「人は恐れを感じていないと生きてる気がしない生き物なのさ」

だんなさん一押しの「マトリックス」を見ました。
うん、確かに「神の使者」と同じだった。
目覚めた後の世界は描かれていなかったけど。
神の使者
目覚めたものが目覚めのために暴力(銃と格闘技)で戦うところも
ちょっと笑えますけど
でも世紀末に世界的に話題を呼んだマトリックスを見て
魂の呼び声を聞いた人は多かったのでは?
だんなさんはそれから「この世界は何かおかしい」と思うようになったそうです。
スピリチュアルの本を読んでいると
すべてのドラマはエゴの葛藤の物語だとあります。
ドラマ出身(演劇出身)の私はドラマの甘美な魅力に魅せられていましたが
その意味はよくわかりました。
演劇専攻の授業でも
演劇の役割は「カタルシス」(浄化)にある、と教わります。
観客はドラマをつくりものだとわかりながら感情移入して見ます。
現実ではないと知りながら
自己をドラマに投影します。
そしてドラマの中で葛藤を越えて解消していきます。
そこで脳はあたかも現実を体験したように受け止めるのです。
これは、ヒプノセラピーに用いられる
サイコサイバネティクスという脳の機能の利用法と全く同じものです。
『脳は現実とリアルなイメージを区別できないいし
体はロボットのようにリアルなイメージに反応してしまう』という仕組みです。
・・・マトリックス。
ですから演劇には目覚めた世界があります。
ドラマ(エゴの葛藤)を客観的に見る視線です。
優れた脚本はどれもこの視線で描かれていますし
俳優もこの視線がなくては本当は演じられません。
シェイクスピアは悟っていた、と言われているのも頷けます。
ちなみにヒプノセラピーで
サイコサイバネティクスの機能がどのように利用されるかといいますと・・・
この機能ゆえに人間は現在この世(この世が幻想で現実ではないと仮定します)の
エゴが作り出している世界をリアルだと知覚しています。
エゴによって傷ついたり、怒りを覚えたり、悲嘆にくれたりします。
それは誰か(外の世界)が私に対して、その原因を与えた、と知覚されます。
ですが、それはリアルではありません。
本当の私=本質は傷ついていませんし
リアルなのは本質であり
傷つけられたかのように知覚されているのは
エゴの投影である幻想世界のほうです。
ですから、サイコサイバネティクスの機能を逆手にとって
それ(非現実)は起こらなかったという風に認識しなおすことができます。
通常ヒプノセラピーでは
ネガティブな記憶をハッピーエンドに置き換える、と便宜上説明していますが
無理にハッピーエンドに結末を創り換える必要はないことがほとんどです。
どういうことかというと
目覚めればいいのです。
過去の記憶は間違った夢をロボットのように記憶しているだけです。
そのことが催眠の中ではわかるのです。
つまり催眠の中では意識は目覚めます。
ですからそこで起こってしまった出来事や登場人物を赦すのは
それほど難しいことではないのです。
なぜそれが起こるのか、不思議かもしれませんが
催眠を受けられる方はそれを選ぶ時点で
目覚めることを選んでおられるのではないかと思うのです。
変化を恐れる声がないわけではありませんが
それよりも大いなるひとつへと還ることへの魅惑のほうが格段に大きいはずです。
赦すことを選ぶということは
エゴの正体を見てそれを捨て去ることです。
説明の上では、マイナスをプラスに置き換える、というように言いますが
本当はそのドラマから目覚めて
シナリオを客観視しているのです。
或いはその舞台を上空から眺めるのです。
すると、その役がどんな役柄であれ
だからといって演じている俳優を憎んだりすることは
全く意味のないことだということが腑に落ちるのです。
ヒプノセラピーがただ単にマイナスをプラスにする、というツールであれば
これまで私がたくさん見せていただいたような奇跡はなかっただろうと思います。
それは2元性の世界を超えるものではないからです。
そうでなくて
この潜在意識へのアクセス法は
初心者でも安全に確実に行える瞑想なのです。
瞑想が悟り=真の平安に通じる最初で最後のツールだというのが
もっともだということを
日々改めて思い知らされています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です