こまろく

沖縄、すごい天気です。ザ・夏休み。最高です。
豊崎に引っ越して半年と一月が過ぎました。
湿気とかカビとかもひと通りくぐり抜けて
だいぶいろんなことに慣れてきています。
180度に近くぐるっとベランダを囲うように広がる丘の緑が、近い。
空気が澄んでいるからなんでしょうね。
昨日、寝る前に小学校のことを思い出していました。
狛江6小。
私の住んでいたのもこの小学校のすぐ近くでした。
私は詩に縁があったと気づきました。
小学校1年生の時に、NHK教育の「おかあさんの勉強室」という番組に出ました。
6小の私の学年から数名が選ばれて、テーマは「詩」でした。
私はその中の、自分の詩を読む4人の中に選ばれました。
その時、みんながどんな詩を書くのかということに
生まれて初めて意識が向いた気がします。
バスに乗ってNHKのスタジオに入り
にせものの教室の中に机を並べ
担任の大野先生が心配そうに、マネージャーみたいに世話をしてくれています。
忘れられないのは、選ばれた10数名の他に
なんといってもダントツにいい詩を書くぴんこというあだなの男の子がいて
その子はお行儀も良くないし、質問されてもちゃんと答えられそうにないので
メンバーからは外れていたのですが、見学だけ、と大野先生が連れてきていたのでした。
ところが本番ぎりぎりになって大野先生が、(おかあさんみたいな女の先生)
どうしてもぴんこを一緒に出演させてあげたくなったのです。
それで、私の隣に机を並べて
「みょ、(私のことを先生はそう呼んでいました)よしてるの面倒みてあげてね」と言って
急遽一緒に出ることになったのです。
そのよしてるの詩は本当にすごかったんです。
私は子供の頃から感受性、という分野で右に出る人がいないというくらい
なんか鋭くて、誰がどんな顔でどんな風にどの言葉を言うかとか
そういうことを全部記憶しているような子だったのですが
このぴんこだけです、私よりそういうことをずっと記憶していた子は。
中学生になってそれを知って本当に驚いたことが後にありました。
小学校5年6年は、私の人生でもこんなに愉快な時はなかったほど
楽しい毎日でした。
それは担任のいわちゃんが本当にすごい人だったからだと思います。
いわちゃんは当時まだ24歳で私たちのクラスが教師になって2つ目の担任でした。
いわちゃんは色白でひげがとっても濃くて、だから全体に青白い顔でした。
髪は少し長めでくせっ毛でした。
目が細くてめがねをかけ、いつもジャージを履いていて
おい、お前らなー、と青年の澄み切った声で冗談を言い
怒るときは目に涙を浮かべて真剣でした。
まるで、ドラマに出てくるずっこけ感動先生みたいで
みんな、本当にいわちゃんが大好きでした。
ぴんこもこのクラスにいました。
私はいわちゃんと、人生について語るのが大好きでした。
あと、クラスのみんなが元気で幸せかどうか、とか
そういうことをいつも話していました。
いわちゃんが一度、このクラスにはリーダーがいないから団結力に欠けると言ったことがあり
その時私は「それはいけないことなの?」と反論したことがあります。
「今までリーダーを見て来たけど
それでみんなが幸せだったことはあまりなかったみたいよ。
それよりもみんながみんなの役割を認め合って
それぞれみんなが主役になっている今のほうが本当にみんな幸せなんじゃない?」と
真剣に言いました。
クラスには本当にいろんな子がいて
勉強もできないししゃべるのもへた、運動もできない、家庭も暗そうという子も
何人かいました。
でもそのクラスでは、みんながいつのまにか、そんな子の得意なことをみつけて
脚光を当てるという習慣ができていました。
漫画を描くのがうまいとか、あとはもう本当になんにもできないけど
みんなができるのを待ってあげて、できたときみんなが思い切りほめて
そのときの笑顔がものすごくかわいい男の子とかもいました。
それだけでその子はマスコットにように扱われていて
笑顔がとても増えたりしました。
そのクラスにはカギ大将がいなくて(ガキ大将を卒業していたりして)
優しくてユーモアのある男の子がいっぱいいました。
みんなでできる新しい遊びを考えたり
道具を作って持ってきたり
新しいおしゃれをはやらせたりする男の子がいました。
そういう子はいつも人気者でしたが
その子はみんなに脚光を当てることを忘れませんでした。
そうしていると
本当に毎日が楽しくてうれしくて仕方ないことを
わかっていたから自然にそうしていたんだと思います。
私の中のユートピアの原型はそんなころの体験にあり
それは不可能ではないし
無理強いしたり、難しく考えなくても、人間にはできるのだと知っています。
だってあの、6年4組にできたんですから。
最後にぴんこの詩をどうぞ。
「ふゆやすみ」
ふゆやすみになったら
ひこうきできゅうしゅうにかえるんだ
とうきょうにないもの
たくさんかってくるんだ
せんせい
たくさんふゆやすみちょうだい
たくさんたくさんあそんでくるから
おはなしも
たくさんしてあげるから

