感謝しています。
私は人間とスピリチュアルの道を探求していますが
多くのスピリチュアル業界の方のように
ふわっとやわらかく甘い感じ、とか、
こうしていればうまくいく、みたいなことを書かないのに
それでもAZUさんの言葉は温かいとかやわらかいオーラだとか
優しい、とかおっしゃっていただき
本当にありがたく思っています。
私は人間が幸せである道を求めています。
たまたま条件よく、とか運よく、ではなく
すべての人にそれが用意されていると確信しているし
そうでなければそんな幸せは偽者だと思っています。
最初の入り口は心です。
多くの人が、感情というものすら恐れていますが
感情を克服するためには感情という領域と親しまなくてはなりません。
感情を克服するというと、感情を制御するというイメージを持たれるかもしれませんが
それは違います。
感情は内なる神を感じるために存在しています。
喜怒哀楽というものは美しいものです。
それはちょうど、川の流れが美しいのと似ています。
美しい川の流れを眺めていると
心が洗われたり、また悠久の時というものに気づきがもたらされたりするでしょう。
感情の流れというものもそのようなものです。
ところが、川の流れが一部不自然に淀んでしまうと
水が汚れ、腐敗してしまうことがあります。
人間の感情もそうです。
ネガティブな感情のように表現されがちな「怒り」や「悲しみ」は
それ自体は自然で美しいものなのに
無理にそれを押さえつけたり、流れ出ないようせき止めたりしていると
淀みができ、膠着し、腐敗してしまいます。
するとそれは「うらみ」とか「くやみ」というものに変質してしまいます。
怒りは良くないもの、と言われる場合の怒りは
原因を外側のなにものかのせいに押し付けたりするときに生じる
あいつのせいで私は・・・・というような「うらみ」の感情を指しています。
仏さまも、例えば餓鬼畜生のような状態の心に対しては
怒りの形相で立ち向かうことがあります。
本質はひとつである仏の御心も
時と場合では叱ったり、ゆるさん、という風にして
人間の心に潜む「迷妄」というものを一喝して去らせることをします。
神や仏の怒りの奥には悟り、愛、光以外は存在しませんが
私たちの次元に降りてきて私たちの目にそう見せています。
ですが私たち人間の怒りの奥には浄化されざる利己心が隠れていることが多々ありますので
怒りはいけないものと総じて言われています。
でも本当を言えば、怒りという表現の奥にあるものだけが重要であり
怒りそのものを恐れていては、霊的に前進できません。
私は以前キリストの怒りが好き、と書きましたが
あんなこと書いて大丈夫だったろうかと時々振り返っています。
でも、どうしても、やっぱりそれは大丈夫なんです。
厳しさ、という愛はとても高度な愛です。
間違いやすくもあり、誤解をさしはさむ余地のあるものですが
この地球の二元性の世界で成長するためには
絶対に必要なものだからです。