ワークショップへのご参加ありがとうございました。

昨日は長年人生共に歩んできた友人、あきちが主催してくれたワークショップでした。
mixiの自然出産のコミュの方たちが多く
なんとお子さま連れでない方は私と(^^)もうお一人だけでした。
お子様二人連れや、生後2ヶ月の赤ちゃんと参加いただいたりして
私も初体験がたくさんできました。
お天気も荒れ模様で一人のお出かけもどうかという中
ご参加いただいたみなさんに感謝でいっぱいです。
これまで様々な場面で、大勢の方の前に立って何かをする機会が多かった私ですが
今回ほど、なんというか、未知の体験はなかったように思います。
みなさんが知りたかったこと、体験したかったことを
たくさん提供したいという思いがあったのですが
それより大切なことは
お母さん方が24時間お母さんという役割をしながら
本当の自分に一瞬にして繋がれる、というような
現実的に使える方法をもっとずっとシンプルに伝えるというようなことが
必要なんだなと強く感じました。
またお母さんに限らず、
どんな方々にも
しあわせとよろこびの道へのアプローチを
よりシンプルに強力にお伝えしていきたいという思いを
改めて自分の中に感じました。
それからワーク終了後、唯一の独身者だったSちゃんに感想を尋ねたところ
もう今胸がいっぱいで・・と急に涙ぐまれて
こんな体験ができて本当に幸せです、と言ってくださった時は
それもまた予想外で、うれしい驚きでした。
恐らく、ご参加いただいたお母さまとお子さんの
すばらしいエネルギーのお陰だったと感じています。
主催のあきちんも本当にありがとう!
それから、ワークの内容について再認識しましたが
初心者でも上級者でも、
同じ作業のなかに各々の気づきができるのだと感じました。
ヨガというものが長い歴史を持ち
変わらぬポーズに誰もが取り組み続けるとは
そういうことなのだ、ということです。
以下、ご家庭でのワークのための覚書です。
ご参加いただいた方は
メモとしてご利用いただけたらと思います。
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入り口は、脳のリラックスです。
ヒプノも瞑想もヨガもアロマテラピーもレイキも
そこに入り口を開いています。
そこへのアプローチはからだと呼吸からがやさしいです。
同時にそこがゴールでもあります。
まず、地球に立ちましょう。
大好きな、美しい風景の中に立ちます。
大地が強く優しくあたなの脚を支えてくれています。
天に伸びましょう。
夜空の星に届くように
右手より左手、さらに右手と交互に伸びていきます。
伸びきったら、自分の体の重さを感じながら
横に倒れます。下半身の位置を固定したまま
ウエストから上だけがしなっている状態です。
息を吐ききったらもう一度吸って
また吐き切ります。
再び天に伸びたら
前に、地球と平行に、背中をまっすぐに。
吐き切ったら、上半身をぶら下げて脱力。
膝を緩めて起き上がります。
緊張と脱力。首、肩、腕、背中、胸、お腹、脚。
必ず呼吸とセットにします。
吸うと緊張、吐くと脱力。
頭から脚の先まで、そこに呼吸を通してあげてください。
時間がないとき、緊急の時は
頭のてっぺんから足の先まで
いっぺんにいっぱい息を吸い込み
限界になったら一気にぜーんぶ吐きましょう。
いらないものを全部出しちゃう感じです。
出したものは地球に引き取ってもらってください。
地球はどんなものでもちゃんと引き取って
エネルギーに変えてしまいます。
地球にありがとうを言ってください。
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ヒプノセラピーでは
人間の脳が、イメージしたことを現実だと受け取る作用があることを利用して
潜在意識を塗り替えていきます。
うめぼしを食べたところをイメージするだけで
脳は「すっぱいものが入ってきた」と受け取って
消化するように指令を出すのと同じです。
呼吸をしながら体を揺さぶり
必ず大地と天を思ってください。
すると地球の子であるあなたの本質が
宇宙の無限のエネルギーと繋がることを
あなたのDNAが思い出し始めます。
イメージを使わない一時間の運動よりも
5分の瞑想やイメージを用いたワークが
より有益に自己に働いてくれるとは
私の実感です。
『本当に自分にカエル』メソッド、その1でした。
次回ワークショップは準備中です。
定期的にご参加いただけるよう進めています。
どうぞよろしくお願いします。

