癒しはあともどりのない道

癒し、からイメージするのは
緊張した日常から逸脱して
つかの間の平安に浸ること・・・
というのが一般的かもしれない。
なぐさめ、みたいな結構お手軽なイメージがある。
だけど癒しとはもっと明確なものだ。
癒しが起こると私たちは悪夢から覚め
幻想の壁は打ち砕かれ
もはやあともどりはできない。
・・・なあんていうとまたちょっとおっかない感じもするけど
実際にそういうものだと思う。
リラクゼーション、というのもまた
お手軽なイメージで使われることが多いから
深刻な悩みや苦しみを持っている人からみると
「そんなもので人生が変わるわけがない」と
受け取られがちだと思うけれど(私は、そうでした)
リラクセーションは奇跡を受け取るための準備のようなもの。
なぜなんでしょう。
私たちが本当に幸せであるには
私たち人間に創造された心というものを通して
世界を知覚しなおす必要があります。
私たちが合理的に考える思考、というものも
本能の仕組みである攻撃や逃げ、というものも
本来の感覚とは違うものです。
でも、たとえば幼少の頃、
この地球で居心地の良くない思いをして
周囲の刺激から身を守ろうとした結果
生き延びなければ、という本能の仕組みから
私たちは防御のための砦を心に張り巡らせます。
そして、オープンにして感じる、ということは
居心地が悪くて危険な恐ろしいもの、
という観念を身につけます。
そして大人になるにしたがって
ますますこの砦を強固にすることで
この生きにくい世の中を渡っていこうとします。
すると、心が感じる、という機能は固いブロックに囲われ
私たちの心が本来感じるべき一番大切な
愛というものをなかなか感じることができません。
私たち人間は
愛を感じない限りふしあわせで孤独です。
それでどこかに自分を幸せにしてくれる何かを探し求めます。
でも、
それは、外にはありません。
肉体の機能としてついている「本能」というスイッチが
いつのまにかあなたの主導権を握っています。
そして肉体を通しての知覚が自分自身だと自分に思い込ませます。
自分は自分を把握している、もう少しがんばれば
完全に自分を支配できコントロールできるのに、と
思っています。
そして、このままの自分でいてなんとか
他のものと同じように
愛、も手に入れる方法を探します。
仕事やお金や、愛、という感じに。
でも、愛だけはどういうわけか
その方法ではうまくいきません。
それは心にいっぱいくっつけているあれのせいです。
そして思考は「あれ」について分析を始めます。
そしていつか分析を達成すれば
自分は解放される、と信じようとします。
でも、それは、エゴのやり方です。
癒しは光をあてます。
そして文字通り目覚めさせます。
リラックスは
本来のあなたが目覚めるために
思考やエゴというパーソナリティに
少しお休みいただくためのものです。
ヒプノセラピーで
私は感じることが苦手です、とおっしゃる方がみえますが
本来の感じる心を取り戻すことが
セラピーの目的でもあります。
不快なものを感じないようにしていると
大切なものも感じられなくなってしまいます。
大切なものとはもちろん
愛のことです。

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