平和をつくるとはどういうことか

連投します。
「原発がいつ止まるか」によって
今地球上で暮らすみんなの人生のトーンはだいぶ違ってきます。
私は祈る時に、物事の変更は願いません。
祈るのは神への愛と内なる平安、
そしてすべてが気づきと真の幸せへと向かうこと、だけです。
ですから、物事の変更、例えば、原発が爆発してほしくないな、と思うなら
爆発しないですむには、どうなればいいのか、ということを
自分の頭で考えます。
それは、神のみぞ知るでしょ、と思われるかもしれませんが
それは、神が管理していないことです。
原発は人間が作り人間が運営していて人間が使っているもので
この世でのあれこれの後始末だけ神に任せるのは筋違いなのです。
この世のあれこれは、因果律の元に現象化していますから
私たちにできることは、刻々と事象化している事実の因を変えること
簡単に言えば、心を変えること。
それから、その心に嘘がないよう、行動する(言葉、態度など)ことです。
それにはまず今起きていることを受け入れ、認め、しっかりと見ることから始まります。
そして今起きていることがどのような因から来ているかを見定めます。
原発事故に関して言えば、これは人間の強欲、傲慢、利己主義が大きいと思います。
それは、一部の人のであって自分は被害者だと感じるかもしれません。
そんなにおおげさなことではない、たいしたことはない、と感じられるかもしれません。
たかが電気のことじゃないか、と。
でもそれが、本当はそうではないことに気づければ
事象すなわち果は変化していきます。
一部でなく、すべての人間の中に潜む同じ心に大勢が気づく必要があるから
誰もがかかわりがあって、避けて通れない、今の結果が起こっています。
今日本で、これはいかん、何とかしなければと
みんなの問題を自分のこととして引き受ける覚悟をした人は
まだ半数に満たないようです。
これまでもなんとなく生きてこれたし、これからもそんなもんだろう、
私はこれまでの便利で平穏な生活ができればいいんだ、と思っている人がまだ多いようです。
スピリチュアルの教えの中に、
自分の心が平和なら、投影である世界も平和だ、というのがあります。
だから、騒いだり、怒ったり、ことを荒立てて
世の中を変えようとするやり方は間違っていると思う人もいるかもしれません。
けれどそのように考える場合の平和は、勘違いだと私は確信しています。
なぜなら、そこで言う自分の心の平和は
この現象界にある二元性の両極の中の平和に見える部分だけを切り取って
そこだけに意識をフォーカスして「平和だ」と言っているに過ぎないからです。
本当の平和ではないから、外からの刺激であっという間に崩れてしまうので
何も感じないように心を閉じてしまっているに過ぎません。
真に心に平和を持つ人、真の平和を作る人というのは
現象界のどのような場面を見ようと、どのような場所に立とうと
内なる神の平安、神の御心から外れずにいられる人のことです。
そのような人の世界は地獄の光景の中にあっても平和です。
ですから、瞑想がだいじと言われるのは
そのような人に近づくよう、心を神とひとつにしておきましょうということなのです。
起こっていることを見ないで、必要な対処をしないで、見たいところだけ見て
私だけは平和でいようというのは、スピリチュアルとして勘違いであるだけでなく
人間としても道に外れることになるでしょう。
さて、今起こっていることからの学びに多くが気づくことで
全体の受ける痛みは小さく済むように、というのが私の小さな願いです。
人間が積極的に、率先して、建設的な方法で悔い改めて現在の問題に取り組めば
この難局も少しは優しい肌触りで切り抜けられます。
なにより、人間が人間に対して誇りや希望を失わずに済みます。
次への一歩はそれだけ早く前へ向かって踏み出せます。
逆に、このまま欲望のままに、過去を改めずになるように任せるなら
今進行しているシナリオはもちろんそのまま続行です。
一部の気づいた人たちが懸念している、
多くの人間に多大な痛みと悔恨の傷跡を残す道が
もうすでに明らかに示されています。
シナリオはもうすでに続行しているということに気づいてください。
ですから、気づいた人から変える必要があるのです。
(大きな痛みのほうがいいという選択をするなら別ですが)。
ですからどうか、大切な人と話し合ってください。
そして互いが理解し、決意できるように努力してください。
今起こっていること、そして今続行しているシナリオ、
私たちが選択可能な未来をみつけて、決めて、そのことを伝えてください。
愛とともに平和を作りたいと願うすべての人へ呼びかけます。

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