あけました

日曜日に沖縄は梅雨明けしました。
なんだか東京みたいにずーっと雨、という感じではないので
降水量足りたのかなーなんて思っていたら
例年より多めだったそうです。
確かに降る時の勢いは半端ではありませんが・・・
だけど、湿気はすごかった・・・
暑さに強めの私ですが、エアコン我慢してると気持ち悪くなっちゃうほどでした。
そして明けて3日のお天気はすばらしい。
沖縄の空の澄みかたは最高です。
全部が幻のように美しい。
沖縄ではこの世は幻なんだ、ということを実感できます。(笑)
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昨日の休日は、糸満市西崎(うちから一番近いビーチ)美々ビーチで過ごしました。
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糸満べん(?)ってすごく愛らしい。
読谷では居酒屋さんで「さーはあまり使いません」って注意されたけど
糸満ではとにかく「さーさーさーさー」言ってます。
なので私も主人も「さーさーさーさー」言っています。

無事ということ

若い頃はもちろんですが、わりと最近まで私は「無事」とか「無難」ということに
ほとんど、全くといっていいほど魅力を感じませんでした。
とんでもなく困ったことや辛いことの連続の中にあっても、
「ああ、もっと無難に生きたい」とか「今日無事でありがたい」なんて
全然思えなかった。
ところが、最近になって無事、無難の本当の仕組みとか意味とかがわかったら
ものすごくありがたいことで、
もうそれこそが奇跡だということを実感するようになりました。
私たち人間はこの星でとても長いことエゴの法則の中で生きてきているので
いいことがあればわるいこともあるし幸運もあれば不運もあるというように
「いってこい」の正負の法則が当たり前です。
私も長いこと辛い気持ちで生きてきたので
その頃は「これだけひどい目にあったんだから、いつかでっかい幸運がきて
あとはもういいことばっかりしかない人生が待ってるのかしら」なんて思ったりしました。
ところが、ひとしきりの嵐が去り心に平安がやってくるなり
不思議と同じ分量の「いいこと」を求める気持ちが消えていきました。
これは不思議でした。
幸せ、というものは不幸の対極に在るものではないんだな、とわかりました。
幸せは、マイナス10がプラス10に転ずるのではなく
ゼロにいることだと感じました。
ゼロに戻ってくると不思議とマイナス10の頃の恨みなんて忘れてしまいます。
そしてやすらぎの中で「ゆるしの祈り」をすると
ものすごいことが起こっているのを感じることができます。
ゆるしの祈りはカルマを解消することができるとありますが
信じようが信じまいが実際私たちは肉体を持って生きているだけで
生・老・病・死などの苦を体験しなければなりませんし
自分が生きるためには知らず知らずに、他の命を奪ったり傷つけたりしているものです。
ですから私たちは肉体中心に生きることで
負のカルマを背負っているとも言えます。
ゆるしの祈りでは、そうやって知らずに作ってきた負のカルマや
私たちの先祖が子孫を残すことで作ってきたカルマのすべてに言及して
そのための赦しを大いなる存在(神)に祈ります。
私たちは生きることで奪い、奪われるという代償を払い続けています。
ですから、人生ってそんなもんさ、と甘んじて受け入れている「不運なこと」が
日常茶飯事に起こるのは至極当然のことです。
ですが、私たちが過去のすべてを赦そうと決め、そして
赦されることを願う時
その道を歩くことを決意し選ぶ時
私たちは、その因果の法則の悪夢から目覚めることができます。
今日無事だということは
過去が赦され、カルマの支払いを帳消しにした証拠です。
奇跡(愛による神わざ)の中に生きることそのものだと感じるこのごろです。

うちなーの休日

昨日は久々のぴーかん(ぴーかんて死語なの?)な休日。
アグリハウス東風平(野菜直売所)で果物と野菜を買い
自転車で豊崎のビーチへ。
このビーチはうちから2番目に近くて、出来立てのほやほや。
人はまばらでしたが、休日はこれに限るね、と意見が一致しました。
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敷物敷いてごろんとしてゆんたく。
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夕日も最高でした。
先週はだんなさんの両親が遊びに来ていて、南部観光しました。
浜辺の茶屋はうわさに聞いていましたがやはり最高でした。
(少し前に山辺の茶屋へも行きましたが、これも最高。)
斎場御嶽(せいふぁーうたき)は私今回で5回目になります。マニアですね、もう。
今日は沖縄終戦の日。
亡き祖父と、この地で交流のあったであろう方々に思いを馳せつつ
お祈りさせていただきました。

優作の霊言

昨日たまたまyou tubeで松田優作の最後のトーク番組出演、というのをみつけた。
ガンに侵されながらハリウッド映画進出を果たした直後なのかな、収録は。
そこで、司会者が家庭について尋ねたところ彼は
「家庭をちゃんとやるのは一番難しいね。いろんなことが必要だ。
だけど、ちゃんとやると、おもしろいよね」と語っていた。
「例えば、家庭内で相手(パートナー)が泣いたり、怒ったりしてる時に
人間って目で見たり耳で聞いたり、五感を使っちゃうでしょ。
だけど、それじゃダメなの。
五感を閉じて見ることなんだよね。・・・」
これ、すごかったです。
聞き手が古館さんと阿川さんで、すごく薄っぺらいトークになってて
その話しはそれ以上脹らまなかったんだけど
彼が言っていたのは、面倒なことから逃げるという意味(ありがちなお父さん的な)ではなく
身体の目ではなく心の目で相手の本質を見るという意味でした。
そして
「誰だって相手は新しいほうがいいでしょ。
だからって2、3年経つとどんどん相手変える人多いでしょ、特に芸能界。
これ、(頭、パーのゼスチャー)。
だって、それ、同じこと繰り返すだけなんだから。
だけど、そういうの乗り越えて、もっと相手をちゃんと見て
そうすると、おもしろくなってくるんだよ。」
優作がものすごくすばらしい俳優だということは
世間では周知かもしれないけれど
俳優業(行?)を通してそこまで行っていたんだなーと
改めて思い知り嬉しかったです。
タイムリーにも奇跡のコースのちょうど読んでいる箇所のキリストの言葉に
同じ意味の言葉があります。
「同胞愛とは、たとえ自分自身をそう知覚できないとしても、
他の人を完全であると知覚する方法である。」
そして相手をそのように見るには
「聖霊に目覚めて肉体的な見方を信じるのをやめることから始まる。」
優作がパートナーシップの中に
愛のレッスンを実践していたことが良くわかる彼の言葉でした。