living in the light

スピリチュアルの標語(?)に
愛の反対語は憎しみではなく、恐れだ、というのがあります。
その言葉はとても的を得ていると思う。
反対語かどうかは正確には違うかもしれませんが
愛から隔ててしまうものは恐れだと思う。
もうちょっと人間的(心情的)なレベルでは
無関心だ、というのもあるけど
無関心を無意識、と置き換えると
これも当てはまると思う。
というか、私たちを光と愛から隔てるのは主に
無意識の恐れ、なのだ。
そして恐れから自由になろうとして向き合おうとしても
それが無意識の闇に隠れているから
なかなか私たちはそこから目覚めることができない。
そこで必要なのは瞑想、と変性意識下で行われるワークだと思う。
そのワークのひとつが催眠=ヒプノセラピーでありレイキヒーリングである。
恐れを探求していて
エゴをどんどん解体していくと
やっぱり究極「死」という肉体から離れる行事は一大イベントだ。
いくら美しくて安らかで痛みが少ない死にたまたま出会っても
死に対してポジティブであることはなかなか難しいと思う。
人生の大きな課題であることは確かだ。
あるヨギの自叙伝を読んで目からウロコが落ちまくっている。
聖者は肉体を離れるとき
マハ・サマディという技法で肉体を離れる=現世でいう死を行う。
それがその人生での最後の行になるのだけれど
自叙伝を書くような身近(と言うのも変ですが、イエスのようにお弟子が書いた書でなく)な
肉体を持つ存在がそうやって続々と(師匠たちが)この世を離れる様はとても衝撃だった。
それで、イエス・キリストは
どうしてあんなに人々に恐怖や絶望という印象を与えるような亡くなり方をしたんだろうかと
とても不思議に思った。
あれでは、人間は死はや犠牲について誤解してしまうに違いない。
インドの聖者たちもキリストは地上で最も優れたヨギだと言っているのに。
どうやら、その辺に、人間の意識の進化と
それを隔てるものの秘密が隠されているように思う。
それを解き明かそうとしている人もいるみたいだけど
やっぱりとても危険で重大なことみたいだ。

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