エネルギーとワーク

宇宙にあまねく偏在するエネルギーと言われているレイキ。
そのエネルギーを人の体、掌を通して伝えるのが
レイキのヒーリングと言われています。
私のエネルギーとの出会いは、玉川大学の演劇専攻に通っていたころでした。
玉川の演劇は、実技の授業が盛んです。
演技の基礎の基礎、からだとこころの根源の部分から再生を叩き込まれます。
そこで学んだことは、今ではスピリチュアルと言われている分野そのものでした。
まず、1年生には身体表現という90分の授業が8コマあります。
日舞、声楽、リトミック、そして石塚身表(いしづかシンピョウ)とわかれていて
このリトミックといしづかシンピョウはまさにスピリチュアルのワークに繋がるものです。
私はこのリトミックとここで再会した時運命を感じました。
今では結構あちこちで幼児教育のおけいこ事として見かけますが
当時は教えられる先生もほとんどいなかったはずです。
ところが私は幼稚園の時にこのリトミック教育を徹底的に受けていました。
狛江のみずほ幼稚園というごく普通の幼稚園でしたが
当時の園長先生がリトミックの指導者だったのです。
余談ですが私は幼稚園を2つ受験しました。
母いわく幼いとき神童のようであった私はもちろんどちらも合格し
そのうちの英才教育にちからをそそいでいたいずみ幼稚園の園長先生から
ぜひうちに入園してほしいと直々に言われたようです。
特待生扱いのような感じでしょうか。
私の母は宇宙人的な私たちきょうだいを育てるにはもってこいの人で
当時から私たち子供を独立した一人格として尊重してくれました。
「あなたたちはお母さんの分身でも付属品でもないの。
一人の人間なのよ。」と
もの心ついたときから言い聞かされて育ちました。
それで、人生初の人生の岐路に立った私に
母は、いずみ幼稚園の園長先生はこう言ってると説明した上で
「だけど、みおちゃんがいいと思う方を、自分で選んでいいのよ。」
と、私自身に選ばせてくれたのです。
私は、みずほ幼稚園の広々として平和でのどかな構えと
面談した園長先生の上品で穏やかな雰囲気を気に入っていました。
私を尊重してくれ、問いかける、という態度です。
一方いずみ幼稚園の先生は明らかにこちらを審査する、という態度でした。
「あなた、これ、わかる?できるの?」という感じ。
私はそういう、上から押し付けられる態度を好みませんでした。
それで私は、みずほ幼稚園を選んだのです。
リトミックの定義はここではふれませんが
要はこころと音楽を使って体で表現することをしていました。
手は3拍子、足は4拍子で歩く、とか
死んだ小鳥を埋めてあげるエチュード・・・とか。
時には「活元」と言われる、自然治癒を促す野口整体の手法で
ある呼吸法と動きを用いると自然と体が動いて
エネルギー経路の歪みを取る・・・などを行ったりもしました。
まさにヒーリングの世界です。
また、いしづかシンピョウは野口体操を学ぶ授業でした。
これは野口整体とは別のものですが
体を徹底的に哲学し、実際にその哲学をからだで体現する、といったものです。
この野口体操は、根底から私を覆し救ってくれました。
私の父は元々新劇の俳優ですが、
父も劇団でこの野口体操のメソッドをやっていました。
父もそのすばらしさを知っていたので
この(玉川の)カリキュラムは本物だ、とうなづいていたのを覚えています。
野口体操は例えば、死体のエチュード、なんてことから始まります。
さあ、死体の演技をしてごらん、と先生が言います。
何も知らない1年生が床に倒れます。
息を止めて死んだフリしますが、なんだかリアリティーがありません。
ただの死体なはずなのに。
でも確かに私たちは生きてるわけですから
内臓は動いてるし、細胞は新陳代謝し、オーラは輝いてるはずです。
では、死体になる、とはどういうことなのでしょう?
というところからレッスンが始まるわけです。
私たちの体は皮の袋に入った水のようなもの。
それをざまざまなカタチに維持しているのは
私たちの想念である。
ですから私たちは、想念という思い込みを変えれば
別のカタチに変化するのだ、というわけです。
それには死体みたいな「まね」をするのではなく
死体という状況をありのままに見て再現することだ・・・
そして1年生のうちにわたしたち30人のクラスメイトは
忍者のように壁におなかをぴたっとつけた逆立ちをしたり
(半数以上が、補助の逆立ちすらできなかったというのに!)
テーブルをすいっと飛び越えてしまったり
塀を音もなく乗り越えたり
ぐにゃぐにゃの生き物になってはいづり回ったりが
一瞬にしてできる集団になりました。
実際に、人はイメージを変えるだけで
別人になれるという体験を重ねました。
イメージを変えるには、呼吸がポイントだということもわかりました。
私が学内で最初に参加した演劇集団は、超能力劇団でした。
今思えば、メンバー全員がそのような教育と訓練を受けた集団だったので
「そう思えばできる」のは当たり前だったのです。
芝居の稽古では、人を人差し指だけで飛ばしたりして遊んでいました。
一番体重が重い人をみんなで囲んで、気を集めます。
両手の人差し指を合わせ、しゃがんだデブさんの脇とか膝とかに差し込んで
いちにのさんで上に飛ばすのです。
デブさんは私たちの頭上高く飛んでいきました。
稽古場には5円玉を糸につけて柱にぶらさげていて
手をかざすとその5円玉が押されて動いたり
調子がいいとグルグル回ったりするのを見て
自分の調子を測ったりしていました。
そしてスプーン曲げも流行りました。
学校のロビーで稽古の合間にみんなで曲げて遊びました。
私も何本も曲げて、もうこれは普通のことなんだと飽きるまでやっていました。
しまいには学校中で手と手をかざしあって気の交流をするようになっていました。
気は、いとも簡単に感じることができましたし
それがどのように行き来しているのかもわかりました。
そうやって会話するように気を流して遊んでいました。
また、芝居の稽古はかなり過酷なので
いくら正しいからだの使い方に気をつけても故障があります。
そんな時は誰かが気で治してくれました。
私は大学の最初の頃はものすごい恐怖症のかたまりで
疲れもひどく、ひどい頭痛もちで
一度頭痛が来るとバファリン以外誰も救えない状態でした。
けれどある日私が頭痛で吐いたりしていると
先輩が背中に手を当ててくれ
あっという間に治ってしまったのです。
なぜ、演劇の訓練にそんなことが役立つのでしょう。
一つは、演技、ということは人を生きることだから。
人にはそれだけのエネルギーが詰っています。
というか人を追及すればそれはエネルギーそのものであるということです。
死体一つ演じるのにもウソはすぐばれます。
深い洞察と訓練が必要なのです。本物であるためには。
それから、演劇とは、あらゆるエネルギーの対立を描いたものであり
目に見えないものを構築する作業であるということ。
そして最終的にそれを作品として成立させるには
観客の存在が不可欠であり
演劇とは、戯曲でも俳優でも演出家でもなく
作り手と観客との間に起こるエネルギーのやりとりなのだということです。
玉川での演劇生活は私にとって宇宙に帰ってきた!という感覚でした。
大地と天と私、という感覚です。愛ですね。
演じるとは私にとってはそういうものです。
意識、とか、スピリットといった概念と出会ったのが27歳でしたが
それからは、入ってくる概念がなんでも
「あれのことか~」という感じで繋がりました。
先に体験や自分の内側での検証があったので
ほとんどわからないことがありませんでした。
今世での体験だけではなく、それ以前のものも、
ただ思い出せばいいのだということがわかりました。
さて、冒頭のレイキに戻りますが
レイキは、スピリチュアルのなかでも
わりと最初に普及したものです。
私も早くに出会いましたが
当時は玉川超能力劇団ですごい体験をいっぱいしていたので
今さら、という感じしかしませんでした。正直な話。
実際、周囲の人をハンドパワーで癒すことは普通でしたし
それで充分使えたからです。
今はどうかというと
もう、当時とは比べ物にならないほど
私自身の浄化や覚醒が進んでいるし
地球も世界も人々の意識の格段に進化しています。
私は毎日のようにアークエンジェルス・ヒーリングやクンダリーニレイキを使って
ヒーリングをしていて
実際にものすごく使えます。
私の家族や親しい人も目覚しい恩恵を受けています。
全自動ホームベーカリーで、
無添加の愛がいっぱいのおいしいパンを焼くような感じです。
誰かがあみ出した詳細なレシピとテクニックを
ホームベーカリーに再現したみたいな感じ。
毎日パンをこねる作業から解放され、
次のステージの探求にかかれます。
そうです。次のステージに行くのです。
作業を手放して。

