はじめにスピリットありき

この地球上で多くの人が、外側を変えたり外側に何かを求めることをやめて
内なるガイドとともに平安と導きを生きるという冒険を始めたら
本当にこの世は楽園のようにおもしろくなるだろうと思う。
今多くの人が楽しんでいる冒険は
どれもだいたい「サバイバル」というサブタイトルなんだけど
それが「創造」にかわる。
正直先の見える冒険(サバイバルのほう)なんて本当に退屈でばかげているんだけど
そういう麻薬がなくなると人生がクールじゃなくなると懸念している人が多いんじゃないか。
特に男性。
私から見ると、内なる女性性を中心に持つ男性はとても少ない。
でも内なる女性性を持つ(大切にしている)男性はとてもとても魅力的だ。
アボリジニが狩りをするとき(狩り、好きでしょ、男性)
内なるガイド、神と交信して獲物をいただくんだそうです。
だからくいっぱぐれはないそうです。
すごくクールだと私は思う。
レイキヒーラーのあきこさんが書いていらしたけど
地上の多くがまだ狩りで暮らしていた頃は
人間同士は分かち合いの世界だったらしい。
自分の食べるための分が捕れたらあとは分け合うんですって。
生活の(食べる)ための労働時間は一日2時間くらいで
あとは芸術(創造)と祈りと瞑想、だったそうだ。
縦社会ができて身分が分かれたり
多くを蓄える者が出てきたのは
農耕をするようになってからだそう。
そして食べるためにものすごく時間を使うようになった。
ははぁ~!!!と目からうろこでした。
今は農業ブームでロハスなんてことになってて
狩りなんて野蛮ってイメージですが
確かに殺生ではありますが
天から授かった命で命を生かしていただくのはシンプルかもしれません。
植物にしても野生の熟したものをいただいていたんでしょうね。
私は中学校の時、インド帰りの先生が歴史を教えてくれて
世界の四大文明は河(水)があるところに生まれ
農耕によって生活が安定して初めて「文化」が栄えた
と、ものすごく力説していて
中学3年間でこの話しか覚えていませんでしたが
この説も覆るときがきてしまったか、と思いました。
生活の安定あってこその精神文化、ではなく
そもそも私たちは源と繋がった
存在そのものが神の表現だったと言えるかもしれません。

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