“こまろく” への4件の返信

  1. 何だか遠い目で日記を読みました。みんなそれぞれの小学6年生だったんだなぁと感じました。AZUさんの小学6年生、想像しましたが想像上では今と全く変わってなかった。
    私もきのう、小学6年の時の事を考えていました。
    AZUさんと同じ誕生日である私の初恋の人が
    きのう突然実家に来て、20年ぶりに電話で話しました。会おうと言われたのに怖くて逃げちゃった。。
    小6に引越した彼は、なつかしくて年に一度くらいは住んでいた家(実家のおとなり)を見にぶらっと散歩に来ているそうでした。
    今度彼が来た時は絶対笑顔で会う、と決めました。

  2. さなえさん
    >何だか遠い目で日記を読みました。みんなそれぞれの小学6年生だったんだなぁと感じました。AZUさんの小学6年生、想像しましたが想像上では今と全く変わってなかった。

    >私もきのう、小学6年の時の事を考えていました。
    >AZUさんと同じ誕生日である私の初恋の人が
    >きのう突然実家に来て、20年ぶりに電話で話しました。会おうと言われたのに怖くて逃げちゃった。。
    >小6に引越した彼は、なつかしくて年に一度くらいは住んでいた家(実家のおとなり)を見にぶらっと散歩に来ているそうでした。
    >今度彼が来た時は絶対笑顔で会う、と決めました。

  3. こんにちは。東京は、風が強い上にじめじめとはっきりしない天気です。
    そう言えば、私も小学5・6年のときは4組でした…でもその頃は、楽しいというにはほど遠かったかも。
    AZUさんのクラスにも「目立たなくてこっそり一人でノートに向かって絵やお話を書いている」ような地味な女の子が一人くらい居たのではないでしょうか。それが多分、私です。
    ただ、やはり担任の先生(60代の、定年間近のおじいさん先生でした)がとても良い方だった。
    クラスメートに見せた事もない私の絵や文章を褒めてくれて、課題でもないのに400字詰めの原稿用紙を1枚、2枚と下さるんです。私はもらう度に、ドンドン書きました…一つのお話を。アーサー・C・クラークみたいな、SFでした(笑)。
    卒業近くになって、先生が下さった原稿用紙は多分、80枚くらいになってたと思います。物語は90枚くらいで完結して、先生はそれを、私一人のために厚紙と黒いヒモで綴ってくれ、最後に感想を書いてくれました。
    読者に読んでもらうという創作(連載ですね)を、初めてさせてくれたのがその先生でした…
    6年生の頃って、人生の基盤になる大事な時期だったんですね。ホントいつも良い事を思い出させてくださって、嬉しく思っています。感謝します。

  4. ERIさん
    メッセージありがとうございます。目立たない子、と思っていたのはERIさんだけ、なんてこともあるかもしれませんね^^自己像と周囲の目ってギャップがあったりして。子供のころはそういうのにもいちいちびっくりして傷ついたりもしていました^^
    潜在意識でいうと13歳くらいまでにいろいろと基盤ができてあとはもうあまり変わらないって言われています。だからその頃までに刻まれたいろんな好きが、後に実現されていったり支えてくれたりするんですね。
    ほんとにそのとおりだわ、と、自分を振り返ると思います^^

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