毎日

毎日、毎瞬、どんな一日を生きるか
どんなわたしとして存在するか
決めるのはわたしです。
とらわれから自由になるほど
選択肢は広がります。
本当の自分、は、
とらわれから解き放たれる時
その姿を見せてくれる。
わたしたちはどれだけのとらわれを持っているのか。
でも、もう、自由になっていい時です。
とらわれの姿をしっかり見ましょう。
そこにしっかり光をあてて向き合い取り組むと
そのとらわれは力を失っていきます。
あなた自身から離れていきます。
長いこと着慣れた着ぐるみは
あなたの皮膚の一部のようでしたが
それはあなた自身ではなかったことがわかるでしょう。
本当のわたしを探しに旅に出ないでください。
旅に出てもそれに魅了されないでください。
あなたを本当に魅了するものは
あなたのハートの内側にあります。
そっと、静かに、そこに入っていきましょう。

満席御礼です☆

今月28日のワークショップはご予約が満席となりました。
mixiで主催してくれたあきちと
ご参加くださるみなさん
とても嬉しいです。どうもありがとう。
すばらしい体験に満ちた時間にしたいと願って準備していますɤɤϡ
さて、秋の足音を感じるようになりました。
今年は春からこっち、変容の波が怒涛のように押し寄せてきています。
実際、こんなに進化が激しいのは初めてかもしれません。
昔はあんなに忙しくてあんなにいろんなことがあったのに
それより何より今のスピードはなんてすごいんでしょう。
今朝目が覚めて一番に考えたのは
10歳の誕生日のことでした。
私はその時思ったことを
とてもよく覚えています。
その時思ったこととは
「年齢が二桁になった。
もう子供ではない。
10年も生きてきた。
人は2度生まれるというが
今日がその2度目の誕生だ。
私は今日から、意識的に人生を生きる。
意識できることはすべて意識する。
私は今思っていることを
ずっと忘れず鮮明に覚えておこう。
決して子供の時のたわごとではない。
大人になった時、
あの時私が思ったことは
間違いではなかったとわかるだろう。」
あの時の私の思いは
かわるこなく今も生きています。
あの時意識した意識を
持ち続けています。
だから今の私があり
私の人生があります。
あの時の私ありがとう。
この人生は私から私への贈り物です。