今幸せな人は世界にどれくらいいるのだろう

なんてことをよく想像してみるのだけど
まったくわからない。
私のワールドは近い波長の人を引き寄せているだろうから
自分の視界からはまったく想像もつかないし参考にならない。
私の心が癒される以前は、幸せな家族とか夫婦って
探しても見当たらなかったので
結婚てそういうもんなんだろうと思っていたけれど
今は素敵な夫妻もたくさんいるし
家族って最高って思う。
まったく自分の知覚なんてあてにならないものです。
でももちろん、好きな人と結婚してただただほわんと幸せかと言えば
パートナーシップはそんなに甘いものではない。
私は飽きっぽいので、お互いに相手に飽きちゃって退屈な人生、なんてならないように
とっても注意深く家庭を創造し続けている。
これは2人が同じ姿勢で取り組まないと絶対うまく行かないので
忙しくてもめんどくさくても
楽しい人生を送るためなので手を抜かない。
だんなさんも飽きっぽいところや楽しい人生を送りたい度などが一緒なので
本当によかったと思う。
結婚て、相手の幸せに全力を尽くすと間違いないと思う。
幸せを単に欲求を満たすことだと思ってしまうと
とんでもないことになってしまうけれど。
で、話を元に戻すけれど
タイトルの幸せというのは結婚とは関係なく
心に平安のある状態の人、と言ったほうがいいかもしれない。
私は自分の内面に取り組み癒す作業を始めても
すぐに心に平安がやってきたわけではなかった。
何度か書いているけれど
生命の贈り物の祈りの言葉を口に出して言うことすら
痛すぎてできなかったほど(拷問のようにきつかった)傷ついていた。
その頃にもし『奇跡のコース』と出会って
「この世はない」とか言われても
「ふざけんな」と言って神を憎んだかもしれない。
今痛んでいるこの心が現実でないと言われても
気休め以下でしかなかったはずだ。
現在の私はどうかというと
それが真実だと感じる。
傷が癒され分離した知覚から多少なりとも訓練されて
すべてはひとつだという真実に少しずつ触れてきた今
宇宙は幻想なのだ、という真実は私には暖かい。
もうそれ以上の真実を探す必要はないと思った。
そう思ったら私はこれまで地上で行ってきたセラピーやヒーリングが
ますます輝いて見えてきたのだ。
自分がやっていることがクリアにわかった。
セラピーやヒーリングの役割は
人々をより高いところへ連れていったり
より進化させるものではなく
人の背負った重荷を軽くするもの。
重荷の降ろし方は人それぞれだが
重荷を降ろすとその人の視野は広がり
より行動しやすくなる。
さて、そうなるといよいよ、自由な選択がしやすくなるということだ。
私はかなり丁寧に、エゴの納得を得ながら荷物を降ろしてきた。
荷を降ろして初めて人は本当の自分としての行動が取れるし
本当の世界を感じることができる。
人間がこの世で必要と思って握り締めているものは
ほとんどがこの手の荷物なのであって
手放した時ようやく真実の扉が開くのだと思う。

自信

もっと自信を持って…などと他人にアドバイスされても
とてもじゃないけど「はい。」と変わるわけにはいかない。
もっと才能があれば
もっと能力があれば
自信が持てるのに、と望むかもしれない。
類まれな才能を持った人などは
自己の力に人生を託し
常に恐怖とともに暮らす。
才能が認められなかったら、
才能が消えてしまったら、と。
自信はどこからやってくるのか。
『奇跡のコース』にいいことが書いてあった。
「もしあなたが自分自身の力を信用しているなら
不安になったり心配したり恐れを抱くのは当然だ。
あなたはいったい何を予測したり抑制したりできるというのだろう。」
「どんな問題であれ、そのすべての側面を知った上で、
いい結果だけが出るような方法で解決する能力を与えてくれるだろう。」
田中百合子さん訳『奇跡の道』より
それができるのは神の力である、ということだ。
確かに。
自信がある人というのは、何を選べばよいのか知る人であり
委ねる能力のある人のことなのね、と思う。

今よりも自由に

人は自由を望み、自由を恐れる。
普段意識しなくても、エゴから本当に自由になった人を除けば
人は不自由さ(壁、ブロックと呼ばれるもの)を心の中に持つ。
それに阻まれると人は
愛や、幸せ、平安を自由に、完全に感じられなくなる。
それで、もっと幸せに、なれるはず、と感じる。
では、あなたに存分に愛や幸せや平安を感じさせるのを阻む
壁を取り外しましょう、というのが
さまざまな心理療法やエネルギーワーク、ボディワークなのだけれど
そこで人はおもむろに、あろうことか
変わることを恐れるのです。
変わることを恐れるのは
エゴの抵抗の得意技なので
仕組みがわかれば多少しり込みしても
やっぱり飛び込んだほうが
今よりいいんだ、とわかるはず。
飛び込む以前にああでもない、こうでもないと考える知覚は
すべて幻想なのだと言うこともできる。
例えば前世療法の目的はなにかというと
魂が学びを終えた過去の肉体の想念の
幻想的な影響とさようならすること。
あなたの前世は偉いお坊さんで…と言われると
悪い気がしなくて得意になるかもしれないけれど
前世療法では、そのお坊さんにお帰り願う。
どんな立派な人だったとしても
私たちはなるべくとらわれから開放され、自由になり
そのお坊さんの個人的な思いとともにではなく
そこからすべてを学んだ魂と、
そして自分と、
そして私たちの還るべきひとつの御心とともに生きる。
こわくはない。

ある歴史の時間

temigura.jpg
久しぶりに顔出しします^^
偶然出会った大きな公園。
発掘調査している人に話しかけると
とても真剣に応えてくださり
発掘した中国の青磁や牛の骨や土器、いろんなものを見せてくださり
「本当はここはグスクでした。
集落ではなく王が政治を行った城です。
本当はそこ(すでに公園として埋め固められている、写真の場所)に
中心があったはずです。」
…と言葉は少ないけれど凝縮された思いが伝わってきました。
そこからは牛、いのしし、豚、それにジュゴンの骨も出ているそう。
それは王に献上されたおいしい食事の跡。
中国やアジアの国々との国交の跡を示す様々な美しい産物。
テミグラグスク。
主人が受け取った土器の破片を額につけて
「メッセージこないかな」と言ったので私も真似しました。
そしたら涙と鼻水が勝手に出てきてぐすぐすになりました。
話をしてくださった方の思いなのか、土器の記憶なのか、そのすべてなのか。
沖縄は出かけるとすてきなことが起こる場所。